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「青空」が復活した商店街(鳥取県米子市)

コンパクトシティが地方を救う (第2回)

2015年01月01日

地域再生

HeadLine 編集長
中野 哲也

 シャッター街と化した商店街はどうすれば息を吹き返すのか―。少子高齢化に苦悩する地方都市の共通課題である。しかも財政事情はどこも厳しいから、投入できるヒト・モノ・カネは限られる。米子市(鳥取県)は最小の投資で最大の効果を得るため、コンパクトな街づくりを推進する。発想の転換で中心市街地の再生は成功を収めつつあり、「米子方式」が全国の自治体から熱い視線を送られている。
 
201501_コンパクト_1.jpg 米子市中心部にある商店街の一角では、他の地方都市と同様、シャッターの閉まった店舗が並んでいる。交通の要衝、あるいは商都として「山陰の大阪」と呼ばれていた面影はない。

201501_コンパクト_2.jpg 70年以上も前に開業したというボタン専門店を訪ねると、数千に上るボタンがデザインやサイズごとにきちんと整理され、うず高く積み上げられていた。色とりどりの輝きを目にすると、ついつい見惚れてしまう。

 店主(78)は「この商店街が最も活気にあふれていたのは昭和30年代。ここに来れば、何でも手に入ったからね。その後、郊外に大型店舗ができると、店が一軒また一軒閉まり、何もそろわない商店街に変わり果てた。最近の若い人はケータイをいじるのに忙しく、裁縫をしてくれないし...」と溜め息をつく。この店も後継者がいないため、いずれ畳まなければならない。古びたアーケードで陽射しがさえぎられ、重苦しい空気が漂う中、店主の言葉の一つひとつが胸に突き刺さる。

「このままではスラム街」"改革派"商店主が・・・

 ところが、通りを挟んで反対側の商店街には青空が広がっていた。実はこの「ほっしょうじ(法勝寺)通り」も、かつては老朽化したアーケードが通りを覆い、各商店主は頭を抱えていた。2007年に落下物事故が起きてしまい、商店街は窮地に追い込まれる。「このままではスラム街になりかねない」と立ち上がったのが、創業500有余年の仏具店「石賀本店」を営む石賀治彦さん(49)ら"改革派"の商店主である。

 当時、商店街の半分を空き店舗が占め、振興組合も既に解散していた。年180万円に達していたアーケードの電気代を節約するため、照明を夜だけにしたが、それでも100万円かかる。1000万円と見積られたアーケードの撤去費用を捻出できるわけもなく、石賀さんは途方に暮れる。ジャンボ宝くじを1回10万円ずつ購入したが、当然、かすりもしない。 

 しかし、石賀さんはへこたれない。同志と飲みながら知恵を絞り合い、街づくり会社を設立。経済産業省の補助金や米子市からの協力を受け、アーケード撤去だけでなく、商店街の「公園化」に取り組むことを決断した。石賀さんらは全国各地の商店街を視察した上で、「空き店舗を全て埋める」あるいは「全国的な観光地にする」といった非現実的な選択肢を排除し、あくまで「身の丈に合った街づくり」に取り組んだ。

 石賀さんらは200メートル四方の47世帯を一軒一軒回り、粘り強く説得して商店街の再生策に同意を取り付けた。そして2011年3月、ついに商店街が生まれ変わる。幅約6メートルの道路の半分に芝生を敷き、植木鉢や木製ベンチを置いた。直線だった通りに緩やかなS字カーブを採り入れ、自転車を突っ走れなくするなど、歩行者への配慮が随所にうかがわれる。そして、幼児の目線に合わせて「七福神」のモニュメントを設置した。モデルは実在する地元の人であり、「はっちゃん」や「なみちゃん」といった愛称が付いている。
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 石賀さんの店の倉庫はリノベーション後、「善五郎蔵」になり、お洒落なカフェが営業中。商店街には待望の新規出店も実現し、美容院と子供向け英会話教室が仲間入りした。アーケード撤去で青空が復活し、商店街を苦しめていた電気代も激減。照明にLEDフットライトを導入した結果、電気代は月2000円で済むようになったという。

 「ほっしょうじ通り」の再生劇は苦難の連続だったが、今では中心市街地活性化のモデルケースとして注目を集め、全国から商業や行政の関係者が視察に訪れる。石賀さんは「最悪の商店街だったからこそ、公園化を実現できた。『ほかに選択肢がない』ことが最大の武器になる。成功率4割でも、先ずはやってみることが大事ではないか」と話す。商店街は息を吹き返したが、石賀さんは「完成度はまだ6~7割程度。最終的には公園から『森』を目指したい」と目を輝かせている。

衰退していく故郷 私財投じて遊覧船船頭に

 米子市内をお手軽に散策するなら、加茂川・中海遊覧船がお勧めである。サケも遡上して来る旧加茂川沿いに白壁土蔵などが残され、中海に出れば米子城址から名峰大山(だいせん)まで一望できる。

 半ばボランティアとして、この遊覧船の船頭を務めるのが住田済三郎さん(74)。米子をこよなく愛し、「少子高齢化や都市間競争の中で、故郷が衰退してしまう。何とかしなくちゃ!」と立ち上がった。還暦を過ぎてから船舶免許を取り、私財を投じて200万円の遊覧船を購入した。住田さんのガイドは歴史上の秘話を盛り込んだり、現代の政治を風刺したり...。50分間の遊覧中、退屈することがない。

 しかし、取材で訪れたのが昨年11月後半の三連休中にもかかわらず、乗客は筆者も含めて3人だけ。「米子には観光資源があるのに、それを国内外に発信できていない」―。住田さんはこうした現状に我慢ならない。

 隣接する境港市は「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な漫画家水木しげる氏の故郷であり、「妖怪」を売りにした町興しで大成功を収めた。住田さんはそれからヒントを得て、河童伝説が残る旧加茂川沿いを全長300メートルの「カッパロード」にしようと孤軍奮闘している。河童のモニュメントはまだ4体だが、「全国から寄付を募り、将来は100体まで増やしたい」-。古希を過ぎてなお意気軒高である。

「生活充実都市」を目指す野坂市長

201501_コンパクト_4.jpg コンパクトシティ化といった地方再生の舞台裏には、米子に限らず、石賀さんや住田さんのような市民の情熱が必ず存在する。それを行政が見いだし、支援していけるかが成功のカギを握っている。「生活充実都市」の実現を掲げる、米子市の野坂康夫市長(2003年就任)に街の将来ビジョンについて聞いた。



 米子市は中心市街地(約300ha)のにぎわいを取り戻すため、その活性化基本計画(第一期2008年11月~2014年3月、第二期2014年4月~2019年3月)を策定し、様々な事業に取り組んできた。しかし自治体にありがちな、再開発の美名の下でのハコモノ造りではない。野坂市長は「身の丈に合った事業に取り組み、それらの『点』と『点』をつないで『線』にしながら、中心市街地を街の『顔』や『心臓』として復活させたい」と強調する。

 中心市街地の中でも、米子市は前述した商店街のほか、図書館・美術館・公会堂などの公共施設、さらに歴史・文化遺産が集中するエリアを「にぎわいトライアングルゾーン」と定め、集客力の拡充や居住性の向上に重点的に取り組んでいる。

 閉店した大型書店の建物を修繕・再活用した上で、ブティックや雑貨店に入居してもらい、「米子の代官山(東京都渋谷区)」を目指すプロジェクト。若い起業家を支援するため、情報発信のサテライトスタジオやミュージアムを併設した複合施設。お金をあまりかけなくても、にぎわいを取り戻そうという創意工夫が至る所に見られ、「選択と集中」でシャッター街をコンパクトシティに再生しようという官民の熱意が伝わってくる。

 こうした中心市街地活性化策は「米子方式」と呼ばれるようになり、全国から注目を集めている。ただし、必ずしも順風満帆というわけでもない。基本計画第一期では、歩行者通行量2万1319人(2007年比5.1%増)を目指したが、実際には1万8744人(2013年)にとどまった。また、市民の憩いの場である湊山公園の入場者数や、旅行者向け下町観光ガイドの利用者数も目標に届いていない。

 米子市は企業誘致に力を入れ、15万人規模の人口を必死で維持してきた。だが高齢化の荒波には逆らえず、2040年には11万6000人まで減少する(日本創生会議推計)と予測されており、いかにして観光客などの「滞在人口」を増やすかが課題だ。幸い、この点では米子市には都市間競争力が潜在する。北に日本海、東に大山、西には中海という豊かな自然に恵まれる上、山陰唯一の国際航空路線(米子~ソウル)を有する米子鬼太郎空港のほか、鉄道・高速道路も古くから整備されているからだ。

 米子市は島根県の松江、出雲、安来の各市と鳥取県の境港市、西部7町村とともに「中海・宍道湖・大山圏域市長会」を構成している。産業・観光振興の協働や環境保全のほか、圏域内で連携して婚活支援事業を行うなど、県境や市境にとらわれることなく、幅広い政策課題に取り組む。「市民一人ひとりが豊かな自然を享受しながら、働く場があって、希望と誇りを持って充実した生活を送ることができる街」(野坂市長)という目標の実現に向け、米子市はゆっくりかもしれないが、着実に前進している。

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(写真)筆者 PENTAX K-50 使用

中野 哲也

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※この記事は、2015年1月1日に発行されたHeadlineに掲載されたものを、個別に記事として掲載しています。

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