2019年05月21日
社会・生活
研究員
平井 真紀子
「今日の黄金バットの活躍は!」―。ドンドンという太鼓の音とともに、紙芝居を囲むお年寄りの記憶のふたが開く。今日の舞台は横浜市名瀬地域ケアプラザだ。焼け跡のヒーロー「黄金バット」の後は、「魔法の筆」「舌切り雀」と演目が続く。身振り手振りも交えて観客を沸かせるのは、「としょくん」こと渡辺利雄(わたなべ・としお)さん(71)だ。定年後に紙芝居のボランティアを始めて12年になる。
「懐かしいねえ」「小銭を握りしめて見に行ったね」「次はどうなるの?」―。物語が進むにつれ、次々に声が上がる。途中にクイズあり手品ありと盛りだくさんの内容で、楽しい時間はあっという間に過ぎる。
横浜市名瀬地域ケアプラザ公演
渡辺さんが紙芝居ボランティアをしようと決めたのは、定年間近のある日のこと。子どもの頃の夢を見たのがきっかけだったという。夢の中で、紙芝居のおじさんが来るのを今か今かと心待ちにしていると、ついに紙芝居が始まる―。その時のわくわくした気持ちをもう一度味わいたいと思ったからだ。
ただ、心配もあった。「今も紙芝居のニーズはあるのか」という点だ。娯楽の少ない昔ならともかく、最近の子は漫画やアニメに親しんでいる世代だ。
そこで、初舞台には知り合いの娘さんの誕生日パーティーを選んだ。観客は小学1年生9人とそのお母さん2人の計11人。近所の公園で練習を重ね、当日も朝イチから準備した。その甲斐あって、子どもたちは見たことのない立派な舞台道具に驚き、渡辺さんとの掛け合いも盛り上がった。渡辺さんは手応えを感じた。
公園や保育園で公演を重ねるうちに評判になり、ラジオやテレビで紹介されると、高齢者施設からの依頼が来るようになった。最初は驚いたが、目を輝かせて見入るお年寄りの顔を見て納得した。「懐かしさだけじゃなく、幼い頃のわくわくした気持ちもよみがえってくるんでしょう」と渡辺さん。
2018年の公演数は186回、観客数は延べ6240人。この12年間では延べ8万4000人にものぼる。公演の半数は高齢者施設で、「常連さん」の施設には年11回も足を運ぶ。
12年も続けられたのは「自分の楽しみと人の喜びがマッチしたから」と渡辺さんは語る。ボランティアでやっている点も重要だ。「お金が絡むと自由にできなくなってしまう」―。そうなると、「楽しくない」「人も喜んでくれない」という悪循環に陥ってしまうという。
とはいえ、再就職せずボランティアに専念するには勇気も必要だった。もちろん家族の応援も。そこで定年前に、80歳までに必要なお金を計算し、計画表を作った。「人生は何があるか分からないから、あまり緻密な計画を立ててはいけない。けれど、どんぶり勘定でもダメ。小どんぶりくらいの細かさで立てるのがコツだよ」と渡辺さん。この計画表は1年に一度見直している。
そして、定年後を「悠々自適」ならぬ「窮窮自適」で過ごすことにした。窮窮とは言っても、節約ばかりの人生ではつまらない。だから贅沢をする時はするが、それ以外はお金の贅沢ではなく「時間の贅沢」を味わう。季節に合わせ、夫婦で味噌や梅干し、かりんジュース、ジャムを作る。作っている時間も含めて楽しむ生活が「窮窮自適」だ。もちろん紙芝居で人を喜ばせるのも贅沢の一つだ。「大きな幸せが一つでも嬉しいけれど、小さな幸せが365個あっても、人生幸せではないかな?」と渡辺さんは話す。
80歳までの計画を立てたとはいえ、ご家族は心配ではなかったのだろうか。妻の初枝さんは「本人がやりたいって言っているのだから、しょうがないじゃない?」とほほ笑む。一緒に日常の中に小さな楽しみを見つける生き方を楽しんでいる。
人生100年の時代と言われる。日本の2018年の100歳以上高齢者人口は約7万人だ。ところが、めでたいはずの長生きが「長寿リスク」と言われるようにもなった。書店には「老後は○○しなさい」「老後のために○○してはいけない」という指南本が並ぶ。
「老後のことを考えるのも大切だけれど、それと引き換えに"今"がつまらなくなってしまってはもったいない。肩の力を抜いて今の生活を楽しんでもいいんだよ」―。渡辺さんの生き方は、私たちにそう語りかけているように見える。
としょくん
(写真)筆者
としょくんブログ
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平井 真紀子