2018年02月27日
社会・生活
研究員
平林 佑太
Q. Whats up?
A. Pretty good!!
平日の仕事終わり。辺りはすっかり暗くなり、人々が家路へ急ぐ流れの中で、いつもの我々の挨拶が交わされる。彼=Petrusijevik Dejan(ペトルシェヴィッチ・デヤン)氏とは住まいが近所ということもあり、もう十年来の付き合いになるだろうか。
我々の住む、東京都大田区多摩川沿い一帯の地域は、小さな町工場を中心とした日本を代表する産業の町である。ピーク時、1983年から減少したとはいえ、今も4000を超える町工場が立ち並ぶ。東欧に位置するマケドニアの国籍を持つデヤン氏は、日系の機械金属加工会社で日々汎用機械を使いこなすメカニカル・エンジニアとして働いている。しかし、そもそもマケドニア人の彼がなぜ、極東の町工場で働くようになったのか。今回、そのルーツを探るべくデヤン氏に尋ねてみた。
1975年生まれのデヤン氏(43歳)は、母国で機械工学系の大学を卒業後、更なるスキルアップのため国際協力機構(JICA)の短期トレーニングプログラムを利用し、2004年に初来日を果たす。はじめは、北海道の札幌大学で「日本の生産管理」について学び始めたのだが、カリキュラムの一環で見学に訪れたトヨタ自動車の「5S活動」に触れ感銘を受ける。5Sとは、職場環境の維持・改善に取り組むべき5項目「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「しつけ」の頭文字である。
「是非とも、この5S活動を母国へ持ち帰って普及させたい!」―
2カ月に及ぶプログラムを修了した後、帰国したデヤン氏は早速、地元の企業で5S活動導入の意義と効果について説いて回った。しかし、普及はなかなか思うようにいかない。「日本ではバイブルともいえる5S活動が、なぜマケドニアでは受け容れられないのだろう...」―。悪戦苦闘の日々が2年続いたある日、デヤン氏は再来日を決意する。それを後押ししたのは、「やっぱり日本の5S活動の精神の下で働きたい!」という強い思いだけだったという。
再来日後、トレーニング期間を過ごした札幌大学時代の恩師のツテで、今の金属加工会社で働くようになる。しかし、昔気質のやり方を重んじる小さな町工場で5S活動を実践するには、「外国から来た若造が何を偉そうに...」という保守的ともとれる職人気質な考えが妨げとなった。
それから何年も経過して現在に至っても、デヤン氏いわく「5S活動の実践にはまだ程遠い...」のだという。しかし、デヤン氏にあきらめる素振りは微塵もない。「僕は今の仕事が好きだし、もっと良い改善ができると信じている!そのためには、5S活動を通じてもっとお互いのコミュニケーションを図り、クリエイティブな仕事をしたいね!」―
取材の最後、デヤン氏に今後の目指したい姿について聴いてみると、間髪入れずに答えが返ってきた。「職人マイスター」―。この言葉は彼自身の造語らしいが、組織の大小や担当部署に関係なく、横断的な役割を担える立場の「コアな職人」になりたいとのこと。
「翌日も早朝出勤だ」という彼に取材の御礼を言って握手を求めると、差し出された手には機械オイルが染み込み、ある種の凄みを帯びていた。間違いなく、マイスターの手である。
(写真)筆者
平林 佑太