2017年12月15日
社会・生活
研究員
加藤 正良
2018年、神奈川県海老名市にあるリコーテクノロジーセンター(RTC)は、横浜市にあった研究部門の移転を受け、リコーの技術開発の主力拠点として新たなスタートを切る。今では周辺に大型商業施設も誕生し、RTC~海老名駅エリアは大きくその姿を変えている。リコーが2008年に海老名事業所を開設した当初は、辺り一面田んぼであり、秋の収穫時期には赤トンボが飛び交う中、リコー社員はあぜ道を歩いていた。隔世の感があるが、実は今でも主要道から一歩を離れるとのどかな田園地帯が広がっている。
RTCから北へ15分ほど歩いたところに、安政4(1857)年から続く酒蔵「泉橋酒造」がある。私の実家はそこからさらに10分ほど北に行ったところにあり、子供のころには収穫の済んだこの辺りの田んぼでよくタコ揚げをしにやってきていた。そんな遊び場近くにこのような酒蔵があったとは、最近になるまで知らなかった。
「昔は、酒蔵なんて稲作づくりをする地域には、たいてい複数ありましたよ」―。と、泉橋酒造の6代目となる橋場友一社長にお話しをうかがった。
橋場社長によると、江戸時代では、酒蔵はコメ消費の最終調整機能を有していたという。豊作でコメが余れば日本酒をより多く醸造し、不作で足りなければ、蔵から食糧として放出する。つまり酒蔵は、コメ流通の一種の調整弁のような役目を果たしていたのだ。
泉橋酒造の酒造りの基本は「栽培醸造」だという。橋場社長が編み出した言葉で、コメ作りから酒造りまで自ら一貫して手がける醸造法だ。そこには、江戸時代の最終調整弁だった日本酒造りを、日本が誇る食文化のレベルにまで引き上げたいとの思いが込められている。
橋場社長の酒造りのお手本はワイナリーにある。ブドウ作りからこだわるワイン造りやワイナリーツアーなどを通じての顧客との接点づくりなど、多くのことを参考にしているという。酒蔵としては珍しく、泉橋酒造がコメ作りからこだわっているのはそのためだ。現在、海老名市の全域から、座間市の新田宿、相模原市の田名・望地河原など相模川流域に沿って、およそ40haもの田んぼでコメ作りを実践している。
当然手間も膨大になるが、日本酒に対する消費者の見方を変えたいという思いが原動力となっている。原料のコメの精米率で酒の優劣を語るスペック重視ではなく、ワインのような酒自体の味や風味で評価されるような日本酒造りを目指す。このため、原料であるコメ作りからしっかりと始めることが重要だと考える。その実践が「栽培醸造」なのである。
さらに橋場社長は、2016年に自社の酒と地元食材を楽しめる直営レストラン「蔵元佳肴(くらもとかこう)」を海老名駅近くで開業し、今では収穫祭(稲刈り)や蔵ツアーなどのイベントを仕掛けるとともに、日本酒を楽しめる施策を海老名市で次々と展開している。
こうした元気な企業がご近所にいることは、とても頼もしい限りである。
最後に「今、日本酒をワイングラスで飲むことがはやっていますが、どう思いますか」とちょっと意地悪な質問をぶつけてみた。すると橋場社長は、ゆっくりと酒を楽しめるなど一定の利点を認めつつも、「ワイングラスで日本酒をのむ世界の人々を見るのは、正直少し複雑な思いがある」と語ってくれた。日本酒の飲み方は、やはり日本から発信したいという思いがあるようだ。
帰り際に、橋場社長からこんな宿題をもらった。
「料理とお酒の相性を表現するのに、ワインの世界で使われる『マリアージュ』という言葉以外いいものが見当たらない。これに代わる良い日本語はないですかね?」―。なかなか難しい課題だ。さらに、社長はこうも続けた。「だって、日本酒を語るのにフランス語は悔しいじゃないですか」
取材の帰り道、駅に向かいながら、社長からの宿題を考えた。駅に着いても名案は浮かばなかったが、橋場社長が目指す酒造りの未来の中にそれが潜んでいるのは確実だ。
(写真)筆者
加藤 正良