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インバウンドの光と影

 ~持続可能な観光立国を目指せ~

2025年01月21日

社会・生活

研究員 中澤 聡
研究員 榎 浩規

 コロナ禍で急減した訪日外国人客が急回復し、宿泊や買い物などのインバウンド需要が日本経済を下支えしている。訪日客はすでにコロナ前を超える水準に達し、観光立国実現への期待は高まるばかりだ。一方、主要な観光地からは大混雑やマナー違反など深刻な「観光公害」を訴える声も上がっている。観光をテコに経済活性化を図りつつ、いかに弊害を緩和していくべきか。現状と課題を検証した。

日本の露天風呂を満喫する外国人観光客

訪日客数は過去最高

 訪日外国人客は、官民をあげたインバウンド促進策が功を奏して、約10年前から右肩上がりで増加した。2018年に初めて年間3000万人を超え、翌19年には約3200万人に達した。20年からのコロナ禍に伴う入国規制で訪日客は激減したが、大流行が収束した23年から急回復に転じ、24年は3687万人と年間の最高を更新した。

訪日客数の推移(出所)日本政府観光局のデータを基に作成

 コロナ禍で我慢していた旅行を再開させる「リベンジトラベル」の機運に火が付き、円安で日本への旅行費用が割安になった追い風も吹いた。航空便の増便や観光地の多様化など日本側の努力も、急ピッチな回復を支えている。

旅行消費額、過去最高に

 訪日客の消費額も大きく増えている。観光庁の「インバウンド消費動向調査」によると、訪日客の2023年の旅行消費額は過去最高の約5.3兆円となり、コロナ前のピークを越え、24年は約8.1兆円と最高を2年連続で更新した。

訪日外国人の旅行消費額(総額)と訪日外国人1人当たりの旅行支出の推移
(出所)観光庁のデータを基に作成(注)新型コロナウイルス感染症の影響により、2020年と2021年は1四半期、2022年は3四半期の結果を利用した試算値として公表されているため、一部を非表示としている。

 特徴は、宿泊やグルメ、レジャーなどの「コト消費」(体験型消費)が約70%を占めていることだ。コロナ前は中国人客などの爆買いが話題になったが、今回は欧米客を中心としたコト消費への高い需要が回復を先導した。出遅れていた中国人客もようやく増え始め、「モノ消費」(買い物)もコロナ前の水準に戻りつつある。

 訪日客の増加だけでなく、1人当たりの消費額が増えていることも、総消費額を押し上げている。インバウンド消費動向調査によると、訪日客1人当たりの支出は、コロナ前の2019年には15万~17万円で推移していたが、24年は20万円を超えている。19年に1ドル=110円台だった円相場が150円前後の円安になり、海外で生活する人々にとって日本の商品やサービスの価格は割安になった。これが、支出額を押し上げる大きな要因となっている。

ドル、ユーロの為替動向(出所)日本銀行、ECB

オーバーツーリズムの弊害

 訪日客がもたらす経済への恩恵は大きい。コロナ禍で苦境に立たされた観光地の多くが賑(にぎ)わいを取り戻している。一方で、観光客が集中する地域では、いわゆる「オーバーツーリズム」が深刻化している。

 大勢の観光客による観光施設や歩道、バスなど公共交通機関の混雑が激化している。さらに、私有地への立ち入りや無断撮影など、一部の観光客によるマナー違反が住民の平穏な生活を脅かしている。

 先日、神奈川県の鎌倉を観光し、オーバーツーリズム対策の必要性を実感した。駅周辺の歩道は人であふれ返り、車道を歩く人も少なくなかった。頻繁に自動車やバスが通行し、接触事故が起きるのではないかと心配になった。鎌倉在住の知人に尋ねたところ、特に海外からの観光客が増えたという。混雑に巻き込まれるのを避けるため、地元の人は観光客に人気の小町通りなどでの買い物を避ける傾向があるそうだ。

観光客で賑わう鎌倉・小町通り

政府の対策パッケージ

 こうした状況の改善を目指し、政府は2023年10月、観光立国推進閣僚会議で「オーバーツーリズムの未然防止・抑制に向けた対策パッケージ」を決定した。

 基本となる考えは、オーバーツーリズムの弊害を緩和しつつ、観光振興を進めるというものだ。具体的には、①受け入れ環境の整備・増強②需要の適切な管理③需要の分散・平準化④マナー違反行為の防止・抑制―が柱となっている。

受け入れ環境の
整備・増強

混雑緩和 ・観光客が集中する路線バスから鉄道への分散
・チケット購入や運賃支払いのキャッシュレス・多言語化
・配車アプリ等の導入・サービス拡充に対する支援
輸送力の増強 ・連節バス導入等の車両長大化、鉄道駅改良
・観光客向けの乗り合いタクシー導入
受け入れ環境の充実 ・歩行空間の拡大や交通の整備等によるまちづくりへの支援
・道路・歩道整備、観光地での無電柱化加速化
・国立公園を中心に入域料を導入し受け入れ環境整備に活用
・宿泊業の採用活動支援、DX化推進支援、外国人材の活用促進
需要の適切な管理 入域や交通の管理・規制 ・エコツーリズム推進法や自然公園法の入域規制などの義務化
・富士山での適正な入山管理、ごみ投棄等について協議
規制緩和 ・観光スポットへの急行バス導入促進と運賃設定への規制緩和
・曜日や時間帯によって料金を変える「混雑運賃」の導入
需要の分散・平準化 ・観光スポットや混雑状況の可視化・リアルタイム配信の導入支援
・観光ルート等の提案による混雑地域から閑散地域への誘導
・文化財や美術館・博物館を早朝・夜間に体験するプログラム
マナー違反行為の
防止・抑制
旅マエ、ナカにおける啓発 ・意識の持ち方や行動例を示す「旅行者向け指針」を策定
・看板の設置支援、多言語での情報提供
マナー違反の抑止 ・私有地や文化財への防犯カメラ等の設置支援
・観光客のごみ削減につながる行動変容を促すモデル事業を開始

オーバーツーリズムの未然防止・抑制に向けた対策パッケージ
(出所)観光立国推進閣僚会議の資料を基に作成

規制強化の動きも

 受け入れ環境の整備では、観光客の移動手段の分散化による混雑緩和や、公共交通機関の輸送力増強、歩道整備など観光地の受け入れ環境整備などを図る。需要管理では観光地への立ち入り規制や混雑時の運賃を割高にする措置の導入などを推進するとしている。

 実際に富士山では、昨年の夏から山梨側からの入山について事前予約制を導入した。姫路城では一時、外国人の入場料を現行の1000円から4500円(1ドル=150円換算で30ドル)程度に値上げする案も検討された。

海外の先行事例も参考に

 海外の有名な観光地ではすでに、さまざまなオーバーツーリズム対策が講じられている。水の都として知られるイタリアのベネチアは人口わずか5万人の町だ。そこに年2000万人もの観光客が押し寄せ、住民はオーバーツーリズムに悩まされてきた。このため昨年から、特に混雑する4~7月の週末などを対象に、旧市街の日帰り観光客から1人5ユーロの「入場料」を徴収する取り組みを始めた。来年以降、値上げも検討する。このほか、スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリアや米国の国立公園では、事前予約制によって観光客数が増えすぎないようコントロールしている。

観光客であふれるベネチアのサンマルコ広場

 パリでは観光客と住民との「共生」を模索している。地域の環境と住民の生活を守るため観光バスを規制したり、車道を自転車道や歩道に造りかえたりたりしている。有名なシャンゼリゼ通りにも、新たに街路樹のある歩道を整備した。エッフェル塔の周辺では、車の通行をバスなど公共交通機関に限定し、歩行者を優先した街路とする再開発が計画されている。

 オーバーツーリズムの悪影響は放置できないが、一方的な規制強化では観光立国の実現は望めない。海外の先行事例は、日本で的確なオーバーツーリズム対策を講じるうえで大いに参考になる。対策の効果や副作用について詳しい調査が求められる。

地方部の観光地の魅力向上

 そもそも、東京や京都、富士山周辺など特定の観光地に人気が集中していることが、オーバーツーリズムを引き起こす大きな要因だ。政府の対策パッケージでは、日本各地に外国人客を分散するため、11カ所のモデル地域を設定した。料金は高くても特別な体験を望む外国人客を主なターゲットに、対象地域で観光資源づくりを進めている。

 例えば北陸エリアでは、北陸新幹線の延伸も生かした誘客エリア拡大などを支援している。具体的には日本を代表する工芸「九谷焼」「輪島塗」の製作体験や、地元の食材を使った料理を楽しみながら文化や歴史に親しむ体験、越前漆器の伝統工芸士への弟子入り体験ができる特別ツアーをなどがある。

 このほか、東北・北海道エリアでは、知床など手つかずの大自然を生かした取り組みを行っている。「希少動物と人間の共生」を掲げて、アドベンチャーツーリズムなどに対する支援を実施している。さまざまな工夫と努力を重ねて地方の魅力を向上させ、それを海外に発信していくことが重要だろう。

副作用はほかにも

 訪日客増加の副作用は、混雑や迷惑行為などの「観光公害」にとどまらず、経済的な弊害もある。例えば、高額の支出をいとわない外国人の需要を背景に、宿泊代の高騰が続いている。都内のホテルが加盟する東京ホテル会の集計によると、東京のホテルの平均客室単価は1万9028円(2024年12月)で、2年前の2倍以上に跳ね上がっている。物価高で家計が圧迫されている上に、訪日客増加の影響で宿泊代が急騰し、円安で敷居が高くなった海外旅行だけでなく、国内旅行も「高値の花」となりつつある。

東京のホテルの平均客室単価 (出所)東京ホテル会

「住んでよし、訪れてよし」を目指そう

 訪日外国人客の増加によるインバウンド需要の拡大は、デフレや人口減少などの影響で低成長が続く日本経済にとって「干天の慈雨」といえる。特に、コロナ禍で大打撃を受けた観光・宿泊業や飲食業などへの恩恵は大きい。定番の観光地だけでなく地方に足を伸ばす訪日客も増えており、地方経済の活性化につながるとの期待も膨らんでいる。

 一方で、オーバーツーリズムによる多くの弊害が顕在化している。政府は訪日外国人客を現在の倍近い年6000万人まで増やす目標を掲げている。観光立国を目指すには、価値観や文化、マナーの違う人々を受け入れる準備と覚悟が欠かせない。設備やインフラだけでなく、制度やルールの面でも十分な受け入れ態勢を整備する必要がある。

 外国人客を巡るトラブルは多種多様で、特効薬のような対策は存在しない。「住んでよし、訪れてよし」の観光地づくりを目指した、不断の努力を続けることが重要だ。国や地方自治体、そして民間が知恵を出し合い、持続可能な観光立国の実現を目指してもらいたい。

研究員 榎 浩規

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