2021年03月05日
最先端技術
研究員
竹内 典子
SNS全盛時代、ユーザーは写真・動画で個性を競い合う。画像加工や動画編集が若者の日課となり、それに応えるようカメラやスマートフォンの技術革新が加速する。こうした中、また1つ新たなデバイスが登場した。
空間を丸ごと撮影可能な360度カメラ。しかもスリムなペン型で重さはわずか60グラム。それが、2020年秋発売の「IQUI (イクイ)」(2万9800円、税別)だ。グッドデザイン賞のグッドフォーカス賞 [新ビジネスデザイン]を受賞するなど、カメラ業界ではブレークの予感が高まる。業界常識を覆すIQUIがどのような経緯で誕生したのか、開発したベクノス(本社横浜市)を取材した。
ペンライトのような形状のIQUI
(提供)ベクノス
初心者の筆者がIQUIで撮った東京駅丸の内口・中央広場
(写真)筆者
ベクノスは2019年8月、リコー発のスタートアップとして誕生。リコーが大ヒットを飛ばした世界初の全天球(360度)カメラ「THETA(シータ)」(2013年発売)の事業立ち上げメンバーを中心に、ベクノスはスタート。代表取締役 CEO の生方秀直(うぶかた・ひでなお)氏はTHETAのプロジェクトリーダーを務めていた。今回、同氏にインタビューを行い、THETA誕生までの物語を聴いた。
2010年、生方氏は今までにない斬新なカメラの開発を命じられた。当時、スマートフォンの普及が加速し、だれもがSNSで写真を発信できるようになり始めていた。写真の持つ意味が劇的に変わり、生方氏は「今居る場所や空間を丸ごと記録できたら、コミュニケーションがもっとリッチに活性化できると考え、たどり着いたのが全天球(360度)カメラでした」と振り返る。「世界初」の発売に漕ぎ着けるまで3年。幾多の苦労が実り、THETAは従来のカメラと一線を画し、全く新たな市場を創り上げた。
その後、2017年からリコーの構造改革を進める山下良則社長の下、生方氏は新たな事業を社外へカーブアウト(=親会社のほか外部から資本を受け、切り出した事業を新会社として独立)させるスキームを提案する。そのカーブアウト第1号が、生方氏がTHETAで培った360度カメラ技術を基に練り上げていたベクノスなのだ。
ベクノス(VECNOS)という社名は、生方氏による造語。V(Vision )、E(Emotion)、C(Communication)、N(And)、OS(Optics)の6文字に、「光学技術をベースに、驚きのビジュアル体験や感動を提供したい」という熱い思いを込めた。
IQUI開発に当たり、生方氏は「360度カメラの民主化」という課題を自らに与えた。すなわち、新製品はさまざまなシーンに溶け込み、気軽に楽しめる「360度写真」を提供できなくてはならない―。そのためには、カメラとは思えない超小型デザインが必須と考え、生方氏は「コンパクトなペン型にしよう」とあえて形から入る。
次に、この難度の非常に高いデザインを実現するため、生方氏らは技術開発に日夜取り組んだ。光学設計は数十パターンもやり直し、最終的に天面1枚、側面3枚の計4枚のレンズを配するという発想が生まれた。
携帯性だけでない。生方氏は高級感のある金属素材、手になじむ使いやすい形状、負担にならない重さなどの条件を、次々と自らに課す。操作ボタンは電源、シャッター、撮影モード切り替え(静止画⇔動画)の3つだけ。供給側の論理ではなく、ユーザーフレンドリーを徹底するため、一切の妥協を排した。生方氏は「初めて手にしただれもがポチっとボタンを押せば、簡単に楽しめるカメラにしたかったんです。極めてシンプルなものができました」と話す。
しかし量産直前の2020年春、新型コロナウイルスの感染が拡大。生産委託する中国の工場に技術者の出張ができなくなり、会議はすべてオンラインに。中国から試作品を送ってもらい、手に持った時の微妙な感触を先方に伝え...。という作業を何度も繰り返す。外装のカラーサンプルは、何種類も作って比較した。一つひとつ試作品を見ながら、精密部品の細かな隙間に対しても厳しい指示を出し続けた。
一連の開発作業はすべてリモートを余儀なくされ、生方氏は「新規設計の商品をまさかフルリモートで量産化まで立ち上げるとは...。想像もしていませんでした」と苦笑する。想定外の危機を跳ね返し、ベクノスは2020年10月、IQUIを日本、中国、米国、英国、ドイツ、フランスの6カ国で同時発売。わずか60グラムのカメラがもたらす、360度映像体験の感動が国境を越えて広がった。
IQUI発表の記者会見に臨む生方氏
(提供)ベクノス
IQUIの映像を楽しむためには、スマートフォン用専用アプリ「IQUISPIN(イクイスピン)」との連携が欠かせない。IQUI(またはスマホアプリ)のシャッターボタンを押すと、撮影した360度写真は即座にスマホアプリへ転送。写真を選び、アプリに用意されているテンプレートを選択すると、被写体にさまざまな動きを付ける「モーション」や、シャボン玉やハートマークなどを追加する「エフェクト」を使い、自分好みに加工できる。
IQUIで撮ったショッピングセンター(東京・豊洲)
(写真)筆者
最大の特徴は、アプリを使えば360度写真の静止画から、簡単にショートビデオが作成できること。被写体が勝手にクルクル回る独特の360度映像を、購入初日から楽しめる。SNSでシェアしたりメールで送ったりする際も、面倒な手間が掛からない。
3月5日、このアプリはさらに進化を遂げた。スマホと同じような簡単な操作で写真を扱える、画期的なアプリ技術を開発した。具体的には360度写真ブラウジング機能「SphereFlow(スフィアフロー)」の搭載により、ユーザーはビューワー画面下部をスワイプすれば、指一本で360度写真を連続して閲覧する事が可能になった。この機能は、ユーザーがIQUIのほか別のカメラで過去に撮影した360度写真を「再発見」できるよう設計されており、この独創的なインターフェイスについては特許を出願中だという。
また、撮影した360度写真は、フェイスブックなど同写真対応のSNSと直接共有できるようになった(ショートビデオは以前から可能)。このように今回、ベクノスはアプリ全体の再構築に踏み切り、生方氏は「ユーザーエクスペリエンスの刷新により、さらに手軽に新たな映像体験を広めることができます」と胸を張る。
今後の展望を尋ねると、生方氏は「お客様に新しい感動を提供し続けていきたい」と言い切った。そのために、ハードウエア開発とアプリサービス充実を同時進行しながら、スマホ単体では実現できない「感動」を追求するという。生方氏の頭の中では映像とテクノロジーが化学反応を起こしながら、世界をあっと驚かす次の「仕掛け」が生まれつつあるようだ。
■URLリンク
ベクノス https://www.vecnos.com/
IQUI https://www.vecnos.com/products/iqui/
アプリIQUISPIN https://www.iquispin.com/
竹内 典子