2019年06月25日
社会・生活
企画室
大林 裕子
例年7月6~8日の3日間、東京の下町・入谷で「朝顔まつり」が開かれる。ルーツをたどると、江戸時代にまでさかのぼる夏の風物詩だ。以前から気になっていたため、3年前に初めて足を運んだ。
東京メトロ・入谷駅を出ると、露店が鈴なりで縁日のような賑わいだ。お店を見て回ると花の色はもちろん、葉の形や大きさにもたくさん種類があって驚かされる。名前もさまざまで「団十郎」という変わったものまである。赤味が少ない海老茶色で、江戸時代の歌舞伎役者、二代目市川團十郎が「暫(しばらく)」という演目で着た衣装にちなむらしい。
この逸話からも分かるように、朝顔が盛んに栽培されるようになったのは江戸時代。観賞用に品種改良が進み、多種多様な花が生み出された。幕末にかけて活躍した絵師、鈴木其一(すずき・きいつ)の「朝顔図屏風」を観ても、当時の人々がいかに朝顔を愛していたかが伝わってくる。
結局、迷いに迷って青い花が入った4色仕立ての鉢を1鉢買った。ベランダで毎朝大きな花を咲かせ、秋には真っ黒なタネをつけた。先日、それから数えて「四代目」の朝顔が、かわいい芽を出した。花が咲き始めれば、東京の暑い夏にひと時の清涼感をもたらしてくれるだろう。
芽を出した朝顔
この朝顔、実は「薬」として日本に渡ってきたことをご存じだろうか。「アサガオ 江戸の贈りもの -夢から科学へ-」(米田芳秋、裳華房)によると、奈良時代に中国から「下剤」として伝わったという。可憐な花からは想像もつかないが、あの真っ黒なタネを間違って食べると激しくお腹を下すものらしい。当時は牛を引いて御礼に行くほど貴重だったことから、「牽牛子」(けんごし)と呼ばれたそうだ。
奈良時代の薬と聞くと、歴史の授業で教わった「施薬院」が思い浮かぶ。聖徳太子や光明皇后が建てたとされる医療施設だ。海外から集めた薬草などを管理し、庶民にも分け与えたと伝えられる。朝顔のタネもその中に含まれていたかもしれない。
国連で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)の中には「すべての人に健康と福祉を」という項目がある。日本ではかつて、海外から伝わった進んだ医療技術によって庶民が救われた。その歴史を振り返れば、創薬や医療で世界の先端に立つようになった日本には、庶民に医療が行き渡っていない国を支援する責任があるだろう。
満開の朝顔
(写真)筆者
「入谷朝顔まつり」で一番人気の「団十郎」(2019年7月8日)
71周年を迎えた「入谷朝顔まつり」(2019年7月8日)
(写真)中野哲也 RICOH GRⅢ
大林 裕子