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北斎に学ぶ人生100年時代の生きざま

=「生涯現役」浮世絵師を貫いた90年=

2020年04月24日

社会・生活

HeadLine 副編集長
竹内 典子

 2020年2月、日本政府が発行するパスポートのページデザインが一新された。査証(ビザ)欄の下地に、江戸時代後期に活躍した浮世絵師、葛飾北斎(1760~1849年)の名作「冨嶽三十六景」の図柄が薄く刷り込まれたのだ。通称、赤富士として知られる「凱風快晴」など、鮮やかな富士山の絵があしらわれている。日本が誇る浮世絵を世界に発信する―。パスポートデザインへの採用はそんな願いが込められている。

 今、じわりと北斎ブームが広がっている。2020年が生誕260年となり、5月にはその生涯を描いた映画も公開される予定。美術好きの外国人の間でも「Hokusai」の名はよく知られており、近年は訪日客の間でも人気が急上昇している。

 ある日、筆者がスタイリッシュな美術館を探していると、すみだ北斎美術館(東京都墨田区)を偶然見つけた。葛飾北斎の専門美術館であり、北斎関連の浮世絵は約1800点の収蔵数を誇る。北斎は現在の墨田区で生まれ、人生の大半を過ごした。JR両国駅から歩くこと10分弱、銀色のアルミパネルで覆われた建物が現れる。建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞した妹島和世氏が設計を手掛け、2016年に開館した。

 広報・プロモーショングループの林由美子さんに見どころを尋ねると、「北斎は約70年間の浮世絵人生を通じ、次々と新しい画風に取り組みました。1人の絵師が描いたとは思えないほど、数多くの作品を残しています」と教えてくれた。AURORA(常設展示室)では、年代順に各期の高精細レプリカによる代表作がエピソードを交えて展示されており、北斎の豊かな才能を目の当たりにすることができる。

 北斎は19歳の時、浮世絵師の勝川春章の下に入門し、勝川春朗という名を得て、役者絵で浮世絵界にデビュー。その後、当時としては異例なことに、狩野派のほか洋画まで貪欲に学んだ。多種多様なテーマの浮世絵を手掛け、独自の画風を確立していく。

 35〜45歳頃の北斎は、うりざね顔の上品な顔立ちが特徴的な美人画を数多く残した。50代に入ると、人物から風景、動植物、妖怪まであらゆるものを題材にした「北斎漫画」を制作。図柄は約3900種に上り、「絵の百科事典」ともいわれる。後にモネやゴッホ、セザンヌといった欧州の印象派画家にも影響を与え、ジャポニズム(日本趣味)ブームの火付け役となった。

写真「巳待(みまち)」(すみだ北斎美術館蔵)

 「最近、フランスやイタリアなど海外メディアからの取材が増えているのは、海外での『波裏』(=神奈川沖浪裏)の認知度の高さとともに、(現在の欧州の漫画ブームとの関連で)北斎漫画の影響が大きいかもしれません」と林さん。年間約17万人の来館者のうち、欧米を中心に海外来館者が30~40%を占めるそうだ。

写真「北斎漫画」(すみだ北斎美術館蔵)

 北斎が変え続けたのは画風だけではない。生涯に30回近くも画号を変え、創作活動に熱中するあまり、部屋は散らかしっぱなし。片付けるのが面倒だと引っ越しを重ね、90年の生涯で何と90回以上も住み家を替えたとされる。

 もっとも、北斎の真骨頂は「生涯現役」である。代表作「冨獄三十六景」が、72歳の頃に版行された作品だと聴いて驚いた。30〜40代とされる江戸時代の平均寿命を考えればなおさらだ。それまで浮世絵の世界は美人画と役者絵が主流だったが、斬新な構図でさまざまな角度から富士山を切り取った。庶民から圧倒的な支持を受け、名所絵(=風景画)という新ジャンルを確立したのだ。

 このうち「神奈川沖浪裏」は、筆者が最も好きな作品の1つ。海外でも「The Great Wave」という名で親しまれ、世界的な人気を誇る。襲いかからんばかりの巨大な波とタカの爪のような波頭に圧倒され、波に飲み込まれそうな船に船乗りが必死にしがみつく...。波の向こうに目線を移すと、小さくも存在感の大きな富士山に惹きつけられる。林さんは「『そんな晩年の作品だったとは...』と驚かれる方が多いんです」と話す。

写真冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」(すみだ北斎美術館蔵)

 北斎の創作意欲は80歳を過ぎてなお衰えない。情熱を注ぐ先は版画から肉筆画に替わり、和漢の古典や物語、動植物を題材にして熱中する。87歳の時の作品「朱描鍾馗図(しゅがきしょうきず)」を見ると、鍾馗(=中国の厄病除けの神)のすごみが伝わってくる。その一方で、髪やひげは細部まで描き込まれ、その繊細さに息を飲む。北斎といえば、大胆な構図に関心が集まりがちだが、技術的な引き出しの多さにも驚くばかりだ。

写真「朱描鍾馗図」(すみだ北斎美術館蔵)

 (注)すみだ北斎美術館は2020年4月6日~5月7日、臨時休館。開館予定は美術館のホームページ(https://hokusai-museum.jp/)でご確認ください。

 東京・浅草で木版画の摺りを体験

 北斎作品の数々を見て触発され、自分でも浮世絵を体験したくなった。調べると、木版館・浅草店(東京都台東区)で木版画の摺(す)り体験ができるという。カナダ出身の彫師・摺師のデービッド・ブルさんが2014年にオープンした木版画専門店だ。北斎や歌川広重などの浮世絵の復刻版やオリジナルの木版画を販売。それと並んで、木版画の伝統的な摺り工程をパーティ気分で体験できる「Print Party」が人気だ。摺りとは、浮世絵の制作工程の1つ。出版社に当たる版元の指示を受け、下絵をデザインする絵師、版木を彫る彫師、和紙に色を摺る摺師が、分業で1枚の浮世絵を完成させる。

 2020年2月、米国ボストンから旅行中のベン・ハム・コナードさんと一緒に木版画を体験した。偶然にも題材となったのは、すみだ北斎美術館で鑑賞したばかりの「神奈川沖浪裏」。版木には1枚ずつ異なる模様が彫られており、5枚の版木を組み合わせて1枚の作品を完成させる。摺りの手順は、①版木に糊(のり)を置き、粉末状の岩絵具を版木に広げ、刷毛(はけ)で優しく混ぜ合わせる②湿気を帯びた紙を準備する③紙を版木の右下と左下にある溝にぴったり合わせて載せ、竹の皮で包まれた円形の「ばれん」で摺る④一色ごとに版木を替え、紙に摺り重ねる。特に重要なのが摺り方。ばれんを水平に保ち細かく動かしながら、摺るとよいそうだ。

写真真剣な眼差しのコナードさん

 

写真版木と「ばれん」

 実際にやってみると、うまく摺れない。岩絵具が乾かないうちにテンポよく摺るようアドバイスされるが、腕が疲れてしまうのだ。「体重をしっかりかけて摺ると、紙の繊維の間に色を入れることができますよ」とスタッフの志波歩(しば・あゆみ)さん。ふと横を見ると、コナードさんが体重を乗せてスピーディーに摺っている。スタッフが見守っているので大きな失敗はなく、版を進めるごとに緊張は和らいだ。中央の富士山の部分は、墨汁を使って黒色のグラデーションを刷毛で作る。そっと紙を版木からはがしてみると、鮮やかなブルーの波しぶきが現れた。スタッフから温かい拍手を送られ、うれしさがこみ上げてきた。

 帰り際、腕がパンパンに張っていることに気付いた。江戸時代の摺り師は1日何百枚も同じ仕上がりになるよう摺っていたというから、恐れ入るばかりだ。北斎は死の直前、「天我(てんわれ)をして5年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」、つまりもう5年の命があれば本物の浮世絵師になれたという言葉を遺したという。 歳を重ねても、いや重ねたからこそ、何かに挑み続ける姿は美しい。「人生100年時代」が叫ばれる今、「生涯現役」を貫いた北斎の生きざまから学ぶことは少なくない。知れば知るほど勇気をもらえる気がする。

 (注)木版館・浅草店は4月24日現在、臨時休業中。営業日はホームページ(https://mokuhankan.jp/index.php?route=common/home)でご確認ください。

(写真)筆者 RICOH GR

竹内 典子

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※この記事は、2020年3月31日発行のHeadLineに掲載されました。

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