2020年01月24日
社会・生活
リコー経済社会研究所 顧問
中村 昌弘
もう小一時間ほど歩いただろうか。目の前には依然として、仰ぎ見るほどの山道がつづら折れに続く。まだ肌寒い3月にもかかわらず、じっとりと汗ばんできた。登っても登っても尽きない山道の上り下りを、これから3度繰り返すと思うと心が折れそうになる。
ここは徳島県吉野川市の11番札所・藤井寺から12番・焼山寺へ向かう途中の道。四国八十八カ所巡り、いわゆる「お遍路」の途上と言ったほうが通りがよいだろう。長い旅の覚悟を確かめる最初の難所であり、「遍路ころがし」の異名もある。この旅も3日目に入り、16.3キロ続く道のりにトライしていたのだ。
「四国八十八カ所巡り」の遍路道
(出所)日本遺産ポータル「四国遍路」
「遍路ころがし」の最初の上り道
2019年3月、新卒で入社したリコーを退職したのを期に、前年死去した父親の供養を兼ねてお遍路を始めた。後で詳述するが、お遍路とは四国に点在する弘法大師こと空海(774〜835年)ゆかりの88カ所の霊場を巡拝することである。思い返せば、「自分の名前の由来を調べなさい」という小学校の時の宿題が弘法大師の名を知るきっかけだった。私の名前の「弘」は弘法大師にあやかったと聞き、興味の対象の1つとなった。
その過程で弘法大師が開いた四国霊場があることを知り、「いつかはその修行の場をたどりたい」という気持ちが自然と湧いてきた。在職中からお遍路に関する情報を集めてはいつ始めようか思案していたが、まとまった時間が必要なこともあり、なかなか踏み切れなかった。背中を押したのが父親の死と自らの退職だった。信仰ではなく興味がきっかけで始めたお遍路だが、実際に回ると想像以上に感じ入ることが多々あった。そのお遍路の魅力を少しでも皆さんに伝えたいと思い立ち、筆をとった。
まずは弘法大師と四国の関わりから始める。真言宗の開祖である弘法大師が生まれたのは、奈良時代後期の讃岐国(今の香川県)。たびたび四国で修行し、88カ所の寺院などを選び四国霊場を開いたと伝えられる。弘法大師は修行を通じて自らの生き方を考え、理想を追求し、苦行を重ねた。そして多くの人々にその理想を伝えたいと祈った。わたしたち一人ひとりが自らの能力を存分に発揮できる生き方で、幸福に繁栄することを理想に掲げ、それを目指し努力することを勧めていた。
その弘法大師に「同行」して霊跡をたどるのがお遍路なのだ。道中にある88カ所の寺院それぞれを「札所」と呼ぶ。1~88番まで番号が付いていて、全長約1220キロの行程を徒歩やバイク、クルマなど自分に合った移動手段で巡拝する。寺を参拝することを「打つ」と呼び、1番から88番に向かうことが「順打ち」、88番から1番に向かうのが「逆打ち」となる。全部の寺院を一度に巡拝することを「通し打ち」、数回に分けることを「区切り打ち」という。
クルマを使えば10日程度で通し打ちできるが、全行程を歩くと足の速い人でも45日前後かかる。いずれは単独で徒歩による通し打ちを実行しようと思っているが、今回はまず勝手を知るために、旅行会社が主催するツアーに参加。バスでの移動を主として要所は遍路道を歩く、全6回の区切り打ちで巡るものだった。冒頭で触れた遍路ころがしは初回の3日目に訪れる、最初の試練ともいえる。
遍路道に点在する道しるべ
参加者は旅の性格上、やはり高齢者が多く60~70歳代が大半。お遍路は初めてという人がほとんどだが、中には3周目、4周目という強者も。「先達」とよばれるガイドが同行し、道案内や寺の由来だけでなく、参拝の作法や弘法大師伝説など遍路にまつわるさまざまなことを解説してくれる。知らないことだらけの旅には、こうしたガイドは欠かせない。
参拝の手順は、まずは山門で一礼して手水場で手を洗う。その後、本堂と大師堂の2カ所でロウソクと線香、さい銭を供え、願い事を書いた札を納め、仏前勤行次第や般若心経、真言などのお経を唱える。納経所で御朱印をいただくと拝礼は終了、境内を拝観して次のお寺に向かう。
服装に決まりごとはないが、白衣(はくえ)を着ると、俗世を離れて清浄になり、無垢(むく)な状態になるといわれている。輪袈裟(わげさ)という首にかける袈裟と念珠、ロウソクと線香、経本は礼拝の必需品だ。さらに菅笠をかぶり、金剛杖を握れば正装となる。金剛杖は弘法大師の分身といわれ、杖を持つことで同行二人、つまり弘法大師に導かれながら旅をしていることになる。
筆者は少し簡略し、笠はかぶらず袖がない白衣にした。それでも日ごろ信仰とは無縁な自分が、神妙な心持ちになれるから不思議なものである。肩からは退職記念に元同僚の皆さんからいただいた袋を下げ、弘法大師のほかにも「同行者」がいると思って歩いた。
お遍路での筆者の服装
88カ所の寺院にはそれぞれ独自の由来があって、ご本尊や弘法大師をまつる本堂、大師堂のほかにも、病気治癒や子宝、商売繁盛などにご利益がある堂があり、その構成などは寺ごとに異なる。四国の自然に囲まれながら、山道や海沿い、田園を歩くのも変化に富んでいて面白い。
願い事をかなえるため、人生をリセットするため、故人を忍ぶため、癒しを求めて、自分探し...お遍路の目的は人さまざまである。思いはそれぞれに、皆ただひたすら弘法大師とともに霊跡をたどり、ひたすら祈るだけである。難しい経典を解釈し、常人が及ばぬ苦行を積む必要はない。お遍路は心の変革を求める行為でもある。別段深く考えなくとも、寺を巡っていくうちに、自ずと変革がなされていくといわれている。
実際、遍路道を歩き、寺院で参拝や読経を繰り返していると、自分自身と向き合う自分がいた。ツアーでご一緒した人たちも、己(おのれ)の変化を口にしていた。修行とは、過去の自分を振り返り反省して、今の自分を乗り越えるための課題を見つける旅―。と言った人がいたが、まさにお遍路はそれだ。
88カ所巡り終えることを「結願(けちがん)」という。結願すると達成感があり、自信がつき、次に進む活力が湧く。弘法大師の足跡を訪ねて信仰に浴し、遍路道を歩いては出会った人々の善意に感謝し、四国の豊かな自然を味わいながら、自分自身を見つめ直す旅。次回は筆者が巡拝で何を発見し、どう感じたのかを記してみたい。
(写真)筆者
中村 昌弘