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「場所」が仕事の成果・質に影響

=脳科学者・瀧靖之東北大教授に聞く=

2022年03月16日

働き方改革

主任研究員
田中 美絵

 新型コロナウイルス感染症の影響が長期化したことで、リモートワークが広がっている。内閣府によると、2019年12月時点で10.3%だったリモートワーク実施率は、2021年10月には32.2%まで上昇した。足下では在宅での仕事を選択している人も多いだろう。しかし今後、コロナ感染が沈静化していけば、自宅以外にもオフィスやリゾート地(ワーケーション)など、働く「場所」を自律的に選ぶケースが増えるかもしれない。

 一方、働く場所は仕事の成果や質に影響を及ぼす。「カフェなど普段と異なる場所に行くと、仕事がはかどる」という人もいるが、筆者は自宅のデスクの方が集中できるようにも感じる。例えば、集中したいとき、記憶したいとき、発想を膨らませたいときなど、目的によって最適な場所があるのではないか。

 そこで、脳科学者で東北大学加齢医学研究所の瀧靖之教授にインタビューを行い、場所が脳に与える影響などについてお話をうかがった。瀧教授は同研究所及び東北メディカル・メガバンク機構で脳の MRI画像を用いたデータベースを作成し、脳の発達や加齢のメカニズムを研究。これまでに実施した脳MRIの読影や解析の件数は、延べ約16万人分に上るという(2022年2月22日リモート取材)。

写真

瀧靖之・東北大学加齢医学研究所教授
(提供)瀧靖之氏

 瀧 靖之(たき・やすゆき)氏
 東北大学スマート・エイジング学際重点研究センター副センター長兼加齢医学研究所教授(医学博士)。
 東北大学発スタートアップ「CogSmart」代表取締役。主な著書に「生涯健康脳」(ソレイユ出版)、「回想脳」(青春出版社)、「脳医学の先生、頭が良くなる科学的な方法を教えて下さい」(日経BP)。

図表

生涯健康脳」(瀧靖之、ソレイユ出版、2015年)
(出所)版元ドットコム

 ―集中力・記憶力・発想などに場所が与える影響について、どのようなことが分かっていますか。

 場所が脳に与える影響に関する科学的なエビデンスは十分とは言えません。現時点で分かっていることからお伝えしたいと思います。ヒントになりそうなのは、「好奇心」と「親しみ」が「記憶」に与える影響です。

 「記憶」といっても覚えることだけではありません。これからお話する「記憶」は、情報を短期間頭に入れてアレンジしてアウトプットする、というワーキングメモリーの働きが中心になります。つまり、「記憶」は仕事の効率の重要な要素の一つとも言えます。

 「好奇心」が強い状態だと記憶に残りやすいと言われています。これは感情と記憶が強く関係するからです。感情を司る脳の領域を偏桃体(へんとうたい)、記憶に関わる領域を海馬(かいば)と言います。この2つの領域は脳の中で近い場所にあり、機能的にも連携しています。「趣味に関することはよく覚えられるけれど、嫌々取り組む試験勉強はなかなか進まない」という経験があるでしょう。

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脳内の構造(イメージ)
(出所)stock.adobe.com

 人には、食べ物という報酬を探す「報酬探索行動」が本能として備わっていると言われます。食べ物に困らなくなった現代でも、代わりに人は「情報」という報酬を求めて探索行動をしているとも考えられます。この行動を促すのが、気持ちよさをもたらすドーパミンの分泌です。

 新しい場所や情報は好奇心を刺激する探索行動の対象となり、記憶に残りやすいと考えられます。何かを記憶するときは、関連する情報を束ねたほうが覚えやすいと言われます。人と話した場所や匂いなど周囲の情報が加わることも、記憶の強化につながるといえるでしょう。

 一方で、仕事の成果や質には「親しみ」という概念も影響すると思います。人は、初めて見る場所よりも、何度も行ったことがある場所のほうに好意を抱く性質があります。人に対しても同様です。これを「単純接触効果」と言います。住み慣れている場所や通い慣れている場所では安心感を得ることができ、集中して仕事に取り組めると考えられます。

 こうした研究結果から、集中したいときは周りの雑念がないほうがよいため、親しみが強い場所のほうが向いていると考えられます。一方、発想を膨らませたいときは、新しい場所で新鮮な情報を得ながら仕事をするのが向くと考えられます。また、強いストレスを感じているときには、場所を変えることでリラックス効果を得るのが良いと言えるかもしれません。

 ―観光や帰省などでの休暇先でリモートワークを行う「ワーケーション」も広がっています。普段の生活圏の外で仕事をすると、脳の働きにどんな影響があると考えられますか。

 旅行が脳の健康維持に有効であるということが、東北大学とクラブツーリズムとの共同研究で確認されました。拡散的好奇心が強い人ほど旅行頻度が高く、それが高いほど主観的幸福感が高いことが確認されたのです。この関係は旅行頻度が多いほど強く現れました。

 拡散的好奇心とはいろいろなことを幅広く知りたいという気持ちです。一方、主観的幸福感とは日々感じる幸せのことです。認知症予防として、主観的幸福感を高めることが重要なことは既存研究で確認されています。このため、旅行が脳の健康維持に有効だと言えるのです。

図表

拡散的好奇心・主観的幸福感・旅行頻度の関係
(出所)Tomoko Totsune, Izumi Matsudaira & Yasuyuki Taki, Curiosity-tourism interaction promotes subjective wellbeing among older adults in Japan, Humanities and Social Sciences Communications, volume 8, Article number: 69 (2021) に基づき筆者

 しかし、非日常的な場所からリモートワークを続けることには大きな危惧(きぐ)があります。なぜなら、社会との関わりや会話が多いほど、認知症リスクが低くなることが確認されているからです。会話では、アイコンタクトや表情、ジェスチャーなど非言語情報が70%を占めるとも言われます。

 脳はこうした非言語情報を処理するため、言語に加えて感情認知や共感性、社会性などに関わる多くの領域を駆使します。これが、脳の健康維持に非常に重要なのです。非日常的な場所だけでなく、自宅からのリモートワークばかりで対面での会話が減ることは、脳にとって良いとは言えないでしょう。

 ―リモートワークにより通勤ストレスが減る一方で、運動不足が指摘されます。集中力や記憶力にどんな影響を与えますか。

 実は医学的に最も重要なことです。運動は脳の健康維持に大きく影響します。特に有酸素運動は記憶を司る海馬の体積を増やすこと、つまり記憶の機能維持につながることが確認されています。さらに運動には、ストレス反応を鎮める効果があることや、注意・遂行・作業記憶など高次認知機能を向上させることも分かっています。もし、在宅勤務で一日中家にこもって運動をしていないという状態が続くようなら、認知症リスクを高めている可能性があります。

 運動不足は肥満や睡眠の質低下につながり、それが脳の活動にも影響します。肥満は脳萎縮の原因にもなり、認知症リスクを1.6倍高めるという推計があります。睡眠には記憶を固定するという働きもありますから、睡眠の質が低下すると仕事のパフォーマンスにも影響すると考えられます。こういった意味からも、感染対策をした上で体を動かすことは極めて大事です。

【インタビューを終えて】

 働く場所は人の感情に影響を及ぼし、感情は記憶(=仕事の効率に関わる重要な要素)にも影響する。であれば逆に、自分のストレス状態や、その時々の業務に基づいて抱きそうな感情を予測した上で、働く場所を選べば生産性が上がるかもしれない。今回、筆者が改めて認識したのは「脳も身体の一部」ということ。何よりも脳の健康を維持することが重要であり、そのために対面での会話と運動を意識して取り入れたいと思った。「毎日スクワット1回など、スモールステップで始めると良いですよ」という瀧教授からのアドバイスに従い、まずは小さな運動から始めてみたい。

写真

リモートワークに小さな運動を
(出所)stock.adobe.com

田中 美絵

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