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「事実もどき」が猛スピードで増殖する

潜望鏡 第6回

2015年04月01日

社会・生活

HeadLine 編集長
中野 哲也

 四半世紀前のバブル絶頂期、筆者は時事通信経済部の駆け出し記者として、電機や精密機械などの製造業を担当していた。世の中全体が浮かれており、その象徴である日経平均株価はぐんぐん上がり続け、1989年12月29日の終値は史上最高値の3万8915円。ところが年明けから下げに転じ、それから25年の歳月が流れたが、最高値の更新は夢のまた夢である。

 当時、筆者は旧経団連会館(東京・大手町)の1階にあった機械記者クラブを拠点としながら、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を信じて疑わない日本の産業界を取材して歩いた。毎日、狭い記者クラブで顔を合わせるから、ライバル社の記者とも親しくなる。各社のベテラン記者は午前中からマージャン卓を囲み、夕方になれば職場で杯を傾け、天下国家を熱っぽく語っていた。大らかな時代の一コマだが、今ならインターネット上で叩かれて一巻の終わりだろう。

 記者クラブでは、大手新聞社の"牢名主"のような長老記者が面倒をみてくれた。銀座の飲み屋にお供するのが嬉しかったし、記者会見での「お作法」を厳しく叩き込まれたから、今でも心底感謝している。

 バブル時代は連日、メーカー各社が新製品や新技術を発表する記者会見を開いた。広報担当者は、限られた新聞紙面に自社の記事を載せようと必死だから、プレスリリースには「世界初」や「世界最高」といった見出しが躍っていた。一方、記者にとっても「初」や「最高」は便利な表現である。書いた記事をデスクに売り込む際、強力な援軍になるからだ。

 ただし、「初」や「最高」は企業の言い値だから、本当かどうか怪しいケースもある。ところが、インターネット前史の時代だから、検索手段といえば分厚い百科事典や新聞縮刷版ぐらいしかない。だから、記者会見で鋭い質問を飛ばして発表企業を問い詰め、「初」や「最高」に本当に値するのか、あるいは大事なことを隠してないかを確認しなくてはならない。

 駆け出し記者も勇気を振り絞って質問したが、会見が終わると"牢名主"からお叱りを受けた。「なんだよ、あの甘っちょろい質問は?」「発表した新技術が軍事に転用されるんじゃないのかと、なぜ追及しないんだ」―。「何事も疑ってかかれ!」というジャーナリズムの原点を教えてくれた。

 ところで、「Factoid」(ファクトイド=事実もどき)という英単語がある。「Fact」に「Android」(人造人間)などに使われる「-oid」を付けたものであり、米国の作家ノーマン・メイラーによる造語という。事実かどうか証明されていない案件でも、何度も何度も使われているうち、「擬似事実」になってしまうという意味である。

 ファクトイドの典型的な例としては、米国のブッシュ前政権が対イラク開戦の口実として「大量破壊兵器が存在する」と繰り返し、それを日本などの同盟国や各国のメディアが信じ込んでしまったケースが挙げられる(当時、時事通信ワシントン特派員だった筆者もその一人である)。また、「STAP細胞の作製に成功」という女性研究者の発表を当初、日本中が絶賛したが、結局その正体もファクトイドだった。

 インターネット革命以降、ファクトイドは猛スピードで拡散し、増殖するようになった。だからこそ、情報の真贋を見極める力が求められるのに、現実には逆にその力が衰えている。

 企業でも学校でも、ネット上の断片的な情報に依存するあまり、自分の頭で考えられず、ストーリーを組み立てられない人間が急増したように思う。グーグルで検索した結果に疑問も抱かず、コピー&ペーストしただけの文書を量産している。

 その結果、ファクトイドが新たなファクトイドを生むという連鎖に陥ってしまう。ジャーナリズムの世界でも、小器用なだけの記者が増え、定例記者会見などは予定調和的な儀式になりがちである。「何事も疑ってかかれ!」という"牢名主"の怒声は、四半世紀が過ぎた今も、頭の中で鳴り響いている。

中野 哲也

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※この記事は、2015年4月1日に発行されたHeadlineに掲載されたものを、個別に記事として掲載しています。

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