2019年07月19日
地域再生
副所長
中野 哲也
大小20を超える島々から成る長島町は鹿児島県の北西端にあり、海を隔てて天草市(熊本県)と向き合う。日本一の生産量を誇る養殖ブリや赤土バレイショ(=ジャガイモ)といった豊かな海山の幸が町を引っ張り、116平方キロ(東京・JR山手線の内側面積の1.8倍)の町域に1万人弱がゆったりと暮らす。「渡りたくなる島」という長島町のキャッチコピーに魅かれて取材に向かうと、真っ青な海と心地よい島風、それに素朴で明るい笑顔が出迎えてくれた。
中世のこの地域は「海の豪族」長島氏が支配し、堂崎城を根拠地にして権勢を振るう。戦国時代、島津氏が堂崎城を攻略し、肥後藩(現在の主に熊本県)だった長島を薩摩藩(同鹿児島県)に組み入れる。天草諸島の中では長島だけが薩摩領となり、明治以降も鹿児島県に属する。このため、長島の民俗や風土は肥後と薩摩の双方から影響を受けてきた。
長島氏が根拠地とした堂崎城の跡
長島と本土の阿久根市(鹿児島県)との間が黒之瀬戸海峡。古来、潮の流れの速さで知られ、日本三大急潮(=一に玄海、二に鳴門、三に薩摩の黒之瀬戸)の一つとされる。万葉集にも黒之瀬戸を詠んだ歌が二首あり、万葉集に登場する土地では南限。昔は海峡間を往来する交通手段は小さな木船しかなく、島民は時に生命の危険にさらされた。1974年、悲願の「黒之瀬戸大橋」(全長502メートル)が開通。本土から自動車で渡れるようになり、物流が飛躍的に改善した。それに伴い、特産の養殖ブリや赤土バレイショなどを迅速かつ大量に大消費地へ配送できるようになった。
黒之瀬戸大橋
万葉集の歌碑(提供)長島町
この速い潮の流れがブリ養殖を育み、長島町の経済を支える大黒柱にした。東町(あづまちょう)漁業協同組合(JF東町)は1974年の黒之瀬戸大橋開通を契機に養殖事業を本格化。単一漁協としては「日本一のブリ産地」に発展した。その中心となる薄井漁港の周辺海上には、ブリを養殖する生け簀(いけす)が点在している。
ブリ養殖の中心地・薄井漁港(針尾公園から)
海上に点在する生け簀
JF東町販売事業部の中薗康彦部長に「日本一」の秘密を尋ねると、「長島の海は年間平均19度とブリを最も育てやすい水温。また速い潮の流れは魚の身を引き締めるだけでなく、海水の循環を促すため、きれいな養殖環境を実現できました。さらに点在する島々が『防波堤』の役目を果たすから、台風が来ても生け簀の被害は比較的小さいのです」と解説してくれた。また、JF東町の養殖業者は家族経営による、稚魚から出荷までの一貫生産が特徴。中薗さんは「養殖業者は毎日、海上の生け簀に向かい、魚の様子を見ます。愛情を込めて自分の子供のように育て上げるから、高品質で安全・安心なブリを食卓に届けられます」という。
JF東町の中薗康彦さん(左)、ブリ養殖業者の竹上裕記さん(中)、JA鹿児島いずみの淵之上一浩さん(右)
もちろん、恵まれた自然環境だけで養殖ブリが育つわけではない。JF東町が頂上に立つまでの道のりは決して平坦ではなかった。そもそもブリは回遊魚だから、技術的に養殖が非常に難しい。中薗さんは「初めは「『養殖』という言葉自体が天然物を好む消費者から敬遠されたため、理解を得られるまで大変でした。牛や豚ならばだれも天然物を食さず、すべて養殖なのに...」と苦笑交じりに振り返る。また、2009、2010年と連続で大規模な赤潮被害に見舞われ、ブリ類の被害はそれぞれ約120万尾(約20億円)、約150万尾(約30億円)に及んだ。赤潮の発生は予測困難なため、関係者は常に緊張感を持って養殖に臨む。
こうした幾多の苦難を乗り越え、JF東町のブリ養殖は年間取扱量で1万2000トン、同取扱高で100億円という国内最大規模に発展した。海外市場の開拓にも積極的に取り組み、1982年に対米輸出を開始した。1998年に養殖魚加工では国内で初めて食品衛生管理の国際標準HACCP(ハサップ)の認証を取得。また、2003年には対EU(欧州連合)輸出水産食品取り扱い施設にも認定された。
JF東町は2005年に「鰤王(ぶりおう)」の商標を登録し、ブランド魚として国内外に出荷している。オリジナル飼料の開発で魚質の統一に努めるほか、品質管理の徹底や、商品移動を把握できる「トレーサビリティ・システム」の構築などによって、鰤王の安心・安全を確保する。その結果、販売市場は最大の米国から欧州、アジアに広がり、最近クロアチアが加わって輸出実績国は30に達した。中薗さんは目標ハードルを一段と高くし、輸出比率を現在の2割から将来は半分に引き上げたいという。「サーモンは120カ国で食され、世界的に寿司5貫入りパックの主役。その1貫がブリに代わると、需要が爆発的に増大するはずです」と目を輝かせる。
JF東町はICT(情報通信技術)の研究も熱心に進めている。2019年4月、養殖業者が手書きで付けていた生産日誌にタブレットを導入。生け簀の水中カメラを通じて魚の生育状況を把握し、それをリアルタイムでデジタル記録できるようにした。中薗さんは「今は人間がデータを見ながら、魚をいつ出荷できるかは経験に基づいて判断します。でも将来はAI(人工知能)が決める可能性があります。また、ドローンが海上の生け簀まで飛んで行き、餌やりを行う日が来るかもしれません」―
養殖ブリのほか、長島町が誇る「海の幸」
漁業と並んで農業も長島町の基幹産業であり、中でも赤土バレイショは全国的に有名な特産品。ミネラルを豊富に含んだ赤土と温暖な気候によって育まれたジャガイモであり、ホクホクした食感が特徴だ。長島本島の北東に位置する伊唐島(いからじま)はとりわけバレイショ栽培が盛んであり、取材で訪れた2019年4月中旬は収穫のピークを迎えていた。
伊唐島に広がる赤土バレイショ畑
橋口勝義さん(86)は家族や手伝いの人とともにバレイショの収穫に汗を流す。「この時期は休みの日もなく、朝から夕方まで働き詰め。でも、(島の人口が減っていく中で)息子と孫が継いでくれたからよかったよ」と飛び切りの笑顔で取材に応じてくれた。バレイショを土中から掘り起こすのは農機だが、表面に現れたバレイショを一つひとつ拾うのは橋口さんたちの仕事。皮が非常に薄いため、丁寧で根気強い作業を求められる。
赤土バレイショ農家の橋口勝義さん
収穫された大量のバレイショは、鹿児島いずみ農業協同組合(JA鹿児島いずみ)が運営する選果場に集められる。ここではICTを積極的に活用している。例えば、LやLLといったサイズの測定。以前はバレイショ一つひとつ重さを量っていたが、生産性が上がらなかった。しかし今では、デジタルカメラで撮影した画像を基にサイズを瞬時に認識できる。ロボットが箱詰めされたバレイショをパレットに積み付け、トラックや鉄道コンテナに積んで東京方面を中心に連日出荷する。
積み付けロボット
かつては伊唐島から長島本島までバレイショを船で運び出していた。1996年の伊唐大橋(全長675メートル)開通によって、伊唐島から本土までトラック輸送が可能になり、島を覆い尽くすほどバレイショ栽培が盛んになった。長島町に助言している熊本県立大学の明石照久名誉教授は「地方にとって『コンクリート』は依然として大事で、伊唐大橋はその典型的な例です。その建設に対してマスコミは『100億円を超える無駄遣い』と批判しましたが、今までにそれ以上の経済効果を生み出しています」と指摘する。
伊唐大橋(針尾公園から)
長島の農業を牽引する、JA鹿児島いずみの上宗光(かみ・むねみつ)代表理事組合長は「赤土バレイショに続き、紅甘夏(べにあまなつ)などの柑橘類もトップブランドに育て上げます」と力強く話す。実は長島は温州ミカン発祥の地で、柑橘類栽培には江戸時代以来の歴史がある。最近、上さんは何度も悩んだ末、思い切った投資で柑橘類の選果にもICTを導入することを決断した。人手不足が深刻化する中、今秋にはベトナムから技能実習生も受け入れる。上さんは「今や農業イコール脳業、つまり知識産業です。人材育成を町と一体でやっていきます」と力強く語る。
JA鹿児島いずみの上宗光組合長と妻みず子さん
このように養殖ブリや赤土バレイショといった特産品を大切に育てながら、長島町は少子高齢化に立ち向かう。町の持続可能性を高めようと奮闘するのが、個性豊かな施策を展開する川添健(かわぞえ・たけし)町長(75)。1963年に旧東町(現長島町)役場入庁後、行政マン一筋で島の過疎化と闘ってきた。2006年に旧長島町と旧東町の合併で発足した新制長島町の初代町長選に出馬して当選。現在4期目である。
長島町の川添健町長
行人岳(ぎょうにんだけ=標高394メートル)から望む八代海
長島町の人口は1960年代初めまで2万人を超えていたが、高度成長期に島外への人口流出が加速。2018年10月1日時点の推計人口は1万人を割り込んだ。町内の高校も本土の高校と統廃合されてしまった。危機感を募らせた川添町長は少子化対策の強化を決断するが、町の一般会計予算は108億円(2019年度)。そこで知恵を振り絞り、最小の財源で最大の投資効果を上げようとユニークな政策を次々に打ち出している。
東シナ海に臨む長崎鼻灯台公園
汐見の段々畑(上り浜パークから)
その一つが、「ぶり奨学金制度」である。海中を懸命に回遊しながら、(地域によって呼び名は異なるが)稚魚→ワカシ→ハマチ→イナダ→ワラサ→ブリと「出世」を続ける特産品にあやかった。それには、地元の子供が学校卒業後に島へ戻り、故郷のリーダーとして活躍してほしいという切実な願いを込められている。
その仕組みは、①就学する人の親権者が、長島町と提携する鹿児島相互信用金庫から奨学ローンを借り入れる(50万~500万円)②同金庫が高校生に月額3万円、大学生などには同5万円を貸与する③子供が学校を卒業して長島町へUターンすると、ぶり奨学金から元金相当額(長島町へ戻って居住している期間分)や、長島町へ戻るか否かにかかわらず利子相当額(全期間分)を補助する―というものだ。2016年の発足後、今では150人近くが利用しており、Uターンした若者も3人現れたという。
少子化対策の柱として、川添町長は小中学校の給食費の無償化に踏み切り、子育てを最大限支援する。財源が乏しいため、長島町は太陽光発電を運営してその売電収入を無償化に充てる。川添町長は「子供は島の宝。国は公共事業や高齢者福祉を割いてでも、地方の子育て支援に財源を回してください」と訴えている。
川添町長は農漁業育成や子育て支援を推進する一方で、合併後の町民を一つにまとめるシンボルとして「花」を打ち出した。住民や企業・団体に自主的な協力を求め、道路沿いに花壇を整備。毎年春に「夢追い長島花フェスタ」を開催するほか、冬場でも花を楽しめる「ブーゲンビリアの丘」を運営する。島外から観光客を呼び寄せる貴重なコンテンツだ。
夢追い長島花フェスタ
ブーゲンビリアの丘
このほか、「ウォーキング大会」「じゃがいもまつり」「ブリのつかみ取り大会」「造形美術展」など、長島町は「経費最小限で効果最大の手作りイベント」(川添町長)を年中開催し、観光を産業の新たな柱にしようと必死だ。町の報告書によると、2017年の各種イベント参加者は合計38万4000人で人口の40倍近くに達した。町の支援事業費6800万円に対し、経済効果はその5.8倍の3億9600万円に上ると試算している。
川添町長は「泣き言を言っても仕方ないから、自分たちで工夫するしかありません。国や県が用意している補助金制度などに対しては、食い付いてすがり付いて拝み倒してでも、採択してもらえるよう努めます」と話し、まるで中堅企業の社長のように連日飛び回っている。
そして、川添町長は「財源は少なく、教育環境は決して良くなく、大きな病院までもちょっと遠い。それでも海山の食べ物は一杯あり、花は一年中咲く。『学校卒業後は長島がいちばん住みやすいよね』といわれる町を目指します」と力を込める。座右の銘は「近き者説(よろこ)び、遠き者来(きた)る」(論語)―。「身近な住民が喜んでくれれば、その評判を聞いた人は遠くからでも来てくれる」という信念は揺るがない。
川添町長が「夢が実現する島」と自負する長島町には、観光コンテンツが予想以上に多かった。まだ橋の架けられていない獅子島にも、フェリー(約20分)で渡ると魅力的なコンテンツが眠っていた。長島町は「人」と「コンクリート」のバランスを巧みにとりながら、豊かな自然の恵みを活かすことができれば、Uターン者や移住者、観光客などの交流人口をきっと拡大できると思う。町内は歴代町長の努力によって快適な道路が整備される一方で、信号はほとんどない。ただし、運転困難な高齢者の増加は必至。個性的な各集落を自動運転車やドローンなどで結ぶ「ネットワーク型コンパクトシティ」を目指したらどうだろうか。
獅子島は化石の宝庫
獅子島の玄関口・片側港
絶景が広がる黒崎空中展望所
鉈崎望洋回廊から望む天草諸島
(写真)筆者 RICOH GRⅢ
中野 哲也