2018年02月16日
社会・生活
企画室
岩下 祐子
連日の熱戦が伝えられる平昌冬季オリンピック。スタンドに陣取った各国応援団の盛り上がりを見ると、2カ月半前のことを思い出さずにはいられない。
2017年12月に開かれた全国高校サッカー選手権神奈川県予選の決勝戦―。川崎市等々力競技場のバックスタンドはチームカラーの青一色に染まった。3年生となった長男の所属するチームが、14年ぶりの全国大会への切符を懸けて戦ったのだ。
決勝の応援席には、親やOB、生徒、学校関係者...それぞれが青色を身に着け、バルーンを叩き、選手たちに声援を送った。母親である筆者も、ピッチを駆け回る息子を声を枯らして応援した。最終学年となったこの半年間の"試練"に思いを馳せながら...。
それは、夏前に3年生がレギュラーのAチームと控えのBチームに"分裂"させられたことから始まった。監督の方針によるもので、長男は当初、Aチームだったが、実力如何にかかわらず3年生は使われなかったため、3年生全員が自主的にBチームに移る事態になった。
しかし、そこでは厳しい現実が待っていた。試合の予定はほとんど組まれず、グランドの使用もAチームの1、2年生が優先で、使用できるのは朝練のみ。受験を控えて夜遅くまで塾へ通う中で、怪我へとつながることも少なくなかった。たまに試合があっても下級生の応援はなく、相手チームの応援歌を自分のチームの応援歌だと思い込みながら戦った。しかし、こうした逆境が団結力を強くしていったのだ。
親も子供たちを支えようと立ち上がる。つてをたどってトレーナーを探したり、ベンチコートを用意したりするなど奔走した。学校に不当な扱いを改善するよう意見書も提出した。結局、こうした運動が功を奏したのか、県予選が始まる前、学校側もBチームを正式な代表として認めたことで、試合出場を勝ち取ったのだ。メンバーには、3年生20人に加え、共に戦いたいと手を上げた2年生3人の計23人が名を連ねた。
こうして臨んだ神奈川県予選。197校の頂点を目差して勝ち上がるたびに、インターネットを介して学校外にも過酷だった状況が次第に知れ渡るようになっていく。スタンドにも変化が訪れる。当初はガラガラだった応援席にも、準々決勝にはOBが、準決勝にはすきま風が吹いていたAチームの1、2年生たちも駆けつけた。「青色」の下に気持ちが団結する。そして決勝は冒頭のような応援を背にペナルティーキック戦を制して、14年ぶりの全国出場を決めた。
残念ながら全国高校サッカー選手権では2回戦で敗退したが、熱心な高校サッカーファンが「限られた人数での戦い、過酷な過程を23人でここまで戦えるチームは全国的に皆無。『奇跡の23人』を一生忘れない」とブログにアップしていたのを読むと、涙が止まらなかった。
勝負事は勝たないと意味がない。とはいえ、あれだけの苦難を乗り越えた長男は何ものにも代え難い「宝物」を手に入れたと思う。「負けた時に訪ねて来るのが本当の友達だ」―。1964年の東京オリンピックでサッカー日本代表のコーチをしていた、ドイツ人のデットマール・クラマー氏が準々決勝で完敗後に選手たちに語った言葉であり、大会前にたまたま新聞記事で目にして頭に残っていた。
3月1日の卒業式を終えると、かけがえのない仲間とも別々の道を歩く。その時に長男には同じ言葉を贈りたいと思う。
(写真)筆者
岩下 祐子