2022年05月23日
社会・生活
研究員
今野 隆哉
ロシアによる侵攻以降、西側社会では著名人がウクライナ支援を訴え続ける。ロック界のレジェンド、元ビートルズのポール・マッカートニー氏(以下「ポール」)もその一人だ。侵攻開始から5日後の3月1日、ポールはツイッターにウクライナの首都キーフ(キエフ)で2008年に開催したコンサートの写真を投稿。「困難な状況にあるウクライナの友人に思いを馳せ、愛と支援を送ろう」と声を上げ、国連児童基金(ユニセフ)や国際NGOセーブ・ザ・チルドレンなどの募金リンクを紹介した。
キーフ・コンサート(2008年)
(出所)ポール・マッカートニー公式ツイッター(@PaulMaCartney)
このコンサートは、「オレンジ革命」(2004年)から対立が続いていた、ウクライナの親欧州派と親ロシア派の融和を目的に開催された。キーフの独立広場には35万人以上が集まり、それ以外の6都市でもライブビューイングに19万5000人が参加。テレビ中継も加わり、合計で1000万人以上のウクライナ国民がポールのパフォーマンスに熱狂したという。
現在、ポールは全米ツアー「GOT BACK」(2022年4月28日~6月16日)を展開中。アンコールでは、大きなウクライナ国旗を振りながら登場する。79歳とは思えないエネルギッシュな姿が、ウクライナや連帯する各国の市民に勇気を与えている。
そして、ビートルズ時代(1960~70年)の盟友、故ジョン・レノン(以下「ジョン」)在りし日の映像を大型スクリーンに投射。名曲「I've Got A Feeling」を54年ぶりに共演してみせ、観客を驚かせている。
ビートルズではジョンとポールが類まれな才能を発揮し、ヒット曲を量産した。ただし前者は政治志向が強く、後者は菜食主義・動物愛護者。対照的な性格の2人の確執が解散を招いたことは周知の事実だ。
しかし、その後の2人の関係はあまり知られていない。「ポール・マッカートニー 告白」(ポール・デュ・ノイヤー、DU BOOKS、2016)の中で、ジョンの暗殺事件(1980年)の前に、ポールは関係を修復できたと明かしている。「ぼくがうれしく思うのは、ぼくらが結局、最後の何年かで仲直りできたことなんだ」「だってもし仲たがいしたままでああいうことになっていたら、ぼくは今ごろ、ボロボロになっていたはずだからだ」―。
そして、ジョンの死後10年ほど、ポールはツアー活動を封印。再開した1990年、ビートルズが結成された英リバプールで公演した際、ポールは初めてジョンの曲を演奏する。当時の心境を次のように吐露する。
「あんまり大げさにはしたくなかったんだ。"偉大なる聖なる思い出のために"みたいな感じで、もったいぶるのは嫌だった」「なかには生まれてはじめてうたうジョンの曲もあったから、どうしたってグッとくるものがあったけど。やるならリバプールと決めていた--あそこ以外の場所は考えられない」(前掲「ポール・マッカートニー 告白」)。
その後、ポールはツアー活動を精力的に展開、ジョンの曲も積極的に取り入れた。冒頭に紹介した2008年キーフのコンサートでも、ジョンのベトナム反戦歌「Give Peace A Chance(平和を我等に)」を演奏。ロシアの影におびえる市民を力強く激励した。
今回の全米ツアー終了直後の6月18日、日本風に言えばポールは傘寿(80歳)を迎える。ビートルズの名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967年)の中で、「ぼくが64歳になっても必要としてくれるかい」と歌ったポール。それどころか傘寿になっても、世界は今、このアーティストを必要としている。
今野 隆哉