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満開の桜と競演する「円筒分水」

=必要こそが発明の母=

2017年04月06日

社会・生活

主席研究員
中野 哲也

 わずか一週間ほど観賞するために、街の人々が丹精込めて一年間手入れを続ける。桜に懸ける日本人の情熱は今も昔も変わりない。そのはかなさや淡い色彩は、他の花では決して味わえないからだろう。満開の桜によって春の到来を実感すると、「新年度から仕事と禁煙も頑張るか」という気になるから、その魔力をつくづく不思議に思う。

 全国の桜の名所に連日、花見客が押し寄せている。自宅近くの地味なスポットも毎年、地元の人でにぎわう。「円筒分水」(川崎市高津区久地)という不思議な構築物と桜を一緒に写し込めるため、先日もシニア層が一眼レフカメラを首から提げ、何度も何度もシャッターを切っていた。

 多摩川から取水する当地の二ヶ領用水では、江戸時代から農業用水をめぐり激しい争奪戦が繰り広げられた。1941年、その戦いに終止符を打つため、円筒分水が造られたという。それによって円周の一部(=弧)の長さに応じた水量を、四つの方向に正確に分配できるようになった。川崎市教育委員会によると、当時としては「最も理想的かつ正確な自然分水装置」とされ、戦後に視察に訪れたGHQ(連合国軍総司令部)の農業土木技師が米国に紹介したという。

 必要こそが発明の母であり、それによって社会が前に進んでいく―。愛犬の散歩途中でここに立ち寄ると、いつも考えるヒントをくれる。円筒分水は本来の役目を終えたものの、今も水を満々と蓄える。その水面は桜の花を映し出し、永遠と一瞬が競演する春限定ドラマに心を打たれる。

(写真)筆者

中野 哲也

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