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心を、そこに、置いてみる

= 柔らかく穏やかな坐禅 =

2016年01月01日

社会・生活

HeadLine 編集部
竹内 典子

 心身ともに至って健康、ありがたいことだ。でも、何か物足りない。それが何か自分でも分からない...。ふと思い立ち、東京都目黒区の閑静な住宅街にある寺を訪ねた。ここ圓融寺では「ちょっと坐ろう会」と称する坐禅の会を毎月開いており、思い切って参加してみると・・・

 国の重要文化財である「釈迦堂」には、早朝から40人も集まっていた。出勤前らしいスーツ姿の会社員やOL、坐禅歴の長そうな老夫婦、ドレッドヘアのお兄さん、外国人の女性...。参加者は実に様々だ。

 まずは全員で読経。阿純章(おか・じゅんしょう)住職による坐禅に関する法話の後、坐禅に入りやすいようストレッチを行う。座布団の上に丸い座蒲(ざふ)というクッションのようなものを置き、お尻を乗せる。足を組んで背筋を伸ばし、肩の力を抜く。顔は真正面を向き、視線を1メートル先に落とす。そうすると、菩薩のような「半眼」になる。右の手のひらに左手を重ね、左右の親指を軽く合わせる。息は吐くことを意識し、深く静かに鼻呼吸を行う。

 すると不思議なことに、ざわついた心が段々と落ち着いてくる。堂内に差し込む晩秋の朝日の美しさに魅了され、静けさを破る小鳥のさえずりが心地良い。15分ほどで住職が終了を告げ、初めての坐禅体験は終わった。すがすがしい気持ちと満たされたような幸福感が...

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圓融寺の「釈迦堂」

 一般的に坐禅は敷居の高いイベントかもしれないが、それを少しでも低くしようと奮闘している僧侶がいる。その一人、曹洞宗総合研究センター(東京都港区)で坐禅の普及活動などに取り組んでいる小杉瑞穂さんに取材した。小杉さんは「いす坐禅」をカフェで実施し、また「ヨガと坐禅の会」といった新たな趣向を通じ、「柔らかく穏やかな」坐禅の体験者を一人でも増やそうと努めている。

 小杉さんは主催する坐禅会の冒頭、あえて「一生懸命にやらず、適当にやるように」と話している。決してふざけているわけではない。忙しい現代人は心身ともに張り詰めて固くなっているからだ。だからこそ、「坐禅を通じて、自分の体と心のストレスに気づいてほしい。少しでも力を抜き、穏やかな時間を過ごしてもらいたいのです」という。

 坐禅といえば、長い棒で「ビシッ」と打たれる修行という印象が強い。これを警策(きょうさく)を受けるという。本来は眠気を感じて気持ちが落ち着かない時、合掌して警策を待つ。だが、初心者は「いつお願いしようか」と迷い始め、坐禅に集中できないことがある。このため、小杉さんは坐禅の前に受けるかどうか聴いている。実際の坐禅会では、参加者のほとんどが希望するという。筆者が警策を受けてみたところ、音は大きいけれど痛みはほとんどない。気持ちよい刺激になり、それが肩から腹の中心に伝わり、集中力を増すきっかけになった。

 坐禅中は「とにかく無心にならないといけない」と思う人は多いだろう。だが、小杉さんによると、「最初から無心にはなれない」と考えたほうが良いとのこと。忙しく動き回っている心の動きを、無理に止めようとしてはいけない。何か頭に浮かんでも気にしない。心に生じた「思い」を素直に放すことができれば、自然と心は穏やかに...。小杉さんの言葉を借りれば、「心を、そこに、置いてみる」ということになる。

  「坐禅を始める人に力を入れて伝えたいことは何か」と尋ねたところ、小杉さんは「力を入れないことです」―。現代社会では、情報があふれ返り、仕事や人間関係が過重なストレスをもたらす。もし、日常生活の中で5分でも坐禅を組み、立ち止まって自分を見つめ直すことができれば...。小杉さんは「坐禅を気軽に楽しむことも、禅の心の一つです」という。オフィスや家庭で心を坐らせてみませんか。

201601_ざぜん_2.jpg小杉瑞穂さん(左)

(写真)筆者 RICOH GR 使用

竹内 典子

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※この記事は、2016年1月1日に発行されたHeadlineに掲載されたものを、個別に記事として掲載しています。

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