2016年10月27日
社会・生活
企画室
新井 大輔
NHK大河ドラマ「真田丸」を毎週、楽しみに見ている。ドラマもいよいよ真田幸村が大阪城に入城し、クライマックスを迎える。ただ、歴史好きの私としては、真田丸に「真田幸隆」が登場してこなかったのは、非常に残念だ。幸隆は、堺雅人が演じる幸村の祖父、昌幸の父にあたる。幸隆は、昌幸、幸村に比べると知名度は低いが、その後の一族の発展の礎を築いたという意味で、その功績は大きいと思っている。幸隆を是非知っていただきたく、簡単にご紹介したい。
幸隆は、元々、信濃(長野県)の小豪族であったが、敵に領地を奪われ、流浪の末、甲斐(山梨県)の戦国大名・武田信玄の家臣になったと言われる。幸隆は、信玄の下で度々戦功を上げ、その実力は信玄に高く評価され、「陰の軍師」とも評されていた。
幸隆は、諜報や調略に秀でていたとされ、最も有名な逸話は、砥石城(長野県上田市)攻略である。戦国最強と謳われた武田信玄が大軍でも落とせなかったこの城を、幸隆はわずかな手勢のみで落城させてしまった。その手法は、敵方の武将に寝返り工作を実施し、内部から切り崩すというものであった。また、真田丸では複数の真田の忍者が登場するが、忍者を使い始めたのも幸隆だったと言われる。真田丸を見ていても、昌幸、幸村には、幸隆の知略の影響が随所に垣間見える。偉大な子、孫にその親ありといったところだ。
真田と言えば、旗印の「六文銭」。これも実は、幸隆が信玄に仕えた頃から使い始めたとされる。六文銭は、三途の川を渡るための船賃であり、文字通り命をかけて戦いに臨むという決意の表れと私には映る。また、戦国時代の足軽達には、いつ死んでも良いようにと、衣服の裾に六文銭を縫い付ける習慣があったそうだ。昔の人の覚悟は相当なものだったなとつくづく思う。
同時に、私も現代社会の荒波を乗り切り、企業戦士として力強く頑張っていかなければならないと決意を新たにした。ちなみに、当時の一文は、現在の大体50円程度の価値らしい。まず形からではないが、お財布に50円玉を6枚、忍ばせておこうかと思う今日この頃である。企業戦士として、本当に戦死しない程度に頑張って、偉大なる人物を目指したい。
上田城址と六文銭の旗印(長野県上田市)
(撮影) 中野 哲也 PENTAX K-50 使用
新井 大輔