2016年10月12日
社会・生活
HeadLine 編集部
竹内 典子
小学生の頃、お花屋さんになりたかった。大手生命保険会社が発表する「女の子がなりたいもの」ベスト10でも常連だった。だが、ここ数年少しずつ順位を落とし、今年は圏外に消えたことにショックを受ける。実際、1世帯あたりの切り花の年間消費額は、右肩下がりになっている。そんな逆風に立ち向かい、かつての人気を取り戻すべく挑戦を続けている経営者がいる。
生花の卸売りを営む川崎花卉(かき)園芸(神奈川県川崎市)の柴崎太喜一社長(59)。観賞用の植物を扱う花卉業界で「イノベーター(改革者)」と呼ばれる。柴崎さんは毎朝、生花の卸売市場で競りを自分の目で確認する。「必ず一番前の席で見ます。経営に最も大切なことは現場感覚を失わないことだと思うからです」―
川崎花卉園芸の柴崎太喜一社長
ある夏の日の早朝、柴崎さんが"主戦場"とする中央卸売市場の北部市場(同)を訪ねた。24時間体制で全国津々浦々から箱単位で生花が納品され、ところ狭しと積み上がっていた。驚いていると、「春秋のお彼岸や母の日のシーズンにはもっと多いですよ」と柴崎さんは笑う。
24時間体制で市場に届く生花
生花の市場での取引には、①買い手が事前に市場へ予約注文する相対(あいたい)②買い手が競りに参加して落札する―の二通りある。このうち競りは、切り花が月、水、金、鉢物が火、木に行われる。昔ながらの手競りであり、花を売る競り人が4人並び、それぞれがダンボール箱のふたを開け、その中の花を見せながら競りが始まる。
柴崎さんは「競りでは一瞬も気を許せません」という。その言葉通り、続々と登場する生花をめぐり、競り人と買い手の真剣勝負が繰り返される。「はっ!次は黄色のキク、さぁいくら?さぁ、さぁ、さぁ!」―。勢いのあるダミ声が会場に響く。競り人の頭上にあるデジタル掲示板には、競りにかけられている生花の産地や本数、提示価格が表示される。買い手は欲しいと思った値段で手を上げ、競り人に合図を送る。落札すると、競り人が「271(番)、1丁!」と買い手の番号と箱の数を宣言し、掲示板に記入される。
競りは真剣勝負の「戦場」
この北部市場の競りでは、まず買い手が初値を付ける。そこから順に値がつり上がり、最終的に一番高い価格を付けた人が購入できる。同時に複数の買い手がいる場合、ライバルを出し抜いて競り人に意思を伝えられるか、手を上げるタイミングが勝負の分かれ目だ。「あーっ...あの白いバラが欲しかったのに...」―。買い損って嘆く声も聞こえてくる。競りの会場はまるで「戦場」のようだった。
柴崎さんは、東京・八丁堀の花屋を発祥とする京橋生花地方卸売市場の四代目として生まれた。父の急逝に伴い、29歳で後を継ぐ。都内に40ほどあった地方卸売市場が5つの中央卸売市場に集約されたため、京橋市場も大田市場内の大田花卉に吸収された。そこで営業担当取締役として柴崎さんは時代の先を読み、日本で初めてコンピューターを使ったオランダ式機械競りの導入に携わる。その後、卸売市場での経験と経営手腕を買われ、業績不振に陥っていた川崎花卉園芸の再建を任され、2003年に社長として就任した。
以来、柴崎さんは数々の改革に取り組んできた。例えば、北部市場の中の温度を一定に保つことにより、生花が一層長持ちするようにした。また、市場に隣接してコチョウラン(胡蝶蘭)専用の温室を設置し、今では一日24時間、急な贈答の注文にも対応できる。取材が今年7月10日の参院選直後だったため、見たこともないような立派な鉢植えが次々に発送されていた。
発送を待つコチョウランの山
伝統を重視する、ある意味で保守的な花卉業界において、柴崎さんは常にイノベーションを起こしてきた。「数々の挑戦の中で特に思い出深いことが二つあります。一つは海外に生産拠点を設け、生産事業を始めたこと。もう一つは世界最大のフラワーショップチェーンの仏モンソーフルールと提携し、日本でフランチャイズビジネスを仕掛けたことです」―
海外で生産された花は一般的に、専門商社が輸入し、北部市場などに卸している。しかし、柴崎さんは海外の農園から生花を直接買い付ける道を切り開いた。今ではエクアドルやケニアから、バラやカーネーションを輸入している。
それに飽き足らず、2012年にフィリピン・ミンダナオ島でキクの生産を始めた。「ペガサス・ガーデン・プランテーション」という農場を運営し、日本の品質基準に合うキクをお彼岸などに合わせて生産するよう、現地の人をキメ細かく指導している。今や生産量は年間400万本に達する。
ペガサス・ガーデン・プランテーション(フィリピン・ミンダナオ島) (提供) 柴崎太喜一氏
もう一つの大きな挑戦が、フランスのフラワーショップチェーン「モンソーフルール」との提携だ。2007年にフランチャイズ契約を結び、日本国内でフラワーショップの経営を始めた。「川上で手を広げるだけでなく、川下にも手を延ばしたわけです。ただし、卸売業者が花屋を始めるだけでは面白くない。どうせやるなら、本場パリの花屋を日本で実現してみたかったんです」―
モンソーフルールは、顧客が好きな花を自由に手に取って選べるスタイル。柴崎さんは「それを実現するために、生花の陳列や価格表示に至るまで、こと細かなノウハウがあることに驚かされました」と振り返る。同社とフランチャイズ契約を結び、こうしたノウハウや高度なマーケティング技術を貪欲に吸収した。「消費者がどんな花が欲しいのか、どの価格帯のニーズが多いのかなどを、素早く把握できるようになりました。こうした情報を生産者に伝え、アドバイスもしています」―
柴崎さんに一貫しているのは、常に挑戦する姿勢である。その厳しい戦いを支えるのは、花に対する熱い思いしかない。「花は人生のあらゆる局面で人を幸せにする不思議な力を持っています。消費者と花の接点をもっともっと増やし、家庭に入っていければ、花卉業界が、いや日本全体が元気になるのではないでしょうか」―
柴崎さんが手塩に掛けたフラワーショップ「モンソーフルール」を取材するため、東急・自由が丘駅に向かう。駅を出てすぐに、ネイビーブルーを基調としたシャープな外観が特徴的な本店があった。
モンソーフルール本店(東京・自由が丘)
開店の直前だったから、店員の皆さんが生花の入ったバケツや鉢植えの観葉植物を店頭に並べながら、あわただしく準備を進めていた。
案内してくれたのは店長の中野香奈子さん。生花の陳列方法一つとっても、パリの本部から指示があるという。例えば、①花の種類ではなく、同じ色の花を縦に配置する②淡い色を上に、濃い色を下に並べる(人間の視線は上から縦に移動しやすいため、顧客が花を選びやすくなる)③同じ段に並べる花は、きちんと高さをそろえる④値段表示をはっきり目立たせる―などである。そのコンセプトは、「パリジャンのように、好みの花を自由に取っていただくスタイル」―。また、店の雰囲気は高級感を心掛けているが、廃棄する花を少なくして手頃な価格の提供に努めている。
顧客が比較的少ない午前中、店は花の手入れを行う。市場から週3回入荷する生花はまず、たっぷり水を吸わせるために「水揚げ」を行う。水中でハサミを使って茎を切り落とすと、そのショックで花が水を吸い上げるからだ。次にトゲや不要な葉を落とし、茎をカットする。一連の作業をすべて素手で行う。
顧客に売れる瞬間まで、店は花の手入れを続ける。花の入ったバケツの水は隔日交換。水を替えながら、中野さんらは花を一輪一輪チェックする。傷んだ花びらや葉を取り除き、美しい状態を保つようにする。丁寧に花を観察すると、「カーネーションの花びらがうっすらキラキラしていたり、意外に良い香りがしたりなど、日々新鮮な発見がある」という。
店長の中野香奈子さん
フラワーショップにとって、常にアンテナを張ることも重要な仕事になる。顧客がどんな花を欲しいと思うか、流行はどうなっているか...。中野さんは「お客様は季節を感じるためにお花を買ってくださるのだから、季節を先取りして花を入荷するよう心掛けています」という。春はピンクや淡い色、夏は白やグリーン、秋はオレンジ、冬は赤に代表される暖色が好まれるという。
今、店で人気のある花を聞くと、「レインボーバラ」という答えが返ってきた。これは、白いバラに人工的に色を吸わせたもので、一輪に赤・青・黄など様々な色が組み合わさる。手間がかかる分、価格は高くなるが、人気急上昇中だ。同様に色付きのカスミ草も人気が出始めているという。
人気のレインボーバラ
午後になると、店を訪れる顧客が増えてくる。取材中、来店客から「上品で落ち着いた感じ」の花束というオーダーが入った。中野さんは笑顔で用途や予算、希望の花などを尋ねながら、「感じ」を形にしていく。最終的に、ピンクのバラや赤いアルストロメリアなど数種類を選んだ。そして花を手にした瞬間、中野さんの目つきが鋭くなる。そして、流れるような手作業であっという間に、上品で落ち着いた花束が完成した。
モンソーフルールは顧客に、花と一緒に鮮度保持剤の小袋をプレゼントしている。中野さんは「長持ちさせるために保持剤は有効ですが、実はお手入れの仕方が大事。そのやり方も詳しくお伝えしています」という。具体的には、①水は一日おきに替える。その際、茎を切って「水揚げ」するとさらに長持ちする②花瓶の水の量は花の種類によって変える。茎が柔らかいガーベラやヒマワリは、水が腐りやすいので少なめ。逆に茎が固いバラなどは水をたくさん吸い上げるため、水を多めにする―
中野さんはこの仕事の醍醐味として、「お客様の人生のイベントのお手伝い」を挙げた。その代表がプロポーズ用の花束だ。中野さんは緊張を隠せない男性から、彼女の好みの色や「感じ」を聴きだし、絶対に喜んでもらえそうな花を選んで形にしていく。「『うまくいきました!』と報告を受けた時、若いカップルの思い出に残る演出ができたと思い、心から嬉しかったですね」―
ただ、中野さんは決して現状に満足していない。「パリでは老若男女が気軽に花を買う習慣が根付いており、生活の中にいつも花があります。おじいちゃんが果物と一緒に花束を買って帰ることが普通なんです。でも日本では、まだ花は贅沢品と思われがちです。もっと敷居を低くして、だれもが気軽に入れるお店になるよう努力を続けていきます」―
出来上がった「上品で落ち着いた感じ」の花束
モンソーフルール 自由が丘本店
東京都目黒区自由が丘1-8-9 岡田ビル1F&2F
電話:03-3717-4187
営業時間:AM10:30 ~ PM8:30 ※年始を除き年中無休
http://monceau-fleurs-japan.com/shop/ziyugaoka.html
(写真) 小笹 泰 PENTAX K-50 他
竹内 典子