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メディアの未来を考える 金山勉・立命館大教授との対話

潜望鏡 第3回

2014年04月01日

社会・生活

HeadLine 編集長
中野 哲也

 インターネットの急激な発展により、情報は一瞬のうちに国境を越えて地球を一周する。携帯電話1台あればだれもが「メディア化」する時代になり、紙や電波を媒介にして情報を有料提供していたマスコミは自己変革を迫られている。将来、メディアはどう進化していくのか。立命館大学の金山勉教授(マスコミ学)との対話を通じ、この問題を考えた。

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編集長 「無冠の帝王」として君臨してきた新聞業界にも、デジタル化の荒波が押し寄せている。

教授 日本では、日経、朝日両紙が牽引する形で新聞のデジタル化が加速している。日経電子版は有料会員が30万人を突破し、損益分岐点を超えるようになるのではないか。その一方で、新聞記事は新聞社の紙面やウェブサイトだけでなく、ヤフーなどのポータルサイトで盛んに読まれるようになった。「新聞離れ」が指摘されるが、若者が新聞記事に接する機会は意外に増えている。そういう意味で全国紙の一部は存在感を維持しており、地方紙がデジタル化にどう対応していくのかに注目したい。

 米国の新聞界では一時、USAトゥデー紙がそれまで同国に存在しなかった「全国紙」のポジションをつかんだ。ところがそれに慢心したのか、電子化の波に乗り遅れてしまい、ウォール・ストリート・ジャーナル紙のデジタル戦略にやられた。それに続いて、ニューヨーク・タイムズ紙も有料会員を伸ばしている。「紙」にこだわるほど、「負け組」になる。本来、新聞社は必ずしも「紙に印刷する会社」ではない。情報の伝達手段はどうであれ、「新しく聞いたものを伝える会社」という原点に返る必要がある。

編集長 雑誌も電子化への対応を迫られているが。

教授 雑誌はゲリラ的というか、自由なジャーナリズム活動を持ち味にしてきた。新聞やテレビのような時々刻々ではなく、週刊あるいは月刊という一定タイムスパンの中で読者に読ませなくてはならない。

 生き残り戦略の基本はやはり、電子化になるだろう。今の若者は漫画のページをめくるのではなく、パネルをスライドさせて読んでいる。将来、情報のほとんどを「指で読む」ようになり、紙を手に取らなくなるかもしれない。ただし画面を読むだけで、人間の記憶や理解という能力が身につくのだろうか。疑問が残るところだ。

編集長 ネット時代でも、テレビは健闘しているようにも見える。

教授 ソチ冬季五輪では私も眠い目をこすりながら、テレビの前で女子フィギュアスケートの浅田真央選手らを応援していた。「今ここで起こっているコト」を提供し、視聴者に同時感覚を与えられる能力が、テレビの最大の強みだ。録画ではなく、リアルタイムで見たい、知りたい、聞きたいという欲求は、人間の本能だと思う。料理を「熱々」で食べたいのと似ている。

編集長 例えば、サッカーのW杯でグーグルなどが独占放映権を獲得し、ネット配信を行うようになると、テレビの「最大の強み」も怪しくなるのではないか。

教授 そうなれば確かに、放送と通信の関係が劇的に変わり、その間の垣根が消えてしまうかもしれない。その際に問題となるのは、「だれでも見られるのか」という公共性。ネット配信の場合、番組を見たい人が専用の機器を買い、通信回線を使ってコンテンツ提供者にアクセスし、その対価を支払わなくてはならない。ただし、テレビでも公共放送は国民に視聴料を求めるから、タダというわけではない。

 一方、テレビ局も公共か民間かを問わず、ニュースを中心としてネット配信に乗りだしており、将来は放送を免許事業の枠の中に閉じ込めておけなくなる可能性がある。テレビが世界最大級のメディアイベントであるW杯をどれぐらい美味しく料理できるかで、最終的に「ネットVSテレビ」の勝敗が決まるだろう。

編集長 デジタル化によって、ジャーナリズム自体が変質したように思う。記者会見では、記者がアヒルの水かきのようにキーボードをたたいて、情報を集めることだけに熱中している。

中野 哲也

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※この記事は、2014年4月1日に発行されたHeadlineに掲載されたものを、個別に記事として掲載しています。

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