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デジタルサービスの世界で勝負するには

=質向上のカギ握る「上手」の存在=

2021年03月24日

最先端技術

リコー経済社会研究所 顧問
中村 昌弘

 「おはようございます。おっ!その背景はなんですか?」「ああこれ、高野山の大門です」―コロナ禍でリモート会議が増え、こんな会話が日常になった。

 リモート会議の使い勝手はどんどん良くなっている印象がある。特にビジュアル面は画面背景の選択や仮想化粧、仮想衣装など生活感を見せない工夫が機能として整ってきた。冒頭の会話でも、バーチャル背景に何を選んでいるかが話題になった。

写真リモート会議での筆者の画面背景
(写真)筆者

 一方、生活音には手が打てていない。「ピンポーン。はーい!」と家人が宅配に応対する声であったり、「ピーポー、ピーポー」と外を救急車が駆け抜ける音であったり、会議中であっても生活音は容赦なく入り込む。ビジュアル面の進化に比べ、オーディオ面の不備にリモート会議での使い勝手のバランスの悪さを感じる。

 リモート会議ではないが、デジタル化でバランスが悪いと感じるもう一例を挙げるとするならば確定申告になる。申告書作成作業のやりやすさは飛躍的に改善している。2008年分からそれまで手書きだった申告書作成が国税庁のホームページで直接入力でき、自動計算で申告書が出来上がるほど便利になった。ふるさと納税や医療費控除の入力のやりやすさも年々改善され、すごく使いやすくなっている。

 半面、国が推進しているe-Taxへの移行については、筆者にはハードルが高い。e-Taxを利用するにはまず、16桁の利用者識別番号なるものを取得する必要がある。だが、書面での確定申告がとても便利で特に不自由でないが故に、その取得方法を見ただけで二の足を踏んでしまう。リモート会議のビジュアル面とオーディオ面のように、申告書作成とe-Tax活用には申告システム全体の利便性にバランスの悪さを感じてしまう。

 こうした問題を解決するには、お客様の声に耳を傾けるのが最も近道だ。筆者が長年身を置いてきたモノづくりの世界では、製品を世に送り出す時、実際にご使用いただいたお客様の声をフィードバックして次の製品作りに活かしている。

 ただし、歴史の長い製品と歴史の短い製品ではお客様の声の蓄積度合いが違う。特に新製品や新機能は使った人が限られているので、使い勝手に関する機能・性能評価が難しい。いったん市場に出て改善が進んでも、リモート会議のビジュアル背景や確定申告での申告書作成のように個々の機能の改善が主であり、システム全体に及ぶ抜本的な改善はなかなか進まない。

 言い換えれば、モノの改善に比べてコトの改善は極めて難しいということだ。コトの改善にはシステム全体を俯瞰した評価が必要であるが、そうしたお客様は少ないので、声を拾うアプローチには限界がある。以前から何かほかの手立てはないものかと考えていた。

 そんな折、コロナ禍で家にいる時間が長く、以前購入した落語の本を読み返していたら「鼓ヶ滝」に出会い、ピンときた。この噺(はなし)では、摂津の国にある鼓ヶ滝(現兵庫県川西市)を訪れた、歌人西行が詠んだ「伝え聞く 鼓が滝に来てみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花」という和歌が出てくる。西行が出来の良さに満足し、その場でうたた寝をしていると、夢の中で老夫婦とその孫娘に化した和歌三神が現れる。

 そして、順に自信作が添削されてしまい、「音に聞く 鼓が滝を打ちみれば 川辺に咲きし 白百合の花」に変わる様を面白おかしく語るという噺である。「下手(したて)」の作品に「上手(うわて)」が手を入れると、作品全体の印象が変わって質も向上するというくだりで、今さらながらモノづくりではお客様の声が「上手」の役割を果たしていたと気づく。そして、「コトの世界での上手とは?」という疑問の答えがうっすら見えてきた。

 同じようなことをあるテレビ番組を見ていて感じた。出演者の作品を「先生(上手)」が講評し、点数をつけて出演者の力量をランキングする。講評とともに行う、上手による添削が秀逸なのだ。

 特に俳句の添削は出演者の意図を活かしながら、劇的に作品の質が変わるのが素人目にも分かる。全体が見えていて、かつ言葉選びにも配慮している上手の指摘。それが見事に作品を良くしている。ディテールにこだわりつつ、全体のバランスを考える―。コトの評価にはこういう上手を活用したい。

 では、どうやってコトの世界で上手を見つけたらよいのだろう。まず思いつくのが、自分でやってみることである。リコーも自らリモートワークを実践しながら、ニーズや課題を見つけているが、この成果を製品・サービスにフィードバックするには時間が必要である。一方、トヨタ自動車が着工した実証実験都市「Woven City(ウーブン・シティ)」は、まさにシステムとしての検証である。だが、このような大がかりな実験ができる企業は限られている。

 もっと素早く手軽に上手を創る方法はないものだろうか。例えばSNSの活用である。それを通じて提供するシステムのコンセプトや実装の方向性に対し、システムづくりの先駆者やユーザーではない人たちから広く意見や提案を寄せてもらい、それをサービスに反映させる。加えて既に一部のマーケティングでは行われているが、対象サービスに関してSNSで飛び交うキーワードを世界中から集めてトレンド分析し、サービスの改善に結び付けるといった方法である。

 デジタルサービスは似たり寄ったりになりがち。なので、システムとしての筋の良さと細部のこだわりが差別化につながる。これまではより良い製品・サービスづくり、そのためのプロセスに知恵を絞ってきた。しかし、製品・サービスそれ自体だけでなく、製品・サービスが置かれた環境を含めて客観的に見ることのできる仕組みづくりが必要。つまり、全体を俯瞰できる上手と、細部に精通した上手の両方が求められるのだ。

 具体的にどうすれば良いのか、これはぜひ製品・サービスを提供する人たちが知恵を絞って全力で考えてほしい。今こそ、上手を創るその発想力が試されている。

中村 昌弘

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