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急拡大するインフラメンテナンス市場

=老朽化という社会課題に挑む=

2018年10月25日

社会・生活

客員主任研究員  田中 博
主任研究員 伊勢 剛

 世界には意外に知られていない巨大市場が存在する。例えば、インフラメンテナンスである。内閣府の資料によると、その規模は年間で世界全体では約200兆円にも上り、自動車市場の約175兆円を上回るほどだ。最近イタリアで高速道路の高架橋が崩落するなど、インフラの老朽化という社会課題には、待ったなしの対応が迫られている。

 一口にインフラメンテナンスといっても、対象は多岐にわたる。アメリカの経営コンサルティング会社Booz & Companyによると、分野別の比率では上下水道管などのメンテナンスに絡む水関係が55%と過半を占める。次いで電力関係(22%)、道路・鉄道(19%)、空港・港湾(4%)となっている。

インフラメンテナンスの世界市場(分野別)

(出所)Booz & Company, 28th Feb. 2007, "Lights! Water! Motion!" Strategy+business


 地域別に見ると、アジア・オセアニアが39%と最も高く、欧州(22%)、中南米(18%)、米国・カナダ(16%)、アフリカ(3%)、中東(2%)と続く。国土交通省によると、このうち日本国内の市場は年間約5兆円に上り、アフリカ全体に匹敵する規模である。一国としては世界有数の市場といえるだろう。

インフラメンテナンスの世界市場(地域別)

(出所)Booz & Company, 28th Feb. 2007, "Lights! Water! Motion!" Strategy+business


 日本でインフラメンテナンスに対する取り組みが活発化してきたのは2013年頃からだ。きっかけは、2012年12月に起こった「笹子トンネル天井板落下事故」。中央自動車道のトンネルの天井板が約130メートルの区間にわたって落下し、死者9人を出す大惨事となった。これを受け、インフラ老朽化対策を早急に実施すべきだという声が高まり、政府が本格的に乗り出したわけだ。

 その背景には、今後急速に進む日本のインフラの老朽化がある。その多くは1960~1970年代の高度成長期に建設され、寿命50年程度で設計されている。このため向こう20年間、設計寿命を超えるインフラの割合が加速度的に増加すると予測されているのだ。国交省によると、建設後50年を経過するトンネルの比率は2013年の20%から、2023年には34%、2033年には50%に達する見込みだ。

 橋梁についても状況は同様だ。建設年別にみると、その多くが1970年代前後に集中して建設されている。その大半は、予防保全の観点から措置を講ずることが望ましい「予防保全段階」や早期に措置を講ずべき「早期措置段階」の状態にあり、メンテナンスを迫られている。

 今年6月の大阪北部地震では、高槻市(大阪府)で老朽化した水道管が破断。大規模な断水を引き起こし、問題の深刻さを浮き彫りにした。ライフラインが止まれば、市民生活への影響は甚大だ。一挙に押し寄せてくるインフラ老朽化は、日本が初めて直面する性質の社会課題だともいえる。今のうちに、インフラを計画的に維持管理・更新する仕組みを一から構築していく必要がある。

 既に国交省は2013年を「社会資本メンテナンス元年」と位置付け、長寿命化に向けた基本計画を策定。トンネルや2メートル以上の道路橋などに5年に1回の点検を義務付け、メンテナンス情報の共有化に向けてポータルサイトを開設するなど様々な施策を打ち出している。しかし、定期検診の義務化によって、インフラを管轄している地方公共団体は財政面や人材面で負担が増すなど、課題解決は容易ではない。

日本の橋梁数(建設年代・状態別)

(出所)国土交通省
(注)2メートル以上の橋梁のうち検査済みの約28万橋梁を建設年ごとに集計


 一足早くインフラ老朽化問題の洗礼を受けた米国の事例を見れば、その難しさが分かる。米国では1980年代前後になって問題が広く認識されたが、その多くは1930年代のニューディール政策によって整備されたもの。維持管理に十分な予算措置が講じられてこなかった結果、1967年にはミネソタ州、1983年にはコネチカット州で橋が崩落するなどの大事故が相次いでいたのだ。

 現代の米国では、問題がさらに深刻化している。その中心は、アイゼンハワー大統領の下で1950~1960年代に整備された州間高速道路網。例えば、1960年代に建設された橋梁の数は1930年代の2倍に上り、うち約1割は「Structually Deficient(構造的欠陥)」の状態にある。

米国の橋梁数(建設年代・状態別)

(出所)米国連邦高速道路局
(注)20フィート超の約60万橋梁を建設年ごとに集計


 老朽化したインフラは早急なメンテナンスが必要だが、それが進んでいるとはいえない。米国土木学会が4年ごとに実施しているインフラの調査レポートによれば、2017年の全米のインフラの総合評価(「A」〜「D」と欠陥を示す「F」の5段階)は「D+」という低い評価に留まっている。しかも分野別に見ても、2017年と2013年の間で改善はほとんど見られない。

米国のインフラ評価

(出所)米国土木学会


 さすがに最近は橋の崩落の危険性などに対する懸念が高まり、大きな修繕工事も実施されるようになってきた。トランプ大統領も就任直後の2017年2月の一般教書演説で「10年間で1兆ドル(約110兆円)のインフラ投資」を提唱。翌年1月の一般教書演説では、官民合わせて「10年間で1.5兆ドル規模」と金額を拡大し、法整備を行うよう議会に訴えている。

 こうした数字は決して大風呂敷ではないようだ。米国土木学会は2016~2025年の10年間で約2兆ドルの追加投資が必要と試算しており、トランプ大統領の示した数字さえ上回る。問題は財源の確保である。実際、大統領の「1.5兆ドルプラン」で連邦政府が負担するのは2000億ドルに留まり、残りは州政府や民間から資金を調達する計画のため、実現性に疑問符も付けられる。

 米国と同じくインフラ整備が早めに進んだ先進国では、老朽化問題が深刻化する。今年8月14日にはイタリア・ジェノバで高速道路の高架橋が落下、多数の死傷者を出す大惨事となった。これも老朽化が原因とされる。地元紙の報道によると、国内の高架橋の崩落事故は5年間で6度目であり、緊縮財政に伴ってメンテナンスが十分講じられてこなかったとの見方もある。

 財政面での制約は米国やイタリアを含む欧州各国だけでなく、日本にも当てはまる。だから、莫大な資金を要するインフラメンテナンスには、徹底した効率化が求められる。

 まず重要なのは、インフラを効率的に点検する技術だ。最近ではセンシングデバイスを用いて、人の手を介さずに大量の情報をインフラから直接収集する研究が活発化する。地方公共団体では、高齢化によって点検作業を行う人員の確保が難しくなり、省力化は喫緊の課題だからだ。

 日本で研究開発を後押ししているのが、内閣府が中心となって推進する「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)」。産学官が連携して「インフラ維持管理・更新・マネジメント技術」の開発に取り組む。この中では、超音波や後方散乱X線、高感度磁気などを活用する点検技術が有力視されている。このほか、ドローンやラジコンボートなどを活用した点検方法や、インフラから直接収集したビックデータを解析するための技術開発も加速している。

日本で開発が進むインフラ点検技術

(出所)戦略的イノベーション創造プログラム(内閣府)資料を基に作成


 リコーグループも、業務用自動車にステレオカメラを搭載し、画像分析技術を応用した道路点検の新しい手法を開発。全国の地方公共団体に提供を始める。球殻ドローンによる橋梁点検の一部の技術についても、東北大学とともに研究を進める。

リコーのインフラメンテナンスへの取り組み
ステレオカメラによる道路点検(左)と球殻ドローンによる橋梁点検(右)

20181025_03.jpg(出所)リコー

 こうした点検を通じて計画的に保守・修繕が実施できれば、それに携わる人員も最小限に抑えられる。そもそも、地方公共団体では施設ごとの過去のメンテナンス情報が一括管理されていないケースが多いとされる。そこで、メンテナンス情報を自動的に集約化できるようなシステムを構築するだけでも、効率的なメンテナンス計画を立てることが可能になるだろう。

 一方、財源問題に対処するには、インフラ事業の運営主体の在り方から見直す必要もある。今、改めて注目を浴びているのが、公的機関と民間企業の連携だ。民間から資金だけでなく、事業の運営ノウハウなどを導入することで効率化が図れ、コストを抑えることができるからだ。

 官民連携(PPP=Public-Private Partnership)と呼ばれるこのスキームは、1990年代初頭の英国で生まれ、今では多くの先進諸国で活用されている。その代表的な手法の一つに、民間資金を活用してインフラ事業を行うPFI(Private Financial Initiative)がある。日本においても1999年にいわゆるPFI法が制定され、インフラ投資に民間資金を活用する環境が整えられた。

 PFIの利点として挙げられるのが、資金調達スキームの多様化。事業を行う特別目的会社(SPC)を設立し、このSPCが施設を所有・運営し、プロジェクトの特性に応じて金融機関など様々なルートから資金を集める。インフラは数十年にわたって利用されるケースが多いため、長期運用の投資先として向いており、年金機関・保険会社などが資金提供するケースが多いという。

 最近では、地方公共団体が施設の運営権自体を民間に売却し、事業を委託する「コンセッション方式」もPFIの進化型として広がってきた。元々、1950~1960年代の欧州で導入されたもので、米国でも普及している。日本では2011年の法改正によってようやく実現し、空港の運営権売却などで実績がある。コンセッション方式ならば、民間企業は施設の建設・購入の必要がないため、少ない資金で事業に参入できる。一方、地方公共団体は事業の運営権を売却することで建設費の一部を賄える上に、将来の運営コストもかからないため、財政負担を減らせるのだ。

 こうしたメリットが浸透するに従って、PFIの件数も増えてきた。PFI法が整備された1999年以降が顕著であり、2016年度時点で累計609事業、5兆4686億円まで成長した。内訳を見ると、文教施設や賃貸住宅、公営住宅などの施設を建設する事業が大半を占めている。こうした施設では、利用者から利用料や賃貸料を徴収しやすく、事業化しやすいためだ。 

PFI事業の件数・契約金額

(出所)国土交通省資料を基に作成


 PPPにはほかにも様々な手法が存在する。例えば、公的施設の管理運営を地方公共団体が指定した業者に任せる「指定管理者制度」や、複数の管理運営業務を民間企業に委託する「包括的民間委託」などだ。特に後者においては、民間が広範囲にわたる施設管理を一括で請け負うことができれば、スケールメリットによって効率的な維持管理体制を構築できる。

 ただし、PPPを導入すればすべてバラ色といううわけではない。バブル崩壊後、官民共同出資で全国に続々と生まれた第三セクターの多くが失敗に終わった。甘い収支見通しや身の丈に合わない無謀な開発、地方公共団体の赤字補てんに依存した無責任体質が指摘されており、インフラメンテナンスのPPPにおいても、第三セクターの失敗の教訓を肝に銘じるべきだろう。

 民間資金の導入に当たっては、外国資本に対する警戒感もある。生活に直結するインフラ、例えば水道事業では外資による水源地の独占が起こらないような対策の必要性が指摘される。事業運営でも、採算が合わなければ外資は撤退するのではないかという懸念もある。インフラメンテナンスのPPPにおいては、外資参入の是非に関して社会のコンセンサスづくりを進めることが不可欠だ。

 今後、インフラメンテナンス市場が急拡大する中で、商機をうかがう民間企業、あるいは財源難の地方公共団体はウィン・ウィンの関係を模索するだけでは不十分である。ライフラインであるインフラを活用する市民にとって、何がベストの「解」なのかという視点も欠かせないからだ。そのためには、さらなる英知の結集が求められる。

 


 


持続可能な水道事業の在り方とは?

=浦上拓也・近畿大学教授に聞く=

 年間約200兆円に上る世界のインフラメンテナンス市場で、55%を占める水関係。日本の上水道の普及率が97.9%(2016年度厚生労働省調べ)と世界トップクラスであることを考えれば、そのメンテナンス需要もまた巨額に上ることは容易に想像がつく。

 しかしながら、日本の水道事業の展望は決して明るいものではない。人口減少や節水機器の普及に伴う水道使用量の減少によって料金収入は頭打ちになり、老朽化した施設の更新に充てる財源も先細るからだ。

 そこで今回は水道事業に焦点を合わせ、運営からインフラメンテナンスまでを持続可能にするにはどうすればよいかを考察する。厚生労働省の水道事業維持・向上専門委員会委員を務めた近畿大学の浦上拓也教授にインタビューを行い、課題解決のための方策などをうかがった。



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浦上 拓也氏(うらかみ・たくや)

 近畿大学経営学部教授、公益事業学会理事。
 1996年神戸大学大学院経営学研究科博士課程、2001年大阪府立産業開発研究所嘱託研究員、2002年近畿大学商経学部講師、2008年英国クランフィールド大学ビジネススクール客員研究員(英国の水道事業民営化研究の第一人者であるデビッド・パーカー教授と共同研究)、2013年から現職。



 ―今年6月の大阪北部地震や7月の西日本豪雨では水道管が破断し、大規模な断水が発生しました。

 大阪北部地震の時、水道管が破裂して水が噴き出している映像が流れました。その原因は老朽化です。直径90センチの基幹水道管が破断しましたが、設置から50年経過しているものでした。

 水道管の耐用年数は40年で、これを超えると老朽管となります。水道管の更新は埋設されている土壌の状態も(判断材料に)含め、各水道事業者が判断します。今回破断した水道管は年数が経っていても、比較的耐震性の高い管種と考えられ、緊急性はありませんでした。このため、更新の対象ではなかったのです。

 西日本豪雨のような大災害は、どの水道事業者も想定はしていなかったと思います。道路ごと水道管が流されたり、山間部の浄水場が土砂で流されたり、まさに想定外でした。一部の地域では災害後の応急措置として、地上に仮の水道管を設置しました。これもリスク計画として考えられたものではなく、被害を受けて急きょ決めたものです。

 小規模の水道事業者では災害の備えに限界があります。近隣の事業者と統合する広域化(=他の地方公共団体との事業統合)や、事業の垂直統合(=浄水と配水の事業統合)など、規模を拡大して、地域の「全体最適」を考える必要があります。

―水道事業の問題点はどこにありますか。

 一番の問題は、水道料金が最適化されていないことです。50年後にも今の水道システムを残すためには、まず財源の確保が必要です。今の水道料金は間違いなく低過ぎると思います。それでは、老朽管の更新などの財源が足りません。現在、各事業者は水道料金を低く抑えることで頭が一杯であり、将来のことは後回しです。世代間の負担公平という観点からも、今できることをやらないと持続可能にはなりません。

 水道料金の最適化のためには、市民や首長、地方議会議員など多方面にわたって理解してもらう必要があります。水道が無ければ街は成り立ちません。地方公共団体の存続にかかわる問題だと考えるべきです。

 大学でも水道事業について授業をしていますが、ほとんどの学生はこの危機的状況を知りません。一番の問題は知らないことです。多方面の方々への啓蒙活動も重要なことです。

 ―料金値上げ以外には何が必要でしょうか。

 水道料金の最適化はただ単に料金を値上げすればよいというものではありません。「規模の経済」を活かし、無駄を省いて効率化することが必要です。そのためには広域化や垂直統合、官民連携を進めなければなりません。

 広域化については各地で進んでいる一方で、各地方公共団体間での格差の問題があります。大都市は経営状況も良く、水道管の更新なども進んでいます。一方、その周辺の市町村は維持管理が進んでいません。広域化で一緒になると大都市の費用負担が大きくなるため、話が進まないというケースも多くみられます。

 垂直統合の経済性について、私は統計的な分析を国際的な共同研究で進めています。その中で日本でも費用削減効果があると試算されました。実際に垂直統合した岩手中部水道企業団の例では余剰施設や不安定な水源を閉鎖することによって、大きなコスト削減ができたと聞きます。

 官民連携については、民間の技術やノウハウを活用していくことが大切です。だが、民間企業のリスクが高過ぎて、だれも手を挙げないのが実情です。災害時のリスクも含めて水道管などの施設の老朽度をすべて調査し、リスク評価をした上でないと、民間は引き受けにくいと思います。

 民営化の事例として、英国がよくとり上げられますが、日本とは状況が異なります。英国に1年住んでいたのでよく分かりますが、英国では地震がほとんどありません。だから、耐震化の必要がないのです。また水圧も低いので、漏水しても大きな事故にはなりません。その分、シャワーの勢いも弱いのですが(笑)

 地震もなければ水圧も低いため、古い水道管をそのまま使っても大きな問題はありません。それなのに水道料金は日本よりも高いのです。こういう状況ですから、英国では民営化しても利益が出せるのです。

 ―今後の水道事業の展望や研究テーマについてお聞かせください。

 今回の一連の災害は水道事業を見直す一つのきっかけになったと思います。身近な問題となった今だからこそ、事業の成り立ちから将来の危機的な状況まで理解していただき、適切な水道料金の実現までつなげていきたいと思います。

 水道事業は雇用の受け皿になり、地域活性化の核になり得ると思います。地域を担う基幹産業というわけです。

 現在、全国に約1300の水道事業体があります。しかし、1300人の優秀な経営者がいるかというと必ずしもそうは言い切れません。組織体としては職員は最低100人、給水人口30万人ぐらいの規模にならなければ、効率的なマネジメントができません。つまり、これからの不確実な時代の事業体として、存続し得ないと思います。

 今後の研究テーマとしては、日本の水道事業の「最適産業構造」をとり上げようとしています。どれぐらいの事業者数が産業全体として最適なのかを統計的に分析します。オーストラリアの研究者などと国際共同研究で取り組む予定です。

20181025_02.jpg(写真)伊勢 剛 RICOH GR

主任研究員 伊勢 剛

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※この記事は、2018年9月28日発行のHeadLineに掲載されました。

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