2017年10月17日
社会・生活
研究員
清水 康隆
「ペーパーレス時代の到来」が叫ばれてから久しいが、現実にはまだ身の周りに紙がたくさん存在している。本当に将来は消えてしまうのだろうか。
まず、自分の情報環境を点検してみた。趣味のパソコンでは紙の月刊誌を止め、いつの間にかタブレットやパソコンで読んでいる。通勤電車の中でも、紙の新聞や雑誌、漫画を読んでいる人もめっきり少なくなった。旅行でもデジカメで写真を撮るようになり、紙ではなくパソコンで見る。さらにデジタル写真はクラウドに上げ、どこに居てもどんな端末からも楽しめるようにした。このほか、自宅の郵便ポストにあふれていたダイレクトメール(DM)の数が激減する一方で、メールによる広告が当たり前になった。
それでは日本全体の紙の需要はどうなっているのだろうか。日本製紙連合会の統計によると、1990年に年間1639万トンあった紙の内需は、2016年には1504万トンまで減少。四半世紀の間におよそ8%も減ったわけだ。
これについて、同連合会は「2000年にピークを迎えた後、一進一退の状態が続いていたが、リーマン・ショック後の2009年に大きく数量を落とし、それ以降もV字回復することなく、停滞・減少の傾向を示している」と指摘。また、その理由としては、「新聞用紙や印刷・情報用紙がICT化の進展や消費者の消費構造の変化等を背景に、減少傾向で推移している」と説明している。
内訳を見ると、新聞用紙の減少率が著しい。90年の358万トンから、2016年には293万トンと18%も減っている。電車の中で紙の新聞を読む人が消え、代わりにスマホでニュースをチェックする人が圧倒的に多くなったわけだが、紙ならではのメリットは無いのだろうか。
そこで筆者は最近、あえて紙の新聞の定期購読を再開した。8年前の新入社員時代、紙の新聞を駅の売店で毎朝買っていたが、スマホを使い始めると、いつしか紙では読まなくなった。そんな中、異動先の職場で紙の新聞の購読を勧められ、再開したというわけだ。
まだ再開してから1カ月程度だが、スマホやパソコンで読むニュースにはない「気づき」があった。それは、「一覧性」である。新聞の一面には5本前後の記事が載っており、それらを俯瞰することで「今」を実感することができる。加えて見出しの大きさによってニュースの重要度も分かるため、あわただしい朝でもさっと目を通してから出勤するようになった。
さらに大きな「気づき」は、これまで関心がなかった記事との出会いである。パラパラとめくっている途中、ふと予想外の記事に目が止まることがある。つい先日も、「名刺で仕事をするな」という見出しに目がクギ付けになった。池上彰氏の連載コラムであり、学び続ける大切さに関して自身の新人時代について書かれていた。ついつい読み入ってしまった。
スマホでニュースをチェックしていた時は、自分の関心の高い、あるいは仕事上必要な記事しか読んでいないことが多かった。また、普段スマホやパソコンを使う際も、自分に必要な情報だけを検索するケースが圧倒的に多い。ところが、紙の新聞を読んでいると、関心の無い記事も目の中に飛び込んでくるから、脳の働く領域がゆっくりだが、着実に広がっていく気がするのである。
デジタルには無い効用が、もしかすると紙にはあるのかもしれない。デジタルか紙かという二者択一ではなく、両者は互いの持ち味を活かしながら、当分は共存していくのではないか。紙の新聞の購読を再開して以来、そんな予感が強まっている。
(写真)筆者
清水 康隆