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「信頼」ジャーナリズムが生き残る道

=パネルディスカッション「メディアの未来」=

2022年01月12日

社会・生活

研究主幹
中野 哲也

 新聞・テレビに代表される従来型メディアの危機が叫ばれて久しい。メディア業界が危機から脱する出口を見つけられず迷走する間、インターネット全盛時代になりSNSが急速に台頭した。果たしてメディアの未来はどうなるのか。われわれの社会は健全なジャーナリズムを維持できるのか。メディア出身の識者に集まってもらい、パネルディスカッションを実施した(2021年11月8日)。

<パネリスト>
金山 勉氏 金沢工業大学基礎教育部教授(元テレビ山口記者・ニュースキャスター)
田中 博氏 リコー経済社会研究所客員主任研究員、ジャーナリスト(元週刊ダイヤモンド編集長、元西日本新聞記者)
松林 薫氏 リコー経済社会研究所客員主任研究員、社会情報大学院大学客員教授(元日経新聞記者)
<モデレーター>
中野 哲也 リコー経済社会研究所研究主幹、日本危機管理学会理事長(元時事通信経済部記者・ワシントン特派員)

写真

パネリスト・モデレーター
(写真)新西誠人

Ⅰ.コロナ禍が変えた市民の対メディア意識

 モデレーター・中野哲也 2021年秋、フランスの経済学者・思想家であるジャック・アタリ氏の「メディアの未来」(林昌宏訳、プレジデント社、2021年9月)が刊行された。この中で、アタリ氏は新型コロナウイルス感染拡大下の情報発信について、「SNSも従来のメディアも果たすべき役割を果たさなかった」と指摘。

 とりわけSNSに対し、「数多く出回った虚偽により、大勢の命が失われた」と批判している。

図表

「メディアの未来」(ジャック・アタリ、林昌宏訳、プレジデント社、2021年)
(出所)プレジデント

 では日本において、新型コロナはメディアと市民の関係にどんな影響を及ぼしたのか。新聞通信調査会の「メディア接触の変化」では、民放テレビのニュースやインターネットのニュースが大幅に増加。一方、新聞はそれほど増えていない。

新型コロナが広がる前後でのメディア接触の変化(n=3064)

図表

(出所)新聞通信調査会「メディアに関する全国世論調査」(2020年)

 また、総務省の「主なメディアの平均利用時間」を見ても、右肩下がりだったテレビはコロナ禍で微増。だけど、インターネットの伸びがすさまじく、テレビを逆転した。一方、新聞は横ばいでラジオに負けている。コロナ禍でなぜこうした変化が起きたのか。

主なメディアの平均利用時間(全年代)

図表

(出所)総務省情報通信政策研究所「令和2年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書」

 松林薫氏 メディアの接触時間が増えたのは、テレビを見る機会が少なかった人が、在宅勤務の普及によって視聴時間が増えたからだ。もちろん、新型コロナの情報を知りたいという大きなニーズがあった。

 田中博氏 機器・デバイスの視点からも考えたい。例えば以前は、新聞は紙でしか読めないし、テレビは受像機でないと見られなかった。ところが、2007年にアップルがiPhoneを発売して以降、スマートフォンが急激に浸透。日本では携帯電話の普及台数が人口をはるかに上回っている。当然、メディアに接触する時間は増える。

 金山勉氏 「信頼できるものは何か」「政府の情報がどれぐらい正しいのか」など、コロナ禍で社会全体が疑心暗鬼状態に陥り、市民が手当たり次第にメディアに接触したということも起きたと思う。

 中野 どんなにテクノロジーが発展しても、人間が使える時間は1日24時間で一定。このため、さまざまなメディアが人々の時間を奪い合っているが。

 金山 例えば、テレビとYouTubeの境界は消えたと指摘される。若い世代にとっては、どちらも「伝送される映像コンテンツ」で変わりがないからだ。「情報を得られるものは何でもよい」というシフトがコロナ禍で鮮明になった。

 中野 テレビでは民放の接触が増えた。

 田中 NHKとの対比では、民放は視聴者の目を引きやすい番組を作っていると思う。信頼性があるかというと、それには疑問符も付くが...。新型コロナに関して何が本当なのか分からない状況下、幅広い情報を得ようとすると、NHKからはかなり慎重なフィルターの掛かった情報が目立った。民放は物量的にも多かったし、視聴者にとって使い勝手が良かったと感じる。

 中野 新聞は「使い勝手が悪いメディア」と受け止められたのか。

 田中 新聞は(一定のページ数など)物量にかなり制限がある。しかも、「政府側に立っている」「面白くない」という見方もされていた。逆に民放は「難しいことでもざっくり言ってくれる」と受け止められたのだと思う。

 金山 NHKは全国にローカル拠点を置いている。しかし、地方の民放はそれ以上に地域密着を標榜してきた。今回、「新型コロナの感染状況は全国的にこうです」というより、「自分の身近なところはどうなのか」という情報ニーズが高まり、それがコミュニティのラジオ放送も含めて民放の接触増加に影響したように感じる。

 松林 新聞通信調査会の調査結果では、「東京や大阪など一部の地域ばかりを取り上げていた」という市民の不満も浮き彫りになった。阪神・淡路大震災や東日本大震災の際には、地域密着型のローカル放送が信頼を獲得していた。だが今回の新型コロナ報道はどちらかというと中央主導であり、そこに市民の不満があったのではないか。

 中野 新型コロナ関連情報の入手先でも、民放テレビが圧倒的に多い。一方、地方紙も健闘しており、全国紙と3ポイントぐらいしか差がない。

 田中 地域のメディアは非常に重要だと思う。普段はあまり注目しないが、例えばお悔やみ、出生、それから(各企業の)支店長の異動とか、非常に細かい情報はやはり地方紙が強い。西日本新聞の記者時代、「これをおろそかにしたら、われわれに生きる道はない」というのが社内コンセンサスとして存在していた。ワクチンの接種状況をはじめ、いかに小まめに情報を出していくかは、まさに地方紙やローカルテレビ局の腕の見せ所で活躍の場だったと思う。

新型コロナウイルス感染症に関する情報入手方法 (複数回答、n=3064)

図表

(出所)新聞通信調査会「メディアに関する全国世論調査」(2020年)

Ⅱ.市民はどのメディアを信頼しているか

 中野 新聞通信調査会の「各メディアの信頼度」を見ると、僅差だけど新聞が1位だが。

各メディアの信頼度(n=3064)

図表

(出所)新聞通信調査会「メディアに関する全国世論調査」(2020年)

 金山 これは一般的に出てくる傾向だと思う。取材・編集などの人材確保や一連の報道体制が信頼度に反映している。

 中野 ただし、「新型コロナ報道の印象」では新聞は必ずしも評価されていない。

各メディアの新型コロナウイルス報道の印象(単位%、n=3064)

図表

(出所)新聞通信調査会「メディアに関する全国世論調査」(2020年)

 田中 メディアに対する信頼感は永遠のテーマでありつつも、コロナ禍のような大問題が発生した際、より強く問われてクローズアップされる。今回のように情報市場が拡大すると書き手も急増する。専門家がいれば、単なるアジテーターもいる。まさに玉石混交の状態になった。

 どうやったら一番目立ち、ポジションを取ったニュースを繰り出せるかといったことが起こり、読者に非常に偏った見方を提供しかねない。フェイクニュースはその象徴だ。技術の進化によって見分けが非常に難しくなり、本物のニュースに紛れ込んでくる。玉石混交と言いながら、実は玉と石の見分けがつかない状況。こういう状態では分断や社会の対立を生みすい。

 中野 アタリ氏は前掲書で「ツイッターでは、フェイクニュースは真実よりも6倍の速さで伝わる」と指摘している。フェイクニュースが広範囲に拡散すると、インフォメーション+エピデミック=インフォデミック(=噂やデマも含めて大量の情報が氾濫、現実社会に影響を及ぼす現象)になる。これが非常に怖い。

 金山 医師は患者に対し、「こうしたら必ず熱が下がる。その途中では一時的にものすごく苦しいが、一定期間を経過したら落ち着いてくるから」などと助言する。ジャーナリズムも「最初は世の中こんなヒステリックになるが、でも落ち着いて社会をよく見てほしい」と発信しなければならない。コロナ禍のように生命に関わる事態が起きたとき、専門的なバックグラウンドを持ったジャーナリストやメディア人が「どうなるか」を発信することが、実に重要だと思う。

 ネットの世界も含め、さまざまなことを社会が決定するのではなく、デファクト化するようになった。大勢を占めるものが何かということだ。コロナ禍でも専門家の間でそうした傾向が出てきた。だれも100%正しい回答を出せず、政府の政策などに照らし合わせながら最大公約数的な答えしか出しづらい。

Ⅲ.危機に瀕するジャーナリズム

 中野 そもそもコロナ禍前から、「ジャーナリズムの危機」が叫ばれていた。その危機とは何だろうか。一方、健全なジャーナリズムとはどういうものなのか。

 松林 ジャーナリズムの危機には、メディア企業の「経営」と「中身の質」が密接に関連している。実は、1950~60年代に書かれた本にもジャーナリズムの危機と書かれている。ただし今の危機は、「記事の質が落ちざるえないこと」だ。その最大の理由が「経営」の部分にある。

 従来型メディアから読者・視聴者・広告主が離れていき、わたしが新聞社にいた15年間で経費がどんどん削減された。記者の数が減ると、カバーできる範囲も狭くなる。最近は働き方改革が必須になり、記者の取材時間が減った。かつては長時間労働を前提に、マンツーマンで次世代の記者を育てていたが...。取材技術やジャーナリズム精神の伝承が難しくなり、それが報道の質にも影響していると思う。

図表

ジャーナリズム精神の伝承は?(イメージ)
(出所)stock.adobe.com

 田中 人、情報、お金という3要素の劣化だ。人は「記者・編集者の質」、情報は「記事・報道の質」、お金は「経営」である。その3つの同時劣化で従来型メディアは負のスパイラルに陥っている。さらに、それぞれが単体で劣化する要因もある。例えば記者でいうと、今の若い人はほかにもっと魅力的な職業があればそちらを選ぶ。「記者は大変だ」という認識があるからだ。その結果、人材の質が低下し、それが報道の質にも表れている。

 情報の劣化では、権力に媚びることが新聞の世界では顕著になった。本来、記者は世の中に向けて書かなければいけないのに、権力者など取材先を向いている。一方でそれは週刊誌側にはチャンスになった。新聞が書かない情報を書くことにより、独自の視点を提供できるからだ。

 松林 一言でいえば、新聞社が権力側に立ったのだ。例えば消費税に関して、1989年の消費税導入時には「逆進性があり、低所得者に厳しいじゃないか」という批判記事が目立った。今、現役の記者と消費税率引き上げの議論をすると、彼らは「月に数千円負担が増える程度で...」と平気で言う。記者が豊かになり、いわゆるエリート層としか接することがなくなり、市民感覚を失いつつあるのでは。むしろ為政者の感覚に近くなり、これが長期的な記事の質の低下につながっている。

 中野 こうした中で、週刊文春は「文春砲」と呼ばれるようにスクープを連発し健闘している。従来型メディアがその後追いを迫られることも少なくない。

 金山 新聞から出てくる調査報道が少なくなったのは、態勢を組んで人材を割き、記者に時間を与える環境がないことが致命的だと思う。そんな中で、週刊誌は記者クラブに入れないから、「外側」で新聞社から漏れ聞くような状況でゲリラ的に動いていた。今の混沌とした状況の中で、取材対象に「聞きたいものを聞く」ということを貫いてきた「文春砲」はまさに時代と合致したのではないか。

 松林 外形的なことを言えば、新聞社も調査報道を手がけるようにはなった。調査報道の班やグループも創っている。直近では、ICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)と一緒に取材をするなど、新しい流れも見られる。経営面から見ると、これは必然だといえる。お金がなくなると、すべての記者クラブに人を配置して細かく情報を取得することもできない。

 そうすると一点豪華主義になり、チームを組んで「でかいのを当ててやろう」という意識が出てくる。

 しかし、それが権力を脅かすような存在になれるのかというと、違うと思う。やはり、新聞が権力側の感覚に近づいてしまったのだ。例えばカナダの文明批評家マーシャル・マクルーハンの「メディア論」の中の新聞の項目を見ると面白い。すごく軽薄で暴露的だと書いてある。つまり、この本が発行された1964年当時、新聞はそのように位置付けられていた。

 その「新聞」を「インターネット」に入れ替えると、彼の箴言(しんげん)は今も通じる。つまり当時の新聞は今のインターネットに近いメディアであり、乱暴なところがあるし、下世話なことにも口を挟みつつ、その一方で権力に対して容赦はなかった。だがそれは1960~70年代がピークであり、以降は段々と権威側の感覚に寄ってきてしまった。というのが、長いスパンで見た時のジャーナリズムの変質だと思う。

Ⅳ.激減した新聞の発行部数

 中野 日本新聞協会によると、新聞の発行部数は2000年の5370万部から2020年には3509万部と35%も減少している。

新聞の発行部数と1世帯当たり部数

図表

(出所)日本新聞協会

 田中 おそらく、新聞のビジネスモデルは日本が世界で最も成功したのだと思う。江戸時代からの識字率の高さと、全国をカバーする戸別宅配制度に支えられたからだ。

 では新聞が信頼され、国民が競うように読んでいたかというと、疑問符が付く。例えば、昔の新聞各社による拡張には、連載小説などで部数を伸ばしてきたという歴史がある。ラ・テ欄(ラジオ・テレビの放送予定が掲載されているページ)を大方の新聞が紙面の最後に掲載していたのも、読者にそのニーズが強かったからだ。

 あるいは折り込みチラシ。以前はその特売情報を見てスーパーに行った。ところが、連載小説は電子書籍に取って代わられた。テレビを見る人が減り、ラ・テ欄のニーズも縮小。チラシはネット広告で済む。新聞購読の隠れた原動力が剥がれ落ちているのが現状だ。

 松林 米国では今、「ニュース砂漠」が叫ばれ、地方紙がどんどん潰れている。その大きな理由は、広告収入が入らなくなったからだ。売ります・買います情報や折り込みチラシで稼ぐビジネスモデルだったのに、それがネットに流れてしまった。

 中野 新聞が売れないのに、再販制度(再販売価格維持制度)などを理由に販売価格を引き下げない。

新聞の購読料(性・年代別)

図表

(出所)新聞通信調査会「メディアに関する全国世論調査」(2020年)

 金山 1990年代から再販制度の是非をめぐる議論はずっと続いているが、新聞業界は「この制度があるからこそ、良い記事が書ける」と主張してきた。

 田中 新聞社の経営陣の頭の中には、「値段を下げて部数を取りに行く」という考えがないのでは。一部の新聞は値下げしたが、それでも部数は伸びなかった。「それ見たことか」と他の新聞社は思ったのでは。今後の選択肢としては、値段は変えないが、電子版でも読めるなどオマケを付けていくのではないか。

 松林 販売価格を引き下げると経営していけないのかというと、必ずしもそうではないと思う。月額1000円程度のネットメディアで、そこそこ良い業績を収めているところもある。

 田中 シルバー世代に新聞の購読者が一定数いるため、「その世代は寿命尽きるまで取ってくれるだろう」という変な楽観論が新聞業界にあるのではないか。外から見ていると恐ろしい右肩下がりなのに、業界の中にいると「うちだけじゃないから」と慰めているのかも。まさに「ゆでガエル」なのだけど...。

Ⅴ.ニューヨーク・タイムズは電子版で成功

 中野 米紙ニューヨーク・タイムズ(NYT)は経営の軸足を紙の新聞から電子版に移し、成功を収めている。なぜ日本の新聞社はできないのか。

 田中 NYT に限らないが、米国のメディアには英語の強みがある。米国外の人が国際的なニュースをどこで得るかというと、米国の主要メディアになる。電子版で時差がなくコストも安く提供するから、その市場が広がっていく。NYTは「2025年までに有料読者数1000万人の実現」を経営目標に掲げる。実現すれば、地方紙が林立していた米国で事実上初の「全国紙」になり、海外の読者もさらに増えるのでは。それを真似て日本の新聞社が日本語でできるかというと、今の日本の経済力や情報発信力では正直難しい。

 松林 NYT は2010年代半ばに社を挙げて意識改革を断行した。その報告書を読むと、NYT退職者も含めて非常にたくさんの人にインタビューしながら、デジタル化にどう取り組むかを相当真剣に考えている。その問題意識を編集局と共有化したことが大きい。日本の新聞業界でも、ある種の革命的なガラガラポンを経ないと今の状況を変えられないのではないか。

写真

電子版で成功を収めた米紙ニューヨーク・タイムズ
(出所)stock.adobe.com

 中野 NYTのホームページでは、クリックするだけで画面が中国語やスペイン語に変わる。日本の新聞社もできるのではないか。

 松林 英語であれば、最先端の翻訳ソフトはほぼ完璧に日本語などの外国語に訳してくれる。逆に、日本語をそのまま海外の言語にするのは非常にハードルが高い。しかし、いつまでも無理かというと、決してそうではない。日本語の訳しにくさの理由は、語順がバラバラで主語が明確でないということ。だから、多少不自然な日本語であっても、AI(人工知能)に認識できるように書いてあげれば、外国語に翻訳できるようになる。

 中野 NYTのように進化できなければ、日本の新聞は読まれない、売れない、だから経営が悪化する。だったら、いろいろな新聞を1つのポータルサイトで読めるようにしたらどうか。各紙の主張の違いも一目で分かり、読者に有益なのでは。

 田中 以前、朝日新聞、日経新聞、読売新聞の3社が「ANY」(正式名称「あらたにす」)という共同プロジェクトを立ち上げたが、結局、社説を出し合うぐらいの小ぢんまりとした話で終わってしまった。

 その背景には主導権争いがあったのではないか。取材現場で鎬(しのぎ)を削り合い、ライバル意識も強烈だった。時が流れて今ならできるか。当時のトラウマが大きくて話が進まないのではないか。むしろ第三者が旗を揚げれば、寄ってくるかもしれないが...。

Ⅵ.従来型メディアは生き残れるか

 中野 アタリ氏は「ジャーナリストという職業はこれまで以上に重要になる」と予測しているが、果たしてどうか。日本のジャーナリストの大半は、大手マスコミに勤めるサラリーマン記者だが。

 田中 ジャーナリストはフリーになっていかざるを得ないと思う。新聞社の経営問題もあり、今のような高給な記者をたくさん抱えられないからだ。既に「週刊文春」では、腕に自信のあるジャーナリストが一定期間所属した後に、フリーとして独立するケースが多い。そうなってこそ、職業は「新聞記者」「雑誌記者」ではなく、ジャーナリストと名乗れるのではないか。

 中野 AIが記事を書くというテクノロジーが出現し、実用化済みだ。簡単な記事は人間が書かなくてよいのではないか。

 松林 日経新聞では新人がまずやるのが、各企業の決算発表の記事化だ。四半期ごとに何十社という決算原稿を速報処理する。ものすごい負担だったから、今は一部をAIが処理をするようになった。読んでみると、びっくりするほどきちんと書けている。人間が書いたものと遜色ないぐらいだ。「発表処理」という定型記事は機械処理が当然になる時代が、日経に限らず意外と早く訪れるのではないか。

 もちろん、AIは決算発表をそのまま「ヨコタテ」、つまり横書きのプレスリリースを縦書きの要約記事にしているだけ。怪しいところを見つけ、取材して深堀しながら、「御社は粉飾決算をやっていませんか」と追及するのは人間だと思う。ジャーナリストの仕事は人間じゃないとできないものに特化していく。だから、より専門性を高めなければ生き残れない。単に文章がうまく、要約がうまいだけの記者は要らなくなる。

図表

AIが決算記事を書く時代に(イメージ)
(出所)stock.adobe.com

 中野 どんな時代になっても、ジャーナリズムに不可欠な要素は、読者からの「信頼」だと思う。日本のメディアが信頼を回復し、生き残るためにはどうしたらよいか。

 金山 AIが進化していく中で、メディアは調査報道に代表される「深堀りするジャーナリズム」を具現化する仕組みをつくっていくしかない。経営状況が厳しい中でも、本当にジャーナリズムの本質的なあり方を信じる人たちが集まってくれば、その組み合わせでジャーナリズムの良心・良識を実現させる素地は整う。

 田中 今、問われているのは、ジャーナリズムだけではなく、国のあり方ではないか。日本の迷える方向性を示す役割がきちんと果たせれば、市民が有難みを感じるジャーナリズムになるのではないか。従来型メディアではなく、日本自体が生き残れるか否かという岐路に立っていると思う。

 松林 ジャーナリズムが存在価値を維持したまま生き残るか否かは、メディアに信頼感があるかどうかだと思う。それを維持する上で最も大切なのは、メディアの独立性だろう。

 経営の独立性があって初めて編集の独立性がある。権力からはもちろん、大衆からも独立していなければいけない。ジャーナリズムの精神や独立性を確保するためなら、何でもやるという気概が必要だ。メディア界にそういうリーダーが出てくるよう期待したい。

写真

ジャーナリズムは生き残れるか?
(写真)竹内典子

中野 哲也

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※この記事は、2022年1月5日発行のHeadLineに掲載されました。

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