2021年03月25日
働き方改革
研究員
田中 美絵
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、産業界はデジタルトランスフォーメーション(DX)の推進を余儀なくされた。在宅勤務の拡大に伴い、遠隔ビデオ会議やビジネスチャットなどのITツールは今やビジネスパーソンにとって必需品である。
以前はITツールを敬遠していたシニア世代も活用を迫られる。「(ビデオ会議システムの)Zoomは難しいと思っていたけど、意外に簡単だな」という声がある一方、「ビデオ会議中にトラブルが発生するともうお手上げ」などの悩みも聞く。コロナ禍で職場の同僚に頼れなくなり、デジタルデバイド(情報格差)が一層開いたように思う。
総務省の労働力調査によると、就業者に占める65歳以上の割合は、2010年の9.1%から2020年には13.6%と増加傾向にある。就業者に占める高齢労働者の割合は今後も高まると思われる。高齢労働者もITツールをもっと使えるようにならないと、労働力不足が深刻になるのではないか。それを防ぐためにはどうしたらよいか。こうした問題意識を持って、高齢者にとっての「使いやすさ」を長年研究する筑波大学人間系心理学域の原田悦子教授にインタビューを行った(2020年11月13日実施)。
原田教授は、加齢が人間の認知機能に及ぼす影響を研究する「認知的加齢研究」の第一人者である。2011年、「みんなの使いやすさラボ」を立ち上げた。高齢者に対する機器・ソフトウエアの利便性や、高齢化に伴う認知能力の変化、ユーザーインターフェース(UI)に関する問題などをテーマに据え、精力的に研究に取り組んでいる。
原田悦子筑波大教授教授・「みんなの使いやすさラボ」研究代表者
(提供)原田悦子氏
―高齢化が進む中、ITツールのユーザーインターフェース(UI)のデザインでは何が重要ですか。
「一般的に、高齢者だけITツールを使えない」と思われるのはなぜか。それに興味を持ち、15年以上研究してきました。その結果、「ITツールは若年層を含め、ほとんどの人にとって認知的負荷が高い」ということが分かったのです。今では、「使いにくいUIは高齢者にも若年層にも共通である」と自信を持って言えるようになりました。
銀行のATMや車の運転に関する実験では、「高齢者が間違える操作は大学生も同じところで(少しだけ)迷う」という現象が観察されています。例えば、加齢によって視力・聴力の低下は避けられませんが、若年層でも見えづらい・聞こえづらい状況にあれば高齢者と同じような認知的機能低下を示します。大学生を対象とした単語の記憶実験で、見えやすい文字・見えづらい文字の比較実験を行うと、後者の成績が40%も落ちることが分かりました。
今注目を集めるDXにはたくさんのメリットがあります。でも、デメリットも否定できません。人間の認知的プロセスからすると、決して自然ではないことに対し、相当なエネルギーを使って処理をしているのです。
例えば、「消去法を使って入力指示の意味を理解する」「スマートフォンのメニューの階層構造を理解する/覚える」「ビデオ会議に出席しながらチャットという並行処理を行う」―。こうしたことは若年層にも認知的な負荷が掛かります。ただし、高齢者と若年層には違いもあります。特に、理解のための認知的負荷が高くて戸惑う場合でも、若年層は多くの場合、何らかの学習をして使いこなせるようになります。
―高齢者にはどのような配慮が必要ですか。
「高齢者のために」ということに限る問題ではないのですが、デジタル化する際、今まで紙や対面で行っていた方法を、そのままデジタルにしないことが重要です。つまりデジタル化の際は、すべてのタスクを作り変え、デジタル化のメリットが活かせるような最適なプロセスに変えることが必須なのです。同じプロセスであれば、これまで通りの紙や対面でやるほうがずっと楽ですよね。若年層は「使いづらい」と言いながらも目的を達成し、自分の中で新たな使いやすさを創り出していけます。しかし、高齢者はUIの使い勝手の悪さに直面すると、そこを乗り越えるのが難しく、つまずいてしまいます。ですから、逆にデジタル化する際に高齢者の視点を入れると、多くの人にとって「使いづらさのない」ITツールができると思います。
また、高齢者が学習する際には、「何のためにどれだけメリットがあるのか」を明確にすることが大切だと思います。高齢者はITツールを使う時、分からないことや難しいことに向き合うと、「自分は使えなくてもいいや」という態度になる傾向があります。「このツールを使えないと仕事を失いますよ」といった消極的な目的設定ではなく、「ツールを使えるようになると、こんな新しいことができます」といった積極的な動機付けが効果的でしょう。
―ITツールの使いやすさは、働く高齢者の生産性・創造性にどのような影響がありますか。
単純に作業効率が上がる以上の効果があります。自分があるツールを使いこなせて目的を達成できた時、人間は「自分が外的環境/ツールを操作できている」という感覚を持てます。これを心理学では、「自己コントロール感」と呼びます。ストレスなくツールを使うことができ、非常に効率的に物事を処理できると、「ここまでの仕事ができた」という認識を持てるようになります。
その結果、「自己効力感」も格段に高まるのです。これも心理学用語の1つで、「自分には目的を達成できる力がある」という自己認識を意味します。自己効力感が高まると、仕事に対する姿勢も積極的になり、労働生産性の向上に寄与することが、多くの研究で明らかになっています。
ストレスなくITツールを使うことができ、「自分は仕事ができるんだ」という認識を持てるようになることは本当に大事です。これは、多くの実験結果から実感していることなのですが、うまく使えると、高齢者の皆さんはすごく良い笑顔になり、とても前向きに色々な事に取り組むようになります。その効果は、若年層が「すぐに上手く使える」ことよりもずっと大きな効果を、長い期間与えてくれます。
ITツールの使いやすさが労働生産性向上(イメージ図)
(出所)原田教授への取材を基に筆者
原田 悦子氏(はらだ・えつこ) 筑波大学人間系心理学域教授、「みんなの使いやすさラボ」研究代表者。 1986年筑波大学大学院博士課程心理学専攻単位取得満期退学。教育学博士(心理学)。日本アイ・ビー・エム東京基礎研究所、法政大学社会学部教授を経て現職。専門分野は認知心理学、認知工学、認知科学。主な著書に「スタンダード認知心理学」(編著、サイエンス社、2015)、「『使いやすさ』の認知科学―人とモノとの相互作用を考える」(編著、共立出版、2003)、「注意と安全」(共編著,北大路書房、2010)、「事故と安全の心理学」(共編著、東京大学出版会、2007)、「人の視点から見た人工物研究」(共立出版、1997)など。 |
田中 美絵