2021年10月13日
働き方改革
主任研究員
田中 美絵
濃紺から水色まで青系のグラデーションが施された光の通路。その前に立つと、不思議な空間の中に引きずりこまれるような感覚に...。それを抜けると、壁面と床がスクリーンになった5メートル四方ほどの部屋にたどり着く。すると、スクリーン上には「HELLO MIE(こんにちは、美絵さん)」といったメッセージが映し出された。
グラデーションの施された通路
Photo by GO motion(Yutaka Kitamura)
(提供)3L
リコーは2020年11月、実践型研究所「3L(サンエル)」(東京都大田区)を開設。冒頭で紹介した部屋は実は、会議空間「RICOH PRISM(リコープリズム)」なのである。
3Lは、リコーが掲げる2036年ビジョン「"はたらく"に歓びを」を一人ひとりが追求しながら、チームの創造性を高める仕組みを研究する施設。リコー創業以来の「三愛精神」の英語表記「3 Loves」に由来し、RICOH PRISMはこの研究所の目玉施設である。
3Lの外観
(写真)筆者
3Lは3階建て。ワークスペースやホールから成り、新規事業立上げや働き方研究に取り組むチームの活動拠点になる。
最大の特徴は、「はたらく歓び」を客観的に測定する仕組みが導入されている点にある。その秘密は、入館時に着用する「3Lデバイス」という装置にあり、入館者のスマートフォンと連動する。首から常にぶら下げておくと、各チームのメンバーがどこでだれと話をしたかや、その声のトーンなどに関するデータが集められ、分析される。
入館者データを収集する「3Lデバイス」
Photo by GO motion(Yutaka Kitamura)
(提供)3L
それだけでなく、個人やチームにアンケート調査を毎月行い、チームの状況や仕事への熱量、健康状態などをスコア化。先述した3Lデバイス経由のデータと併せて「はたらく歓び」の到達度を弾き出す。
また、個人やチームの創造性を高めるため、いくつかのプログラムも用意されている。その1つが、個人の「強み」を把握・分析する「ストレングスファインダー」だ。コーチング資格を持つ3L運営メンバーが、各自の「強み」を本人だけでなく、チーム全体に共有・認識してもらうよう対話を重ねていく。
その肝は、チーム内にメンバー間の上下関係が生じないよう配慮していること。3Lでは、「これからの組織では、個々人の強みの強化がより重要になる」という仮説に基づき、ストレングスファインダーで認識・共有した強みを磨く。これがひいてはチームの創造性を高めるのではないかという期待があるからだ。
このほか、チーム同士の交流を促す「プレゼンパーティー」も開催する。実は、3Lにバーエリアを設けたものの、創造性を刺激するような偶発的な交流は思うように生まれなかった。そこで、プレゼンという共通の経験を通じて新たな出会いを創り出そうと考え、3L利用者の全員が参加するパーティーを3カ月に1度開いているのだ。
利用者が一堂に会す「プレゼンパーティー」
(提供)3L
創造性の向上に向け、プログラムだけでなく、特別な会議空間も設けられている。それが冒頭で触れたRICOH PRISMである。
RICOH PRISM
(提供)3L
この部屋に入ると参加者はまず、淡い光を発する手の平サイズの立方体「PRISM Cube(プリズムキューブ)」を渡される。側面をクリックすると、レーザーポインターのような光を発する。光を操作しながら、壁面に映し出された情報を選択したり、キューブに口を近づけて音声入力したり...。参加者ごとに光の色が違うため、だれが操作したのか一目で分かる。
光・音声で操作する「PRISM Cube」
Photo by GO motion(Yutaka Kitamura)
(提供)3L
この会議空間では現在、目的に応じて4つのモードを提供中。①チームのブレインストーミングを加速させる「BRAIN WALL(ブレストモード)」②瞑想を促す「WOW(瞑想モード)」③プレゼンを体験できる「GALLERY:(ビジュアル・コミュニケーションモード)」④心身をリラックスさせる「NEURO DRIVER(リフレッシュモード)」―である。以下、筆者が体験した③と④のモードを紹介する。
「GALLERY」のコンセプトは、「参加者全員でダイブするプレゼンテーション空間」。ダイブとは没頭する、没入感を与えるという意味だ。
取材当日はまず、プレゼンターが「3Lで働く20代後半の男性エンジニアの1日」を壁面いっぱいにスライドで表示。筆者を含め参加者3人に7分間が与えられ、①スライドの内容を理解する②プレゼンターから気になるポイントや詳しく知りたい点を問われ、参加者が先述のキューブを使ってあちこちにマーキングする―を実践する。まるでデジタルマップ上にピンを立てていくようなゲーム感覚で進んでいく。
壁面全体に表示されるスライド
Photo by GO motion(Yutaka Kitamura)
(提供)3L
筆者が強い関心を抱いたのは、スライドの中で男性エンジニアが仕事の種類に応じ、作業場所を使い分けていたことだ。集中力が増す午前中は個人ワーク、午後はメンバーとのディスカッションといった「時間割」に興味を惹かれ、思わずマーキングした。
その後、プレゼンターがメンバーの関心を含め、スライドの内容を解説する。キューブが発した光は該当箇所だけを照らすため、集中して聴くことができた。
照らされた部分に集中して聴く
Photo by GO motion(Yutaka Kitamura)
(提供)3L
メンバーの没入感を演出する仕掛けは、それだけではない。プレゼン中、メンバーは自分のキューブを小さな懐中電灯のように使いながら、自分の関心事を「意思表示」できる。だから、一方通行にならずに済む。
また、マーキングを見ていると、関心が他人と重なっていたり、自分だけが興味を持っていたりといったさまざまな発見もある。メンバー間での認識をすり合わせる際にも、大いに役立つのではないかと感じた。
GALLERY開発リーダーの高野洋平さんは「スライドで360度囲まれた空間は、従来の会議室にはない、圧倒的な没入感を生み出します」と胸を張る。
その一方で、苦労も少なくなかった。「使い方に迷って没入感を阻害してしまうことがないよう、ポインター表示の仕方や情報の選択方法などユーザーインターフェースを考えることが大きなチャレンジでした」―。
情報に囲まれるという点では、仮想現実(VR)空間に似た感覚かもしれない。しかし、「腕組みをして考える」「大きくうなずく」「視線を移す」といった参加者の反応は、同じ空間にいるからこそ感じられる。その場の空気を感じながら、360度広がるイメージを共有できる仕組みは、RICOH PRISM独自の試みと言えるだろう。
続いて体験したのは、心身ともにリフレッシュできるという「NEURO DRIVER」。まず、壁一面に表示されたのは無数の「9」が...。すると、「その中に『8』があります。探し出してください」というアナウンスが流れ、目を凝らして探し始める。無数の「9」の中から、たった1つの「8」を探すのはなかなか難しい。
無数の「9」に紛れた「8」を探す
Photo by GO motion(Yutaka Kitamura)
(提供)3L
次に、人体イメージを光の輪で包み込んだ、泡の塊が出現した。「何が起こるのだろう」とドキドキしながら待っていると、「泡の動きに合わせて呼吸を繰り返してください」と再びアナウンス。「人体」が両手を広げると、周囲の光の輪が広がり、それに合わせて息を吐き出す。呼吸を繰り返すうち、輪はどんどん大きくなる。と同時に、自分の呼吸がどんどん深くなっていく。普段の呼吸がいかに浅いかを思い知らされた。
泡の動きに合わせて呼吸を繰り返す
Photo by GO motion(Yutaka Kitamura)
(提供)3L
呼吸が整うと、今度は壁面に手の形の2本の光が出現。そこに自分の手の平を重ねると、それぞれが横向きに「8の字」を描くように動き始めた。
最初は肩幅ぐらいだが、次第に大きくなり、最終的には体を思いきりねじって後ろを振り向くような動きになる。5分ぐらいの単純な動きだったが、一心不乱に光を追い続けることで頭が空っぽに...。
「8の字」を描くような動きが...
Photo by GO motion(Yutaka Kitamura)
(提供)3L
NEURO DRIVERを開発した網野萌円さんは「開発当初は太極拳の動きを検討しましたが、だれでも簡単にできる動きを追求していく過程で、8の字にたどり着きました」と明かす。3L利用者の中には、心身の調子を確認するため、このモードを定期的に利用するメンバーもいるそうだ。
それにしても、なぜRICOH PRISMのようなユニークな会議空間が誕生したのか。
発案者でディレクターを務める村田晴紀さんによると、まずコンセプト作りの段階で社外の有識者約300人からアドバイスをいただいた。ただし肯定的な意見ばかりではなく、気弱になることもあったという。
そんな時、村田さんは自分を奮い立たせるために、愛車で夜の街を駆け抜けた。光と音が流れていくのを感じ、思いを新たにした。
「景色の移り変わりは、生みの苦しみに陥った人の気持ちを切り替えてくれる。そんな環境が働く場の近くにあったらよいのではないか」―。村田さんがそれを「形」にしていくと、RICOH PRISMが出来上がったというわけだ。
では開設から1年半、その効果はどう表れているのか。村田さんは「利用者同士の距離がぐっと近くなりました。環境が人とチームに与える影響には大きな可能性を感じます」と手応えを実感する。「チーム内で意見を出しやすくなれば、創造性も高まっていくはずです」と期待は高まる一方だ。
だが、「まだまだ分かっていないことが多いのです」とゴールの遠さも感じる。今後もさまざまなモードの開発を通じ、未解明の「謎」を一つひとつ解き明かしていくつもりだ。
「RICOH PRISM」開発に携わった村田さん(左)網野さん(中)、高野さん(右)
(写真)筆者
withコロナ時代の働き方として、リモートワークとオフィス勤務を組み合わせた「ハイブリッドワーク」でチームの創造性をどう高めるかも、検討課題として浮上している。
これまで3Lは、リアルな場に人が集まることを前提に、位置情報や音声データを分析しながら研究を進めてきた。しかし、長期化するコロナ禍に伴い、チーム内のコミュニケーションもビデオ会議システムなどのオンラインツールを介する方式が主体になった。
3Lを立ち上げ、今は運営を統括する稲田旬さんは「今後、オンラインツールの利用データについても、リアルと併せて分析を行います。それを基にハイブリッドワークの時代に、(オンラインツールとの役割分担として)対面でどのような環境やプログラムが求められるのかを探っていきます。人と人が顔を合わせる『意味』が刷新できれば...」と意気軒高だ。
3Lを立ち上げ、運営を統括する稲田さん
(提供)3L
個々人が「はたらく歓び」を追求し、その結果をチームの創造性向上にどう結びつけていくか。3Lに与えられた研究目標は、決して容易に到達できるものではない。
しかし、今回インタビューしたメンバーは「大変な仕事だからこそ、自分で切り拓く歓びを日々感じています」とそろって声を弾ませた。未知の世界に挑むその表情からは、大きな志が浮かんで見えた。
新たな出会いを創り出す3Lホール
(写真)筆者
田中 美絵