2020年03月18日
社会・生活
リコー経済社会研究所 顧問
中村 昌弘
「四国八十八カ所巡り」の遍路道
(出所)日本遺産ポータル「四国遍路」
「かんじーざいぼーさーぎょうじんはんにゃ...」―。本堂のほうから幼い声が聞こえる。線香に火を付けてふと目をやると、祖母とおぼしき人と一緒に小学校低学年ぐらいの姉弟が、手を合わせて熱心にお経を唱えていた。
「へぇー!あんな小さな子が般若心経を空で唱えられるんだ!」―。経本の文字を必死に追うわが身と比べながら、素直に感嘆した。どこのお寺だったか記憶は定かでないが、1回目のツアーでの1コマである。まだまだお遍路をスタートしたばかりで、読経に慣れていなかったため、強く印象に残っている。
お遍路を体験して初めて気付いたが、88の各札所は巡礼の地であるとともに、地元の檀信徒の寺院であるという二面性を持っている。一説によると、その維持には100軒単位の檀家が必要とのこと。祖母と孫が並んで般若心経を唱えている場に出会うと、こういう日常こそが1200 年以上も続く寺院を支えてきたのだと実感する。
見事な山門に圧倒される(42番札所・仏木寺、愛媛県宇和島市)
また、88カ所の寺院にはそれぞれ独自の由来があって、全国から信仰を集めているところも多い。こうした寺院には多額の寄進が集まり、1人で1000万円単位に上るケースもあるという。お布施と寄進、信仰する人がいるからこそ寺院が存立する。
お遍路を支えているのは信仰だけではない。山道に階段を造ったり、要所に標識を立てたりと、遍路道の保全は地元の方々の善意がなければ成り立 たない。
例えば、44番札所・大寶寺(愛媛県久万高原町)から45番札所・岩屋寺(同)の8.4キロの区間。舗装道路から山道に入る目印として、木の根っこ付近に白地の板に赤の矢印で方向が示されていた。緩やかな傾斜が続き、視線を落としがちになるため、見落とさないようにという心遣いが感じ取れる。
遍路道に整備された目印
険しい山道に入った後も、残り距離と方向を示した標識が目に入り、元気付けられた。このほか道中各所で、倒木が道の脇に片付けられていたり、崩れかけた道を補強する土嚢(どのう)が積み上げられていたり。それを見るにつけ、遍路道を整備してくださる方々への感謝の気持ちでいっぱいになった。
方向と残りの距離を示す標識
ハード面だけではない。お遍路に食べ物や飲み物を無償で施す、「お接待文化」にも地元の好意があふれている。筆者も2回目のツアーのとき、とある事情から宿で食事がとれず、奈半利町の街中に出向いたことがあった。ふと入ったパン屋さんで、ご主人から「お遍路ですか。パンを1つお接待します。頑張ってください」と声をかけられ、とてもうれしかった。また門前の商店の軒先では、自由に持っていけるよう果物が入ったかごが置かれているのをよく見かけた。
地元の好意に癒される「お接待文化」
お遍路を分解してみると、弘法大師が開創した88カ所の霊場を「点」とすれば、霊場を結ぶ遍路道は「線」、お接待文化はさしずめ全体を包み込む「面」になる。それを支えているのは、もちろん人々の信仰や善意だ。しかし今、ここに大きな影が忍び寄る。
そう高齢化問題である。檀家の高齢化は寺の存続に直結する。また、遍路関係者や遍路沿い住民の高齢化は、遍路道や遍路施設の管理に影響する。また、お接待文化そのものが廃れる可能性も取り沙汰される。実際、内閣府の「高齢社会白書」によると、2012年に四国で65歳以上の高齢化率が30%を超えたのは高知県だけだったが、2017年時点では4県とも30%を上回り、2045年には各県とも40%台になると予測されている。
お遍路人口自体の減少も頭が痛い問題だ。四国経済連合会が2019 年6月に公表した調査によると、遍路道にある太龍寺ロープウェイ(徳島県那賀町)の輸送人員は最近5年間(2014~18年度)の平均で約7万8000人となり、1998~2002年度の平均から約4割も減少した。このため、遍路人口全体も同期間に4割程度減った可能性があるとみている。
一方、お遍路と同様に長い歴史を誇るスペインのサンティアゴ巡礼路は年々巡礼者が増加し、2000年ごろは数万人だったが、2018年には32万人に達したという。うち5割超を外国人が占めており、「アルベルゲ」と呼ばれる格安ドミトリーの整備などによって訪れやすくしたのが主因だと分析される。このほか、巡礼を題材にした米スペイン合作映画「The Way(邦題「星の旅人たち」)」の2010年公開後、米国人の巡礼者が増加したそうだ。現地の人との交流や、SNSによる巡礼の魅力の発信も巡礼者人口の拡大に貢献していると思う。
翻ってお遍路は、従前どおり信仰中心の発信にとどまっている。しかし実際歩いてみると、弘法大師にまつわる伝説や言い伝えが各所にあり、風光明媚なスポットも数多く点在している。であれば、今後はこうした歴史や風景を絡めてお遍路体験の魅力をストーリー化し、四国の他の観光資源も併せて統合的に発信していく機能が必要ではないだろうか。
道中には風光明媚な場所が多い(徳島県美波町の大浜海岸)
そのためにはまず、ITを活用したこまめな情報発信が必要だ。ガイドブックとスマートフォンが連動して寺院のガイドや遍路道の案内をするアプリは既 にあるが、その大半は「今」の情報が欠落している。
例えば、筆者が15番札所・國分寺(徳島市)を訪れた際には、本堂改修中で参拝が制限されていたが、こうした情報はガイドブックにない。また、個人の歩き遍路では計画通りに進めないことが多く、「宿の手配が当日簡単にできると便利なんだけど」という声も聞いた。また道中地元のイベント情報などを入手してそれに参加できれば、遍路自体の思い出がもっともっと豊かになるはずだ。
安全に関する情報はさらに重要だ。87番札所・長尾寺(香川県さぬき市)から88番札所・大窪寺(同)に向かって歩いているとき、「途中にスズメバチの巣がある」という情報が地元の方から入り、急きょ予定とは別の道を選んだことがあった。大自然相手の遍路では、こうした危険が常に存在する。大雨や台風の後などは遍路道の様子も一変する。安全に踏破してこそのお遍路だと考えれば、まずはこちらからの方面から着手するのがよいのではないか。
険しい山道が多いため安全情報は重要だ
では上記のような情報をどうやって収集するのか。簡単なのはお遍路自身に投稿してもらうことだ。一定の精査は必要なものの、常にアップデートしていけばリアルタイムに近い情報が入手できるようになる。お遍路同士でのコミュニティが形成されるだけでなく、インスタ映えしそうな魅力的なスポットを紹介すれば、外部への情報発信力も高ある。
こうした情報をストーリーの中に入れ込み、四国とお遍路の魅力をどんどん発信していく。多言語化すれば、海外から人を呼び込むのにも役立つ。お遍路に関わる人の裾野が広がれば、それを支えてくれる人も増える。
四国遍路を結願し、目標達成の充実感とその充実感を実現させてくれる環境のあること、その環境を支えてくれる人がいることのありがたさを実感した。この素晴らしい環境が続くことを願って、提言めいたことを記してみた。
もちろん、1回行ったぐらいでその本質を追究できたとは到底思えない。特に信仰については、弘法大師の教えに指先ほども触れただろうかと自問してしまう。案内役である先達になる資格条件の1つに「四国88カ所霊場すべてを4回以上巡拝する」があることからも、遍路を知るには複数回の巡拝は欠かせない。「裏を返して馴染(なじみ)になって」と言われるように、足しげく通ってようやく本当の姿が見えてくる。2020年はうるう年で、88番札所から1番札所を目指す逆打ちの年。ぜひ裏を返したい。
信仰と善意から成る線路を伝い、巡拝という名の列車に乗って、ゆかりの駅舎を弘法大師とともに巡る。筆者の旅はまだまだ続く...。
(写真)筆者
中村 昌弘