2019年01月16日
地域再生
副所長
中野 哲也
北海道の晩秋、月曜日の昼下がり―。ディーゼルカー1両編成のワンマン列車は荒涼たる大地を走り抜け、この日も任務を定刻通り完了した。終点・夕張駅のホームで降りた客は十数人。これでも普段よりかなり多いという。大半が鉄道マニアであり、彼らはシャッターを何度も切った後、あわてて折り返し列車に乗り込んだ。その滞在時間わずか8分。朝2往復、昼1往復、夜2往復だから仕方あるまい。このJR北海道・石勝線夕張支線(新夕張~夕張=16.1キロ)が2019年3月末で廃線になるため、126年にわたる鉄路の廃止を惜しんで全国から「鉄ちゃん」が集まっている。
明治初期、米国人の鉱山学者ベンジャミン・スミス・ライマンが政府の招聘で来日。北海道の地質を調査し、夕張川流域で石炭鉱脈の存在を推定した。こうして夕張は石炭の街としてスタートを切る。大規模な鉱脈の発見・採炭開始を受け、夕張駅も1892年に開業。北炭(北海道炭礦汽船)や三菱グループが操業し、夕張市は1960年に人口が11万人を超えて国内屈指の「炭都」として大いに繁栄する。
JR夕張支線の終点・夕張駅
北炭が100年近く前に建設、今も現役「滝の上発電所」
(現在は北海道企業局が管理・運営)
だがそれ以降、夕張市は「石炭から石油へ」というエネルギー革命の荒波に呑み込まれ、苦境に陥っていく。戦後復興を支えてきた国の石炭政策に急ブレーキが掛かり、海外からは安価な石炭が大量流入。しかも鉱山事故が相次いで発生し、炭鉱は続々と閉山に追い込まれた。1990年、三菱石炭鉱業南大夕張炭鉱が幕を閉じ、炭都夕張から炭鉱が消えた。
戦時中の石炭増産を奨励した「進発の像」
(夕張市石炭博物館)
夕張市も炭鉱頼みの「一本足」行政だったから、閉山に伴う人口激減に苦悩する。そこで市は「炭鉱から観光へ」を打ち出し、リゾート開発に全力を挙げた。市内には石炭のテーマパークやスキー場、リゾートホテルなどが続々と誕生したが、杜撰(ずさん)な計画と経営で期待されたほどの経済効果は上がらない。過剰投資とバブル崩壊によって、市の負債は雪ダルマ式に膨れ上がった。
バブル期に整備されたスキー場
ついに夕張市は350億円超の借金を抱えて財政破綻。2007年に財政再建団体(現在は財政再生団体)になり、市政は国に手足を縛られた。行政サービスは徹底的に削られ、逆に市民の負担は大幅に増加。市外流出と少子高齢化によって、人口減少率は全国ワースト1位に。市域は東京23区よりも広いのに、2010年は人口が1万人余にまで減った。
夕張市の総人口と高齢化率
(出所)国勢調査と夕張市住民基本台帳を基に作成
こうした中、東京都から夕張市へ応援派遣されていた若き都庁マンが、現在の夕張市長・鈴木直道氏(37=現在2期目)である。都庁に戻った後、一部市民の熱意に動かされて2011年の夕張市長選に出馬。当選後、鈴木市長は背水の陣で改革を断行した。市内の小中高校はそれぞれ1校に集約し、市民会館や図書館、児童館を閉鎖。市長の給与も自ら7割削減して年収約250万円、退職金は何期務めても出ない。
夕張市の鈴木直道市長
その後の夕張市は財政再生計画を厳格に守り、誠実に借金返済を続けた。だが、鈴木市長は「緊縮財政だけでは街は復活しない」と判断し、財政再建と地域再生を両立させる方針(=リスタート)に転換。厳しい交渉の末、2017年に国から財政再生計画見直しの同意を取り付けた。結果、向こう10年間で総額113億円に上る新規事業を実施できるようになった。
実は、リスタートを宣言する前年、鈴木市長は各方面に張り巡らした人脈からの情報を基に、JR北海道が夕張支線を存続困難な路線のリストに入れると独自に判断していた。年間赤字が1.8億円に上り、老朽化したトンネル・橋梁の補修に億円単位の費用が見込まれるからだ。市長は「民間企業であるJRが存続という経営判断をするのか」などと自問を繰り返した末、「攻めの廃線」という大胆な手を打って出た。
JRローカル線の廃止問題では、①JRが廃線を表明②地元自治体が存続を要望③紆余曲折を経て結局、JRが「民間企業」を大義に自治体を押し切って廃線―というプロセスが一般的だ。このため、JR北海道が存続困難を表明する前の2016年8月8日、鈴木市長は先手を打ってその本社(札幌市)に乗り込み、夕張支線の廃止を「逆提案」したのである。
その際に鈴木市長はJR 北海道に対し、①市の公共交通政策への協力(廃線後の代替交通確保=夕張支線1日5往復→代替バス同10往復)②JR施設の有効活用(市が使える土地・建物を無償譲渡)③市への人材派遣(人件費はJR全額負担)―の条件を突きつけた。この3つが実現しなければ、市長は廃線に納得しないというわけだ。
そしてわずか9日後、今度はJR北海道の社長が夕張市役所を訪れ、3条件に対して事実上の満額回答。廃線後の支援額についても、市は3億円規模と予想していたが、7.5億円を引き出すことができた。
鈴木市長は「逆提案」まで極秘に準備を進めていた。"外交交渉"だから止むを得ないと思うが、メディアからは「市議会を軽視」「市民に説明不足」といった批判を浴びた。今回、鈴木市長は筆者のインタビューに対し、「(廃線に関する)情報源は秘匿するしかないため、(逆提案した)当初は謝罪するしかなかった。しかし2年経ってみると、予想した通りの展開になっており、最近は市民から『よく言ってくれた』と声を掛けられる」と話した。
「攻めの廃線」を決断した理由について、鈴木市長は「夕張支線と地元の夕鉄バスが並行して走り、減り続ける乗客を奪い合ってきた。JRの鉄道が無くなっても、地元のバス会社は存続するし、且つ運行頻度が上がるので利用客を増やせる」「『鉄道もバスも両方残せ』と言うのは簡単だが、ガラガラの列車に貴重な市税を投じてよいのか。子育てや高齢者対策などやることは山積しているのに...」と説明する。
並行して走るJR夕張支線と夕鉄バス(JR夕張駅)
夕張市の年間税収は8億円規模にすぎない。その一方で国からの交付税などを使って毎年26億円の借金を返済し、2027年には完済する計画である。鈴木市長は「1秒間に夕張市は借金を71円返し、夕張に『財政を再建しなさい』という国は借金を61.2万円も増やしている。しかも国は返す当てがないのに...」―
夕張市の借金時計
(出所)夕張市ホームページ
少子高齢化が加速するこの国で、鈴木市長は夕張市を「課題先進地域」と名付け、8200人まで減った人口がさらに半分になる事態を覚悟の上で街づくりを進める。市内では炭鉱ごとにコミュニティがつくられていたため、拠点が分散していた。今後はコンパクトシティ化で拠点を集約し、街全体の効率性を高める。
例えば、老朽化した旧炭鉱住宅に住む市民を説得し、新設した賃貸住宅に移転してもらう。それによって除雪や施設補修にかかるコストを極力抑えるというわけだ。
老朽化した旧炭鉱住宅と新設された賃貸住宅
コンパクトシティの核として、夕張市は中心部に複合施設や認定こども園、病院などを整備する。また、「幸福の黄色いハンカチ」に代表されるように、かつての炭都は映画のロケに活用されており、「映画の街」としても国内外への発信力を強化する。もちろん、「夕張メロン」というキラーコンテンツは頼もしい存在だ。
ゆうばりキネマ街道
ゆるくない!ガチキャラ「メロン熊」
夕張駅に隣接する喫茶店・和(なごみ)は心温まるコーヒーや軽食を提供する。市民や来訪客にとって貴重な憩いの場である。店主の中本満さん(71)は夕張支線の廃線について「子供のころは、朝一番に蒸気機関車が発する『ボーッ』という汽笛が目覚まし時計代わりだった。今回、市長が先手を打ったと聞いてびっくりしたが、地元の人がどれぐらい利用しているかを考えると、仕方がないかなとも思う」と話す。ホームに列車が来なくなっても、中本さん一家は店を守り続けていくという。「店名の通り、これからも和(なごみ)の場を提供していきたいから...」―
夕張駅に隣接する喫茶店・和(なごみ)
左はバブル期に建設されたリゾートホテル
貴重な憩いの場を守り続ける中本さん一家
鈴木市長がリードしながら、夕張市は歯を食いしばって借金を返し続け、コンパクトシティに活路を見出す。65歳以上の高齢化率が50%を超えた市民も、市長に引っ張られる形で街の再生に本腰を入れ始めた。
さらに市外の「ヨソモノ」が再生事業に手を差し伸べ、市民とともに汗をかく。佐藤真奈美さんはその一人である。大分県出身で京都の大学を卒業後、JR北海道に就職。夕張市清水沢地区の旧炭鉱住宅の街並みに魅せられ、一般社団法人・清水沢プロジェクトを立ち上げた。有形無形の炭鉱遺産を活用しながら、地域の活性化に取り組んでいるのだ。札幌市内で夫とともに2人の子供を育てながら、夕張市内まで往復3時間のマイカー通勤を続ける。
一般社団法人・清水沢プロジェクト代表理事の佐藤真奈美さん
佐藤さんらが階段などを整備した清水沢ズリ山
(採炭時に発生する不要な岩や石を積み上げた山)
清水沢ズリ山から望む旧炭鉱住宅群
佐藤さんは「炭鉱と鉄道は表裏一体の関係だったから、地元の喪失感は決して小さくない。しかし乗車率は高くなかったため、市民生活にそれほど大きな影響はないと思う。『駅に行くまでが大変』というお年寄が多かったので、廃線後の代替バスなどでドア・トゥ・ドアに近い『足』が実現すればよいが...」と指摘する。この街の将来については、「高齢化率は50%を超えたが、お年寄りが生き生きとしていれば、街にとってそれほどマイナスにはならない。地域の文化や築いてきた歴史の厚みを大切にすれば、それ自体が産業の一つになり得る」と話す。
「借金と課題は売るほどある」(鈴木市長)という街の再生を目指し、地元市民とヨソモノが知恵を出し合い、行動をともにする。夕張の人々から温かい「何か」をもらい、寒風吹きすさぶ夕張駅ホームから千歳行き列車に乗った。
2019年3月末で使命を終えるJR夕張支線
(写真)筆者 PENTAX K-S2
中野 哲也