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見えない「何か」とそれを見る力

潜望鏡 第5回

2015年01月01日

社会・生活

HeadLine 編集長
中野 哲也

 出雲大社(島根県出雲市)では広い境内の至る所で、歴史の重みを伴ったオーラを感じる。恐らく、古代人は現代人に見えない「何か」を見ていたから、高さ48メートルに達する高層神殿(96メートル説もある)といった「トンデモナイモノ」を築き上げたのだろう。「何か」から神が生まれ、宗教あるいは政治に発展して今日まで伝えられてきた。

201501_潜望鏡_1.jpg 「何か」が「見える」「見えない」の境界は、人によって様々である。想像力に富んでいれば見える範囲は広がり、創造力が育まれる。ところが、筆者のような凡人はなかなか視野が広がらない。だから、ジャーナリストとして数千本の記事を書いてきたのに、相変わらずコラム一本書くのに悪戦苦闘する。

 そこで今回の取材では、視野拡大の"新兵器"を導入した。世界初※の全天球カメラ「RICOH THETA」(リコー・シータ)である。これを片手で持ち、スマートフォン画面上のシャッターボタンを一回押すだけで、撮影者を取り巻く360度空間を写せる。THETAで撮った写真は、撮影現場から「立体感」を連れて来てくれる。出雲大社での人混みの喧騒や陽射しの方向、空気の流れ方まで思いだすから、通常画像とは異なる刺激を受ける。

 また、THETA の円型画像を指でなぞれば自在に変形できる。中心位置をずらしたり、空と地面を融合させたりすれば、撮影現場では思いつかなかった発想が湧いてくる。クリエイターが使うと、今までにないアートも生まれるのではないか。

201501_潜望鏡_2.jpg 出雲大社からローカル線に乗り、宍道湖(島根県松江市)や米子市(鳥取県)を経由しながら、「妖怪の街」に向かった。ここ境港市(鳥取県)は松葉ガニ漁が盛んな一大漁業拠点であると同時に、「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な漫画家・水木しげる氏の故郷である。

 境港市は中心街に「水木しげるロード」を造り、鬼太郎や目玉おやじ、ねずみ男といった妖怪のブロンズ像を並べており、全国から観光客が集まってくる。JR境線の車両や駅前交番も鬼太郎ファミリーのイラストを採り入れ、商店街では妖怪をあしらった菓子やグッズが売れまくる。境港の街中は妖怪一色なのである。

 水木しげる記念館によると、水木氏は幼少期に子守りをしてくれた老婆「のんのんばあ」から、妖怪や幽霊、地獄や極楽といった異界の話を聞かされて育った。「目に見えないもの」に強烈な好奇心を抱くようになり、寺の地獄絵図に刺激されて「人が死ぬところを見たい」と思い、弟を海に突き落としたこともあった(弟は通行人に助けられて無事)。

 70~80年前の境港は電燈が少なく、水木氏は「暗い夜は、太古の昔がそうであったように、本当にたくさんの妖怪がみられ、また、話しかけてきたものです」と当時を振り返る。そして、妖怪のことを「電気が多い今では、あまりお目にかかれない暗夜の住民たち」と定義している。「明るくなったがために見えなくなる」というパラドックスは、のんのんばあや水木氏のような異能の人だからこそ理解できるのだろう。

 水木氏には数々の名言があり、「いわゆる文明人なるものは霊的バカが多いのだ。すなわち感覚がニブイために無関心なのである。現代人はそれをよしとしているから始末に悪い」もその一つである。便利になればなるほど、人間本来の能力が退化してしまう。筆者は残念ながら、目に見えないものは見えない。せめて見えないものの存在を頭の片隅に入れながら、取材を続けていきたい。

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(参考)水木しげる記念館公式ガイドブック(朝日新聞社)
(写真)筆者 PENTAX K-50 RICOH THETA使用

中野 哲也

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※この記事は、2015年1月1日に発行されたHeadlineに掲載されたものを、個別に記事として掲載しています。

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