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通貨とは何か、その起源は?

 貨幣博物館で実物を体験する

2023年11月16日

社会・生活

研究員
芳賀 裕理

 日本銀行法は第1条で日銀が「銀行券を発行する」と定めている。日本で紙幣を唯一発行する日銀は「通貨の番人」とも言われ、最大の使命は「通貨及び金融の調節」を通じた「信用秩序の維持」だ。平たく言うと、誰でも安心してお金を使えるように通貨の価値が大きく変動しないように日々、目を光らせている。では、通貨とはそもそも何なのか。来年夏に新紙幣が発行されるのを控え、日銀の貨幣博物館に足を運んで通貨の起源にさかのぼって考え、その役割や時代時代の特徴を検証。現代につながる歴史に思いをはせてみた。

布も通貨だった

 日本の国家が発行した貨幣の歴史は銅銭の「富本銭(ふほんせん)」に始まる。7世紀後半、日本は中国にならった中央集権国家の建設を進めており、中国の銀貨を手本にした。後の708年に律令(りつりょう)国家によって発行され、教科書にも載っている銅貨「和同開珎(わどうかいちん)」の実物が博物館に展示されている。古代には米や布なども通貨として使われていたが、銅貨で税を納めることができるよう和同開珎の流通を促した。

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和同開珎銅銭【貨幣博物館提供】

 しかし、銅の産出量が次第に減少して銅銭が小さく粗悪になると、10世紀半ばの乾元大宝を最後に発行されなくなった。その結果、貨幣として従来使われていた米や絹が引き続きお金として使われた。

中国から大量の銭貨

 時が流れて12世紀以降、主に東アジアで流通していた硬貨の「銭貨(せんか)」が中国から大量に流入し、人々の間で使用されるようになった。「平家物語絵巻」にも平清盛に寵愛(ちょうあい)された妓王の屋敷に米100石と100貫文の銭の束を牛車と馬で運び込む様子が描かれている。

 しかし、15世紀後半に中国から入ってくる銭貨の量が減ると、摩耗した中国銭(渡来銭)や私的につくられた銭貨が流通。人々は種類や形状により銭貨を区別するようになる。この混乱を避けるため室町幕府や大名は撰銭(えりぜに)を禁止する「撰銭令」を出している。

金貨・銀貨の登場

 戦国時代に入ると、日本で金銀の生産量が増加。軍資金として備蓄したり、高額取引に使用したりするようになる。貨幣博物館には、豊臣秀吉が彫金師・後藤家に命じて造らせた日本初の大判「天正菱大判」など歴代の金貨を見ることができる。

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天正菱大判【貨幣博物館提供】

 そして戦国の世を終わらせた徳川家康が約650年ぶりに国家として貨幣を発行し、金貨と銀貨の大きさ・重さ・品位(金銀の含有率)などを定めた。中世からあった銭貨は江戸幕府が発行した寛永通宝に統一。貨幣の統一と価値安定は統治者にとって最重要の政治課題だったと言える。

今も残る両替屋の看板

 江戸時代。両替屋は金貨・銀貨・銭貨をてんびんと分銅を使用して計量し、異なる種類の貨幣を交換した。この分銅の形は両替商の看板の形ともなり、銀行の地図記号として現在に引き継がれている。

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15分銅一面【貨幣博物館提供】

 貨幣流通が活発になると鋳造が追い付かなくなったことなどが要因で7世紀後半から各地で藩札が発行された。藩札は幕府貨幣や米などとの交換を藩が保証した紙幣。明治時代初めまでに西日本を中心に約200種類が流通した。

透かしの起源は藩札

 藩札には偽造を防止するさまざまな技術が用いられていた。現在の紙幣にも使用される透かしや隠し文字だけでなく、分割できる版木を別々の人が管理することで偽造の危険を減らした。明治維新後も藩札の発行が認められ、政府も金貨や銀貨だけでなく紙幣を発行。政府と藩が揃って紙幣を増刷したため通貨としての価値が下落していった。

 通貨価値を維持するのが喫緊の課題となり、明治政府は1871年に金本位制(金1.5グラム=1円)を採用。「新貨条例」を制定して貨幣単位を円とし、十進法の通貨単位「円・銭・厘」を導入。藩発行紙幣は政府発行貨幣と交換、回収された。

民間銀行が紙幣発行

 ただ、その頃は海外貿易や国内産業の振興といった経済活性化を金融面で支えるため、国立銀行条例に基づき、第一国立銀行など153の民間銀行が各地に設立された。米国のナショナル・バンクをモデルとして紙幣の発行が認められており、政府だけでなく民間銀行がその信用を基盤に紙幣を発行していたのだ。

 この民間銀行を一つのネットワークに結びつけるため、1882年に日本銀行が設立された。これを機に日銀が紙幣発行を一元的に行い、お金の価値を安定させる役割も担った。今につながる「信用秩序維持」だ。

 日本銀行券は円滑に流通し、政府紙幣と国立銀行紙幣は1899年末に通用停止となり、紙幣が日本銀行券に統一された。貨幣博物館では歴代の日本銀行券だけでなく、各国の紙幣にまつわる歴史にも触れることができる。

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日本銀行券【貨幣博物館提供】

100兆マルク紙幣

 戦争や革命など政治的な混乱に伴う急激なインフレが発生すると、パンを買うのに紙幣の山が必要だったケースさえあったという。そうした時期に発行された世界各地の紙幣は役割を果たせないだけでなく、とんでもない額面が紙幣に印刷された。

 不幸な歴史の中で生まれた紙幣を見ると、当時を生きた人々の苦悩がしのばれる。18世紀末にフランス革命政府が発行したものの価値が急落して受け取りを拒否されたアッシニア紙幣。第1次大戦後のドイツで起きたハイパーインフレを受けて発行された100兆マルク紙幣。第2次大戦後に破局的なインフレに見舞われたハンガリーの10億兆ペンゴ紙幣などが展示されており、紙幣が交換や貯蓄の役割を果たせない事態の深刻さを静かに訴えている。

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100兆マルク紙幣【貨幣博物館提供】

 「信用秩序の維持」が日銀の最重要目的となっているのは、こうした歴史もあってのこと。「通貨の番人」と称されるゆえんでもある。

偽造防止技術

 通貨の信用維持には、偽造の防止も不可欠だ。来年発行される新紙幣には世界で初めて3Dホログラムが採用された。1万円紙幣は、見る角度を変えると渋沢栄一が右を向いたり左を向いたり、正面を向いたりする。これなら、偽物か本物かを瞬時に誰でも確認できる。

 また、インクを高く盛り上げる印刷技術や従来よりも精密で細かい透かし、紫外線をあてると日本銀行総裁の印章や模様の一部が発光するなどのさまざまな技術が使用されている。さらに、紙幣に印刷する人物の選定も偽造防止に貢献する。

 お札に採用する人物は明治以降の文化人が基本で①品格がある②お札の肖像にふさわしい③国民に親しまれ知名度が高い―ことに加え、精密な写真や絵画が入手可能で国民がよく知る人物とされている。皆がイメージしやすい人物だからこそ、偽札との区別がつきやすい。

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新紙幣のホログラム【貨幣博物館提供】

1億円の札束を持ち上げる

 貨幣博物館では1億円の重さを体験できる。なんとその重さは10キロ。「1億円を持ってみませんか」と書かれたプレートに誘われて両手で持ち上げてみるとズシリと重く、腰が抜けそうだった。

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1億円を持ち上げる筆者

 貨幣博物館はお金の特徴として「さまざまなものと交換できる。さまざまな人の間で誰でも使うことができる。使いたい時までためておくことができる」と案内文で説明している。今も昔も変わらない役割だが、貨幣や紙幣には長い歴史があり、その時の状況によって通貨となる金属や品物、その価値が変化してきた。電子マネーや仮想通貨などのデジタル通貨が主流になりつつある現在、無数の人々に使われてきた「実物」を見ながら、改めて貨幣とは何なのか考えてみては、どうだろう。

芳賀 裕理

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