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20年ぶりにお札が変わる

 キャッシュレス時代になぜ

2024年04月04日

社会・生活

研究員
芳賀 裕理

 紙幣のデザインが20年ぶりに一新される。新紙幣の発行日は今年7月3日で、銀行など金融機関を通じて新紙幣が市中に流通し始める。紙幣を一新する「改札」は、主に偽造防止を目的に実施されてきたが、今回は金融関係者の多くが「偽札対策だけではない」と指摘する。電子マネーの普及で現金離れも進んでいる。キャッシュレス時代に紙幣を変える必要があるのか疑問を感じる人もいるのではないか。「令和の紙幣一新」の背景を探った。

さようなら「諭吉」

 紙幣のデザイン変更で、1万円札の肖像は福沢諭吉から渋沢栄一に、5千円札は樋口一葉から津田梅子に、千円札は野口英世から北里柴三郎にそれぞれ代わる。このうち1万円札の福沢諭吉の肖像は1984年から採用されており、40年ぶりの交代となる。昭和の時代、多くの人が1万円札を「聖徳太子」と呼んだように、「諭吉」を1万円札の別称として使う人もいるだろう。紙幣の刷新は、時代が一つの節目を迎えたことを感じさせる。

20240402_01.jpg7月に発行される紙幣新札(上1万円、左下5千円、右下千円)(出所)国立印刷局(https://www.npb.go.jp/ja/n_banknote/design10/

最大の目的は偽造防止

 政府はこれまで、おおむね20年ごとに新紙幣を発行してきた。その主な狙いは偽造防止である。同じデザインを長期にわたって使っていると、導入時には最先端だった偽造防止技術も次第に陳腐化して、偽造されるリスクが高まる。

 実際に、2019年と21年には、聖徳太子の肖像が印刷された偽造の旧1万円札がそれぞれ100枚以上使われる事件が起きた。透かしまで入った精巧な作りで、いずれも海外で偽造されたとされる。現行の1万円札でもカラーコピーを悪用したとみられる偽札事件が、全国各地で発生している。

 これまで紙幣には、さまざまな偽造防止策が講じられてきた。伝統的な技術としては、紙幣用紙にすき込まれた「すかし」や、肖像などを細かい線と点で精密に描く「細密画線」などだ。日本の紙幣は以前から精密で偽造しにくい紙幣だと高い評価を受けてきた。

 さらに現行の1万円札と5千円札には、キラキラしたシールのようなホログラムが採用されている。角度を変えて見ると違う画像が浮かび上がって見える。光の散乱や干渉の原理を応用した技術で、同じように再現するのは極めて難しいという。ホログラムは主要国の紙幣で使われているほか、民間のクレジットカードなどでも活用されている。

 このほか、肉眼では見えないほど細かい文字の列で線や模様を描く「マイクロ文字」や、紫外線(ブラックライト)を当てると光る特殊なインクによる印刷なども採用されている。日本の紙幣は現在でも、偽造防止技術の「見本市」と言っていいほど多彩な対策が採られているのだ。

進化する偽札撃退術

 さらに今回の紙幣刷新では、従来の偽造防止策を踏襲したうえで、さまざまな新技術を導入する。例えば「すかし」も、人物の肖像などだけでなく背景に細かい幾何学模様を入れた「高精細すき入れ」に進化させる。ホログラムも、立体的な肖像が角度によって回転して見える「3Dホログラム」を、紙幣としては世界で初めて導入する。

20240402_02.jpg新1万円札の高精細すき入れ(出所)国立印刷局(https://www.npb.go.jp/ja/n_banknote/design10/)を加工して作成

優しいお札

 政府は新紙幣の目的として、偽造防止のほかに視覚障害者など誰にとっても使いやすい「ユニバーサルデザイン」の充実を挙げている。視覚障害者が手触りでお札の種類を判別するための「識別マーク」を現行より大きく、分かりやすくする。

 今回の新札はこれまでに比べると洋数字の表示が大きく、ちまたでは「おもちゃのお札みたい」など、見栄えに対する不評も聞かれる。お札の「見た目」より、使う人の「見やすさ」を重視した「優しいお札」と言えるだろう。

キャッシュレス化の時代になぜ

 キャッシュレス化で紙幣を使う場面は減っている。そんな時代に逆行するように、コストと手間をかけて大規模な紙幣刷新を行う必要はあるのか。そんな、疑問を感じる人も多いに違いない。

 金融関係者の間では、今回の新札発行には隠された意図があると指摘する声がある。中でも多いのが、いわゆる「タンス預金」を市中に引き出すという狙いだ。こうした見方が広がる背景には、キャッシュレス化の進展で紙幣の利用が減っているはずなのに、1万円札の発行残高が大幅に増えているという事実がある。

20年でほぼ倍増した1万円札

 日本銀行の通貨流通高の統計によると、前回の紙幣刷新が行われた2004年の年末に、市中の流通する1万円札は約70億枚、金額で70兆円だった。これが10年後の14年末には85兆円に増え、23年末は116兆円に達している。

 その大きな原因はタンス預金の増加だと考えられる。日銀の資金循環統計によると家計の現金保有額は、2004年末は44兆円、10年後の14年は78兆円、直近の23年末は109兆円となっている。

 約20年で1万円札の流通残高は1.7倍に、家計の現金保有額は2.4倍に増加した。家計の現金保有額のうちタンス預金がどの程度の割合なのか正確にはわからないが、タンス預金が大きく膨らんでいるのは間違いない。

20240402_03.jpg1万円札の発行残高と家計の現金保有残高(出所)日本銀行「通貨流通高」「資金循環統計」

 紙幣の発行残高や家計の現金保有額が増えている以上、決済のキャッシュレス化が進んでいるとしても、偽造防止などの効果が高い紙幣刷新を行う意義はある。

脱「タンス預金」の効果は?

 タンス預金が過剰に膨らむと、お金が設備投資や証券投資に回らなくなり、経済成長にはマイナスになる。さらに、巨額の資金が現金として保有されると政府は国民の資産状況を把握しにくくなる。このため、脱税や違法なお金のマネーロンダリング(資金洗浄)を助長する恐れがある。政府はこれまで、過剰なタンス預金の削減に頭を悩ませてきた。

 紙幣が刷新された後も、現行紙幣の価値は変わらず使うことができる。ただ、自動販売機の紙幣読み取り機の改修などが進めば使い勝手は悪くなる。買い物の際に旧札で支払うのは抵抗があると感じる人も少なくないだろう。

 新紙幣の発行を機に、ため込んでいた旧札を銀行に預けようと考えたり、思い切って資産運用(投資)に踏み切ったりする人がいるかもしれない。こうしたことから、紙幣刷新がタンス預金削減のきっかけになると期待する見方がある。「貯蓄から投資へ」を合言葉に今年1月から大幅に拡充された少額投資非課税制度(新NISA)などの効果も加わって、タンス預金が減少に向かうのか、注目されている。

キャッシュレス化の追い風となるか

 さらに、新紙幣の隠された目的の一つとされているのが、キャッシュレス化の促進だ。経済産業省のまとめによると、2020年の世界各国のキャッシュレス決済の比率は、韓国93.6%、中国83.0%、オーストラリア67.7%、米国55.8%など多くの国が50%を超えているのに対し、日本は32.5%と出遅れている。

20240402_04.jpg2020年の各国キャッシュレス比率(出所)経済産業省資料を基に作成

 外国人観光客の中には、日本のキャッシュレス決済の少なさに戸惑う人も多いという。新型コロナ禍から盛り返しつつあるインバウンド(訪日外国人客)需要を取りこぼさないためにも、キャッシュレス化の一層の促進が求められる。

 新紙幣の発行に伴い、自動販売機や両替機、セルフレジなどは新札に対応するための改修を迫られる。改修費用を軽くするため現金決済対応の機器を減らすなど、事業者がキャッシュレス化に一段と力を入れるムードが高まるとの見方もある。

閉塞感打破のきっかけに

 かつて1万円札の代名詞として国語辞典にも乗った「聖徳太子」は、昭和の高度経済成長を象徴する存在だった。これを継いだ「福沢諭吉」の時代は、バブル経済の熱狂と崩壊があり、その後の長い経済停滞で日本経済社会の閉塞(へいそく)感は強まった。「日本資本主義の父」と言われる渋沢栄一がお札の顔となり、いい流れを引き寄せることができるだろうか。

芳賀 裕理

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