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思いを正しく伝えるには

 デジタルで聴覚障がい者の垣根払拭

2023年11月01日

社会・生活

研究企画室
岩下 祐子

 国内、国外を問わず、外国人とのコミュニケーションで「言葉の壁」にぶつかった経験が誰にでも一度はあるのでは?伝えたいことを相手に伝える難しさについて考えさせられる瞬間だ。私は数十年前、フランス旅行中にこのもどかしさを経験した。

 地元の小さな店を訪れた際、店員さんに英語で話しかけたがまったく反応がなかった。それまでの旅行では、簡単な英語で話しかければ必ずなんらかの反応があったが、何と無反応とは。一瞬、聞こえなかったのではと思ったが、一緒にいた友人がフランス語で声をかけたらすぐに反応したのを目の当たりにし、絶句してしまった。

 聞こえているのに反応がない。言葉が「伝わらない」もどかしさを何度も感じた旅だった。あるフランス人から後に、「フランスでは母国語(フランス語)以外で話しかけられても反応してくれないことがあるんだよ」と教えられた。古い話なので、現在は違うかもしれないが...。

視覚情報が55%

 一般に人と人とがコミュニケーションを図る際、視覚情報55%、聴覚情報38%、言語情報7%という割合で影響を与えるという「メラビアンの法則」が知られている。

 実例を示すと分かりやすいだろう。人の第一印象は、3~5秒で決まるとされる。笑顔で話すのと無表情で話すのでは、印象がまるで違うことからも分かるように、表情やジェスチャーといった視覚情報が最初に大きく影響するのだ。これが55%。

 次に、話すスピードや声のトーンなどの聴覚情報が38%の割合で影響を与えるという。穏やかに話すか、怒鳴りながら話すか、話し方の違いで同じ内容でも相手への伝わり方が変わるのはこのためだ。

 最後に、話の内容、つまり言葉自体の意味である言語情報が与える影響であるが、これはわずか7%にすぎないという。

意思疎通の難しさ

 「伝わらない」のは、なにも外国人とのコミュニケーションだけではない。昨年のテレビドラマ「silent」で注目を浴びた聴覚障がい者とのコミュニケーションは、さまざまな場面で起きる意思疎通の難しさの典型例だ。

 聴覚障がいと言っても、実は聞こえ方は一人一人異なっているそうだ。単純に音や人の声が聞こえづらいタイプ、音が大きくなったり小さくなったりして聞き取りづらくなるタイプ、音質がゆがんだように聞こえるタイプなどさまざまだ。中には、補聴器を付けてもほとんど聞こえない人もいるという。

20231026_01.jpg会議でのコミュニケーション(イメージ)

 厚生労働省によると、聴覚障がい者のコミュニケーション手段として使われるのは、補聴器25%、手話25%、筆談23%、口話(口の動きなどで言葉を読み取る手法で読語とも呼ばれる)10%となっている。複数人でのリアルタイムの会話が特に難しいという。会議の場などではコミュニケーションのハードルが高いといえる。

20231026_04.jpg聴覚障がい者とのコミュニケーション手段(出所)株式会社ミライロの資料を基に作製

多様性の時代

 年齢、性別、人種、経験、障がいなどさまざまな個性をもった人たちが互いに認め合うダイバーシティ(多様性)の時代。リコーは誰もが働きやすい職場つくりを目指して、聴覚障がい者を支援する画期的なアプリケーションソフト「Pekoe(ペコ)」を開発、2022年8月に発表した。

 Pekoeは、議事録を文字起こしするための音声認識の技術をベースとして、聴覚障がい者向けに改良を加えたソフトウエアだ。会話がパソコン上に表示されるのだが、視覚情報である文字をその場で参加者が簡単に修正できる。よく使われる単語を登録して誤変換を少なくするといった改良を続けているが、使用頻度の少ない専門用語をソフトウエアが完璧に認識するのは難しい。その場で修正できれば、素早く正確に理解するための大きな力となる。他にはないサービスだ。

人力には限界

 Pekoe事業化チームの一員でリコー 未来デザインセンターTRIBUS推進室の木下健悟さんは聴覚障がい者の1人。リコーに入社してから手話を始めたが、ふだんは口話でメンバーと打ち合わせることが多い。電話を使った情報交換ができないため、ビデオ会議システムが導入されるまでは、打ち合わせなどは対面で行っていた。日常的に往復5時間程度かけて都内から地方事業所にでかけていたという。

20231031_02.jpg木下健悟さん【8月10日、リコー本社】

 また会議では、いつも誰かにリアルタイムのタイピングをお願いして、文字を読みながら内容を把握していた。木下さんは「申し訳ない思いでいっぱいだった」というが、それでも人力による文字起こしには限界があり、完全に理解するのは無理だった。このため数日後にできる議事録で初めて内容を知るケースもあった。意見があっても後の祭り。考えを伝えられないことが多かった。

リアルタイムで把握

 そんな木下さんだが、Pekoeを使うようになってから、会議の最初から最後までリアルタイムで参加者の会話が分かるようになった。内容が理解できたことで、その場で意見も言いやすくなり、がぜん仕事が楽しくなったという。Pekoeを活用することで、健常者との垣根がなくなり、聴覚障がい者の仕事の幅もどんどん広がるだろう。

20231026_03.jpg木下健悟さん【8月10日、リコー本社】

誰しも年齢を重ねる

 人間誰しも、年齢を重ねるにつれ、音が聞こえづらくなる。あるいは不慮の事故などで明日にでも傷害を負うことになるかもしれない。

 今後ますます多様な人材の活躍が求められる社会となるはず。そのとき、Pekoeのようなデジタル技術を活用したツールが助けになるのは間違いない。今、筆者の周りに聴覚障がい者はいないが、リアルタイムの文字起こしツールとして、まずはいつもの会議の議事録作成に使ってみようと思った。

岩下 祐子

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