2018年03月08日
社会・生活
企画室
大林 裕子
私には何十年来の手紙のやり取りを続けている友がいる。相手は北海道に住む同学年の女性だ。小学生のときにペンパル部に入って文通を始めて以来、年賀状とバースデーカードは欠かさずに送りあう。
実を言うと、彼女とは一度も会ったことがない。中学と高校それぞれ入学時に、お互いにどんな制服かが気になり、写真を送りあっただけだ。それが半世紀近くも交流を続けていられるのは、彼女との文通を通して手紙の楽しさを学んだからだ。
若い頃は返事が来るまで待ち遠しくてワクワクしたものだ。お小遣いを貰うと、便箋を買いに文房具屋さんに行くのが嬉しかった。手紙の内容は、些細な日々の出来事がほとんどだったが、少女雑誌の付録や好きなアイドルの切り抜き、可愛くていい匂いの消しゴムなど送ったり送られたり、他愛のない情報交換をして楽しんだ。
インターネットやSNSを介して即座にやりとりできる今とは違って、時間と手間をかけた「不便さ」がかえって想像力をかきたて、喜びを倍加させたのだと思う。今では年二回の近況報告程度になったが、彼女からの便りを受け取るたびに当時の思いが蘇る。
手紙には別の楽しみもある。季節や相手に合わせて便箋やハガキ、切手を選ぶプロセスである。専門の小物屋や文房具屋に行けば棚一面にグリーティングカードがびっしりと並び、どれにしようか迷ってしまうほど。郵便局や観光地できれいな切手を見つけては買っておくこともある。
世間的には手紙離れは著しい。年賀状も、「来年からはLINEに切り替えます」というコメントを書いてきた友人や、歳を重ね「来年から年賀状は止めにします」とコメントしてきた先輩もいる。実際、年賀ハガキの発行枚数も2003年の44億5936万枚をピークに少しずつ減少、2015年は32億167万枚になったという。一人当たりに換算すると、2003年は平均34枚。2015年は約25枚にまで減った計算だ。
確かにメールやLINEの利便性は捨てがたいが、手紙には前述のようにあれこれと準備が必要だったり、タイミングを見計らって投函したりと何かと手間と心遣いが必要だ。送る相手のことを思い、相手からも思われる―。そんな手紙を郵便受けに見つけたときは、自然と心が温かくなる。
(写真)中野 哲也 PENTAX K-S2
大林 裕子