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AIは「無意味な仕事」を駆逐する?

 人の性(さが)が未来を左右

2023年07月11日

社会・生活

客員主任研究員
松林 薫

 米新興企業オープンAIが開発した生成AI(人工知能)「チャットGPT」に対する期待と不安が交錯している。人間と区別がつかないほどの「対話力」を備え、複雑な作業も一瞬でこなす。便利な反面、人間の仕事を奪ってしまうのではないか、というわけだ。AIは私たちの仕事をどう変えていくのだろう。

1日3時間も働けば十分

 英国の経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、1930年にこんな予言を残している。「私が導く結論は、大きな戦争や人口の極度の増加がないとすれば、経済問題は百年以内に解決するか、少なくとも解決が視野に入ってくる、というものだ」(「孫たちの経済的可能性」山形浩生訳)。

 技術は進歩し続け、生み出された資本は積み重なっていく。先進国の経済は100年後には8倍豊かになるだろう。そうなれば、人々は1日3時間も働けば十分に食べていける。経済問題から解放された人々は時間を持て余し、生きがいを見つけることに苦労するようになるのではないか―。これがケインズの見立てだった。

 ケインズが「1日3時間労働」が実現すると考えた2030年まで10年を切った。国内総生産(GDP)や生産性の数字に関する限り、ケインズの予言は実現しつつあるように見える。チャットGPTの登場は「働かなくてもいい社会」実現に向けた最後の一押しになるのだろうか。

それほど甘くはない

 世の中、それほど甘くはないようだ。人々はAIの進化で遊んで暮らせるようになるどころか、失業の不安に怯えている。

 米ブルームバーグが5月2日に配信したインタビュー記事によると、米IBMのアービンド・クリシュナ最高経営責任者(CEO)は、AIで代替できそうな約7800人分の業務について、新規採用を一時停止するかペースを落とすと述べたという。AIが雇用を奪うのではないかという懸念が、現実のものとなりつつあるのだ。

 実は、AIの進化がもたらす「テクノロジー失業」については約10年前、米マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者エリック・ブリニョルフソンとアンドリュー・マカフィーが「機械との競争」(日経BP、村井章子訳)を発表して議論になった。

「チェス盤の法則」

 著者らが注目したのは、コンピューターの世界ではよく知られた二つの法則だ。一つは集積回路の性能が18カ月ごとに倍増するという「ムーアの法則」。もう一つは、そうした倍々ゲームがある段階を過ぎると人間の想像をはるかに超えて急加速するという「チェス盤の法則」である。

 著者は、米商務省経済分析局が設備投資の対象に「情報技術」を加えた1958年を「IT元年」として二つの法則を当てはめると、チェス盤の最後のマス目(コンピューターの性能が爆発的に向上する段階)に到達するのは2006年だと指摘する。米グーグルの自動運転車などはその表れで、「指数関数的な進化が私たちを驚愕させるのはこれからだ」と予言したのだ。

写真機械との競争(出所)版元ドットコム

増える「無駄な仕事」

 こうした指摘を見ると、それが深刻な失業をもたらすにせよ、余暇の拡大をもたらすにせよ、人間ができる仕事はどんどん消えていく印象を受ける。ところが、世界を見渡すと全く逆の話も聞こえてくる。むしろ「無駄な仕事」が増えているというのだ。

 文化人類学者のデヴィッド・グレーバーは2018年、「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」(岩波書店、酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹訳)を発表。世の中にはブルシット・ジョブ、つまり「完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態」があふれていると指摘して注目を集めた。

 ブルシット・ジョブは「賃金が安くて誰でもできるような仕事」ではない。むしろ弁護士や金融業の一部など高給取りの専門職が含まれている。しかし、その職にある本人は「自分たちの仕事がなくなっても社会に影響はないし、むしろよくなるかもしれない」と感じ、意味があるよう取り繕っているのだという。

取り巻き、脅し屋、...

 具体的には、どんな職種なのか。グレーバーはそれを5つに分類している。

写真ブルシット・ジョブ(出所)版元ドットコム

 ①取り巻き...だれかに偉そうな気分を味わわせるためだけに(あるいはそれを主な理由として)存在している仕事。
 ②脅し屋...脅迫的な要素を持っており、その存在を他者の雇用に全面的に依存している仕事。
 ③尻ぬぐい...組織に欠陥があるために存在しているにすぎない仕事。
 ④書類穴埋め人...ある組織が実際にはやっていないことをやっていると主張できるようにすることが主要ないし唯一の存在理由であるような仕事。
 ⑤タスクマスター...もっぱら他人への仕事の割り当てだけからなる仕事か、他者のなすべきブルシットな業務をつくりだす仕事。

 例えば「取り巻き」職の一つは企業の受付係だという。最近は受付をロボットに置き換えるホテルや飲食チェーンが増えている。つまり、効率性を追求するなら真っ先に機械化できる仕事だ。ところが、一部の企業は高級なイメージを演出するためだけに「人間の受付係」置いている。

意義を見出せず

 「脅し屋」は企業に用心棒として雇われている顧問弁護士や、人々のコンプレックスをあおって美容品を売るコールセンターの営業職などが当てはまる。こうした仕事についている人々の一部は、自分の仕事に社会的な意義を見出せず悩んでいるという。

 資本主義とは本来、徹底した効率追求のシステムだ。本当に「なくてもよい仕事」なら、民間企業はAIやロボットに置き換えるだろう。しかし現実には無駄な仕事があふれ、増えているようにさえ見える。世論調査会社YouGovによる英国での調査では、「あなたの仕事は世の中に意味のある貢献をしていますか」という質問に対し37%が「していない」と回答したという。

 このパラドクスをどう理解すればいいのだろう。

 結局、人間は働かなければ生きていけない動物なのかもしれない。AIが引き起こす失業の恐怖は、一義的には収入の問題だ。しかし、仮に最低所得保障(ベーシックインカム)が実現したとしても、人々は遊んで暮らすだろうか。働くことで社会における自分の存在価値を確認しているのだとすれば、そこから切り離されること自体に苦痛や不安を感じるはずだ。これは、ケインズが100年前に指摘した懸念でもある。

今も続く1日8時間労働

 同時に、人類は仕事を考え出す天才だ。歴史を振り返れば、英国ではすでに19世紀初頭に機械打ち壊し(ラッダイト)運動が起きている。経済学者カール・マルクスは、資本家は労働者を機械に置き換えていくため、失業者が増えて革命が起きると予想した。それから150年が経ったが、技術の飛躍的な進歩にも関わらず、人々はなお1日8時間労働を続けている。新しい仕事が次々に生まれたからだ。

 かつて存在した肉体労働の多くが機械に取って代わられたように、今後は知的労働も機械化されていくだろう。その過程で仕事を失う人は出るし経済構造も影響を受ける。だが人々は、必ずそれを埋め合わせる新しい仕事を生み出すだろう。そして、その多くは必然的に経済的には本来、不要な仕事になるはずだ。だとすれば、AI時代にはブルシット・ジョブではなく、働く人が喜びを感じられる仕事をいかにして生み出すかが最大の社会課題になるのかもしれない。

仕事をひねり出す天才

 当のチャットGPTは、この問題をどう考えているのだろう。「対話型の生成AIが普及するとブルシット・ジョブはなくなりますか」と聞いてみた。

 「ブルシット・ジョブの創造や維持には、組織の社会的な要因や政治的な要素が関与している場合があります。それにより、ブルシット・ジョブは単純に技術的な進歩によって排除されるわけではなく、組織の変革や社会的な意識の変化が必要となる場合もあります。要するに、対話型の生成AIの普及によって一部の仕事は変化し、一部のブルシット・ジョブが減少する可能性がありますが、すべてのブルシット・ジョブがなくなるわけではありません」

 どうやらAIも、人間が仕事をひねり出す天才であることを知っているようだ。

松林 薫

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