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猫と会話ができますか?

冬夏青々 第3回

2017年01月06日

社会・生活

常任参与
稲葉 延雄

 隣の両親宅の異変に気が付いたのは、父と母が相次いで亡くなってからしばらくしてからのこと。掃除のために家に入ってみると、窓のカーテンが引きちぎられ、窓際の棚の上の小物が落ちており、床の上に置いてあった段ボールの箱が引き裂かれていた。しかも、すべて片付けて翌日見てみると、再び同じような状況になっている。

  物取りの仕業ではなさそうだ。多分、小動物が侵入して悪さをしているに違いないと思い、わざと物音を立てて追い出してみようとした。だが、むしろ奥の方に逃げ込むような気配がするだけで、うまくいかない。

  数日後、再び掃除をしようと思い、隣家の玄関を開けようとした。その時、足元で私のほうを見つめている黒い猫に気が付いた。「シッシ!」と追い払おうとしたが、猫は絶対に逃げないと言わんばかりの目付きで私を見ている。なぜ逃げないのだろう。そう思った瞬間、私はその猫の言いたいことが完全に分かり、この間の事情をすべて理解できたような気がした。

  つまり、家の中にいる小動物は、この黒い猫の子供である。親猫は、家の中に閉じ込められている自分の子猫を救い出したくて、家に入れる機会を待っていたのである。子猫の方は、どうしたはずみかこの空き家に入り込んでしまい、出られなくなってしまったのだろう。窓のカーテンを引っ張ったり、棚によじ登ったりしたが出られない。

 親猫は子猫の鳴き声や物音を聞きつけて、子猫が家の中にいることを知り、多分家の外から子猫を必死に励ましながら、機会をうかがっていた。そして、玄関を開けようとする私にようやく出会ったというわけである。

  私は玄関を開け、ドアというドア、窓という窓をすべて開け、もう一度わざと大きな物音を立てた。果たして、小さな黒い影のようなものがパニックになったような様子で右往左往した後、外に飛び出していくのが見えた。ほどなく、猫の親子は再会を果たしたに違いない。

  その日以来、私は野良猫に会うと会話を試みる。残念なことに、これまで通じたことは一度もないが、それでも本当に「いざ」という時には、人間と猫とは意思疎通が絶対にできると信じている。

稲葉 延雄

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