2016年12月28日
社会・生活
研究員
佐々木 通孝
神田神保町の大型書店は、いつも人であふれている。年の瀬が迫ると、より混雑しているように見える。三省堂書店の神保町本店も、平日にもかかわらず、たくさんの人がいる。入り口付近の人混みをかきわけながら、1階のエスカレーター付近まで進むと、オレンジ色のカウンターが目に留まった。近づいてみると、オンデマンド製本サービスと書いてある。
書店員に聞いてみると、リストに記載されている書籍を、注文を受けてから店舗内の機械で印刷・製本するサービスであった。注文してから出来上がるまで、なんと、たったの30分―。
リストを見ると芥川龍之介や遠藤周作の小説、高校入試過去問集や手塚治虫の漫画まである。試しに、夏目漱石の「坊っちゃん」を2種類の活字サイズで注文したところ、1時間ほどで完成した。シニア版(活字サイズ10.5ポイント、800円)は、レイアウトも含め通常の書籍とほとんど同じだが、文庫本よりも一回り活字サイズが大きい。大活字版(同22ポイント、1150円)は小学校低学年の国語の教科書のような活字サイズで、正直なところ違和感があるが、超高齢化社会の日本では、今後、ニーズが高まるかもしれない。
書店を後にして、このサービスについて改めて調べてみると、三省堂書店は米オンデマンド・ブックス社が開発した機械を導入している。印刷機と製本機が一体となっており、商品名は「エスプレッソ・ブック・マシーン」。エスプレッソを飲んでいる間に本が作れますよという触れ込みだ。大きさも、概ね、オフィスで見かけるコピー機2台分だから店舗内や書庫に置ける。米国では大型書店だけでなく、独立系の書店などがエスプレッソ・ブック・マシーンを導入している。しかし、日本で置いているのは三省堂書店の神保町本店だけ。日本ではオンデマンド製本サービスに需要はないのだろうか?
2016年11月30日、北海道の釧路駅前で30年以上にわたり地域の学生や通勤客に親しまれてきた書店「ブック亭」は閉店した。地元紙が小さな記事で伝えただけで、世の中で全くと言っていいほど話題にはならなかった。2010年から2014年の5年の間に、全国の書店の約1800軒が閉店した。毎日1軒の書店が街から消えている計算になり、もはや、書店が閉店するというのはニュースではないのだ。書店に関する統計を見ると、売り場面積が50坪未満の小さな書店は急激に減少する一方で、300坪以上の大型書店はわずかながら増加傾向にある。かつてはどこの駅前にもあったような個人経営の小さな書店が無くなり、大手資本の大型書店が幅を利かせるようになっているのだ。
売り場面積別の店舗数
(出所)出版指標年報を基に筆者作成
なぜ、小さな書店は苦境に立たされるのか?これには、書籍流通の独特の仕組みが深く関係している。書店は、出版社からの「委託販売」の形式で消費者に書籍を販売している。売れそうな冊数だけ仕入れるが、一定期間を経ても売れなかったら出版社に返品できる仕組みだ。書籍の返品率は、1960年代は30%前後だったが、ジリジリと上昇し、1998年には40%を超え、2000年以降、30%台中盤から後半で推移している。
書籍の返品率
(出所)出版指標年報を基に筆者作成
返品は出版社の収益を悪化させる要因なので、出版社としては「多く刷り過ぎない」「販売力のある書店に託したい」というのが本音だ。一般的に初版で刷るのは約3000冊。全国に1万軒以上の書店があるのだから、全てに行き渡らないのは明らかだ。さらに、出版社にとっては、都市部の集客力・販売力のある大型書店にまとまった部数を委託するほうが、リスクを限定できることになる。つまり、新刊の本は都市部の大型書店に集中的に配本されるわけだ。
書店を対象としたアンケート結果を見ると、新刊やベストセラーが「ほとんど入らないことが多い」という回答が50%を超えている。地方の小さな書店では、話題の本が発売日に入荷しないことも珍しくない。しかし、発売を楽しみに待っていた読書好きにとっては、「売り切れ」どころか「入荷なし」の現実は耐えられないだろう。同じようなことが続けば「ネットで予約しておけば、発売日に届けてもらえる」と本屋には足を運ばなくなる。こうした悪循環が小さな書店の経営をますます悪化させ、閉店に追い込んでいるのではないだろうか。
左図/書籍の入荷状況(全国1193書店へのアンケート調査) 右図/1193書店の属性(売り場面積)
(出所)全国小売書店経営実態調査報告書を基に筆者作成
こうした問題は、小さな書店がエスプレッソ・ブック・マシーンを置いて新刊を刷れるようになれば、解決するのではないだろうか。小さな書店に新刊やベストセラーが何カ月も遅れて入荷することはなくなり、発売当日から売れるようになる。出版社にとっても返品のリスクを負わず、全国津々浦々の書店を通して読書好きに本を届けることができる。加えて、通勤電車の中で読む人には文庫本サイズで、お年寄りには大きな活字で刷ることもでき、読む場所や読む人に合わせて刷ることもできる。また、まとまったニーズがないために、増刷や復刊できずに死蔵していた書籍を、販売することも可能になる。つまり、絶版の概念がなくなることになる。
実は、現時点では著作権の制限があるため、エスプレッソ・ブック・マシーンで、どのような本でも刷れるわけではなく、印刷できる本にはかなりの制限がある。しかし、こうした問題をうまく調整して「注文を受けて、すぐ刷ります」が実現できるようになれば、書店の「品揃え」の概念は大きく変わり、収益も改善するのではないだろうか。オンデマンド製本サービスの普及に期待したい。
【参考】 三省堂書店オンデマンド (https://www.books-sanseido.co.jp/service/ondemand/)
佐々木 通孝