2014年01月01日
社会・生活
HeadLine 編集長
中野 哲也
「いったい、何なのだろう?」-。真っ白い粉に見えるが、どうやら粉ではない。次から次へと目の前を通り過ぎていく。いつまで続くのだろう。それにしても...寒い。10年前の冬、成田空港に着いた男は生まれて初めて雪を見た。その瞬間、「初めて」が連続する彼の第二の人生が始まった。
男の名はエモシ・カウヘンガ。対馬(福岡県)と同じぐらいの国土に10万人余が暮らす、南太平洋の島国トンガで生まれた。朝は母の作るコメ料理に、砂糖やココナッツミルクをかけて食べる。腹が減ると、父の栽培するタロイモをほお張っていた。
英国から独立したトンガでは、ラグビーが国民的スポーツ。エモシも12歳で始め、高校卒業後はトンガ代表に選ばれた。身長2メートルに達するが、「きょうだいも皆おなじぐらいの背」という。トンガ人は世界有数の大柄な民族なのである。
エモシは国際試合で活躍し、それが大東文化大学のスカウトの目に留まり、2004年に来日。「22歳の大学1年生」になった。
埼玉県内のラグビー部合宿所から、東武東上線で都内のキャンパスまで通学した。満員電車に乗るのはもちろん、見るもの全てが「初めて」。とりわけ強烈な違和感を覚えたのが、「建物ばかりで先が見通せない」東京の街並み。祖国では最も高い建物が5階建てで、どこからでも海まで見渡すことができたからだ。
普通、トンガからのラグビー留学生は1年間日本語を勉強した後、大学に入るという。ところが、エモシは既に22歳で即戦力として期待されており、日本語学習は2カ月足らず。言葉は日々の生活の中で必死に覚えるしかなかった。
当然、体育会の厳しい上下関係も「初めて」。日本語は全くできないけれど勘の鋭いエモシは、必ずしも合理的でない独特の文化をすぐに理解した。
仲間と一緒に大量の食事を作り、元々きれい好きだから、他人のロッカーまで掃除に励んだ。トンガでは珍しい最新鋭のウェートトレーニング器具で体重を増やし、線の細かった留学生はゆうに100キロを超え、フォワードの巨漢ロック(LO)として活躍した。
しかし、祖国の両親やきょうだいの生活を考えると、働いてお金を稼がなくてはならない。3年生で中退を決断し、エモシは2007年にリコーのラグビー部「ブラックラムズ」の門を叩いた。社会人トップリーグでは1年目から敵をなぎ倒し、タックルを振り切り、トライを重ねていった。
だが、外国人選手の登録では出場機会が限られてしまう。彼は再び決断する。日本に帰化し、ミドルネームを加えて「カウヘンガ・桜・エモシ」に改名したのだ。成田空港で初めて見た雪景色が、いつの間にか桜吹雪に変わってしまう国。その感動こそが、苦しい生活を支えてくれたからだ。
来日から10年。31歳になったエモシは、流暢な日本語を操り、寿司や焼肉を何人前も平らげる。「(リコーのライバル企業である)キヤノンとの試合がすごく大事なことは分かっている」と語り、社会人選手の自覚も日本人に引けを取らない。今もトンガ代表だが、本当は日本代表になりたいという。しかし、現行の国際ルールではその夢はかなわない。
家族思いのエモシだから、愛妻と愛娘が何カ月も里帰りしてしまうのが、とても寂しそうだ。常夏のトンガなら一年中タンクトップで暮らせるが、「東京では冬になると、妻も娘も寒くてずっと家にいる」-。だから、日本の寒い時期はエモシが一時帰国する。
その際、着古されたラグビージャージを、スーツケースが一杯になるまで詰め込む。トンガではジャージが全て高価な輸入品であり、一般の家庭ではなかなか手が届かないからだ。ラグビーを教わった故郷への恩返しなのだろう。
エモシは今回の取材を受けている間、強さと優しさの交じり合う不思議なオーラを発散していた。それこそが、2メートルの巨漢をさらに大きく成長させていく原動力になると思う。
中野 哲也