2018年10月30日
社会・生活
研究員
加藤 正良
NHK大河ドラマ「西郷どん」がいよいよ佳境に入ってきた。鳥羽・伏見の戦いを終え、西郷隆盛の最後の戦い「西南の役」へと物語は突入する。
今年は明治維新から150年に当たる。大河ドラマをはじめ、西郷どんの地元・鹿児島はいろいろな記念イベントを開催中。鹿児島県立図書館でも記念イベントの一つとして、薩摩出身の維新の英傑の人気投票を実施した。投票結果によると、1位はもちろん西郷。しかし、維新の三傑にも挙げられている大久保利通(大久保さぁ)は、意外にも5位と低迷している。
人気投票の結果
(有効投票総数:884票)
(出所)鹿児島県立図書館の発表を基に作成
筆者が30年ほど前に初めて鹿児島市を訪れた時にも感じたことだが、大久保はとにかく鹿児島では不人気だ。当時、西郷の最後の地である激戦地・城山(現城山公園)に西郷像を見に行った際に、てっきり大久保像も一緒に立っているものとばかり思っていた。だが実際は、西郷像から直線で南西に1.2キロメートルほど離れた、市内を流れる甲突川に架かる高見橋の袂(たもと)にひっそりとそれはあった。
この像は、西郷像に遅れること42年後の1979年に建てられた。地元紙によれば、地元の根強い反対のため、本来完成させるべき没後100年(1978年)に間に合わなかったそうだ。
さらに、実際に見てみると、像の台座の「大久保利通像」という文字が曲がっているのには驚かされた。地元紙によれば、文字は当時の県知事の筆によるもので特に他意はなかったようだが、設立当時の状況を考えると、この台座の文字の曲がりはどうにも気になる。不人気振りがこんなところにも反映しているのではないかと勘繰ってしまう。
大久保利通像
西郷隆盛像
今年の夏も鹿児島を訪れたが、市の観光船チケットを巡ってひと騒動あったことを知った。鹿児島市が運航する納涼観光船のチケットには、維新の志士ら(小松帯刀、西郷、島津斉彬、篤姫、大久保の5人)をデフォルメしたキャラクターが描かれている。
ところが、乗船の際に係員がチケットをもぎると、一番右の大久保だけが切り離されてしまうのである。地元紙によれば、乗船客の間でそこまで大久保が嫌われているのかと話題になったという。ここまでくると大久保嫌いを公式に認めていいのでは、とさえ思えてくる。
私のような県外の者にとって、維新の三傑と称されるこの2人は薩摩が誇る英雄だと地元でも慕われているとばかり思っていた。地元の人の心に渦巻く複雑な思いをうかがい知ることはできないが、「故郷と民を愛した西郷どんに対し、故郷に背を向けた大久保さぁ」―。どうやら、そう捉えられているようにしかみえない。
今となっては、本人たちの気持ちを知る術はないが、こうした地元の感情を知ったら、当の2人はどう思うのだろうか。少なくとも県外の私から見れば、西郷と大久保の2人は心からの友であったように思う。
例えば、大久保が紀尾井町(東京)で襲われたときには、西郷からの手紙を上着のポケットに忍ばせていたと聞く。また、2人の袂(たもと)を分かったとされる征韓論でさえ、よくよく調べれば死を覚悟して外交に赴こうとする西郷を思い、その命を守るために大久保が反対したという見方もある。
国を思い嫌われながらも、革命家として人生を全うした大久保。私見を許していただけるなら、桜島を望む錦江湾の海岸に、2人してたたずむ維新の英雄像を見たいと望むのは、私一人ではないと思うのだが、いかがだろうか。
錦江湾から望む桜島
(写真)筆者
加藤 正良