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人生総読書量25万冊の達人が語る

なぜ人は本を読むべきか

2017年06月21日

社会・生活

上席主任研究員
貝田 尚重

 「紙」の新聞や文庫本を読んでいる人はほぼ皆無。10人中7人はスマートフォンの画面に見入っていて、恐らくその半分はゲームに夢中――。最近の通勤電車の中はそんな感じではないだろうか。

 スマホの普及で、読書離れに拍車が掛かっている。全国大学生活協同組合連合会の学生生活実態調査(2016年)によると、「1日の読書時間が0分」の学生が全体の49.1%に達する。1日の平均読書時間は24.4分に過ぎず、スマホの平均利用時間161.5分に比べると、全くお寒い状況だ。

 インターネット空間に広がる無限の情報から、効率よく適切なものを見つけてくる能力はもちろん必要だ。だからといって、知識や教養を身に付けず、「グーグル先生」頼りで世の中を渡っていくことができるのだろうか。

 そこで今回は、人生総読書量25万冊を超える本読みの達人、文献学者の山口謠司・大東文化大准教授に「本物の知識をつける読書術」についてインタビューを行った。

 ―学生の読書離れに不安を感じませんか?

 読まない学生も多いけれど、読んでいる人は相当に読んでいる。江戸時代の庶民はほとんど本を読んでいないし、明治時代も5000部売れればベストセラー。普通は100部くらいしか刷っていません。本を読む人の割合は、いつの時代も案外変わっていないので、失望することはありません。

 ただ社会人として、良い人間関係を築き、自分のやりたい仕事するには、一定の評価を得る必要があります。そのためには、知性と教養と創造力を兼ね備えておきたいものです。これを身に付けさせてくれるのが「本」だと私は考えています。

 ―本が知性と教養の源になるということですね。

 授業などで「原因や理由があって、こうした結果になる」と教えられ、「なるほど!」と納得して身に付くのが「教養」。本を読み、色々なものを訳がわからない状態でいっぱい溜め込んでおくと、何かを経験したり誰かの発言を聞いたりした時に、「そうか!このことか!」と出てくるのが「素養」。本は直接的に知識や教養を身に付けるだけでなく、その人の素養になっていくものです。

 ググればすぐに分かるから、知識など不要というわけにはいきません。溜め込んでいたものが、いつか花開く時が来るのです。教養と素養はどちらも必要だと思います。

 ―本を速く読むコツがあるのでしょうか。

 速く読むことに価値はありません。本を読むとは、著者との対話です。著者がどのような視点を持ち、どう論理展開しようとしているのか。一緒に考えるつもりで読んでこそ、知的に成長できるはずです。速読するぐらいなら、少ない分量でも熟読するほうが有効です。

 熟読と同様に、音読も奨めたい。著者の言い分を鵜呑みにするのではなく、目・耳・口を総動員して著者と向き合うのです。また、目だけで読んでいると自分に誤魔化しが効くので、難しいところは斜め読みして、読めない漢字も適当に飛ばししまいます。黙読で「云々」が読めないことを自分に対しては誤魔化せても、人前で「でんでん」と読んでしまうと恥をかきます。音読によって、自らの読解力や漢字力を知る機会にもなります。

 ―読破した25万冊の内訳は?

 大東文化大学の書庫にある中国と日本の古典籍約7万冊は、全てに目を通して目録にしました。海外の大学で研究していた10年間で、欧州にある日本の古典籍約7万冊を読みました。それとは別に、さらに7万冊の本の目録の作成に携わりました。

 研究活動以外でも、1日に3~4冊は本を買い、図書館に行って本を読む生活を約30年間続けています。自然科学や歴史、小説、ビジネス、伝記、自己啓発、芸術、ノンフィクション、洋書も含めて幅広くなんでも読みます。三木清の「人生論ノート」など、大好きな作品は自宅にも研究室にも置いて、今でも繰り返し読んでいます。

 ―これまでに直接手にした本の中で最も興奮したものは何ですか?

 東洋文庫で研究していた際に、国宝の尚書(=四書五経のうちの書経)の実物を見ました。奈良時代に、中国から日本に持ち込まれたものです。

 尚書を開くと漢字に朱色の点がポチポチと打ってあります。漢文を日本語の語順で訓読するため、奈良・平安時代には、乎古止点(ヲコト点)と呼ばれるものが使われていました。漢字の周りや内部に点や棒線などの符号を付し、その符号の位置で助詞や助動詞などを表し、音節などの区切りを示して訓読の補助にしたのです。

 漢籍を読むために、当時の人が苦労し、格闘した様子がそのまま保存されていたのです。複製は見たことがあったのですが、「うわー、やっぱり本物は違うなぁ」とゾクゾクしました。

 私が専門とする「文献学」は、本の歴史をひも解く学問です。ただ単に、いつの時代にこういう本が作られた、この時代はこういう印刷方法だったというものではありません。その本が持っている意味やその時代に作られた意義を探り、そこから学ぶものです。

 本が書かれた背景には、当時の人たちが求めていた何かがあり、時代のメンタリティが反映され、社会の在り様が浮かび上がってきます。本は、ある意味、時代の共同幻想なのかもしれません。それが、缶詰のようにギュッと詰まっているのです。

 「尚書」の赤いポチポチは、「中国のことを知りたい」「中国の人たちが考えていることに近づきたい」という当時の日本人の思いであり、缶詰の中に詰まっているものをこじ開けたいと必死だったことが伝わってくるのです。

 ―電子書籍にはない、紙の本のメリットは?

 紙は「書き込める」ことが大きな魅力です。古典籍にも、昔の人々が読み進めながら、実にたくさんの書き込みをした跡が残っています。

 今の時代、電子書籍も上手く活用していくことが大切ですが、現時点では、電子書籍にはそれほど自由に書き込みができません。ただ読み流すのではなく、書き込むことで理解が深まる。それは、著者との対話であり、自分との対話でもあるのです。たった1行でも、短いサマリーを残しておくと、記憶に残りやすい。もちろん、時間が経てば記憶は薄れますが、メモを残した所は、何かのきっかけがあると思い出すものです。

20170620_01.jpg(写真)筆者


 山口 謠司氏(やまぐち・ようじ)

 大東文化大学准教授(文献学)
 1963年長崎県出身。大東文化大学文学部中国文学科卒業後、同大学院修士課程修了。博士課程1年の時に東洋文庫研究員、1989年より英ケンブリッジ大学東洋学部兼任研究員。フランス国立高等研究院人文科学研究所アジア言語研究センター大学院博士課程後期を経て現職。
 主な著書に「ん ― 日本語最後の謎に挑む」(新潮新書)、「日本語にとってカタカナとは何か」(河出書房新社)、「語彙力がないまま社会人になってしまった人へ」(ワニブックス)、「音読力」(游学社)など。2017年、「日本語を作った男 上田万年とその時代」(集英社インターナショナル)で第29回和辻哲郎文化賞受賞。
山口先生 個人HP


貝田 尚重

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