Main content

データサイエンスも敗北した米大統領選

【産業・社会研究室】 Vol.4

2016年11月14日

内外政治経済

研究員
可児 竜太

 米国ニューヨーク市マンハッタンのトランプ・タワーを訪問したことがある。筆者が同市内にあるコロンビア大学に在籍していた2014年の末、このビルに居住していた投資家である大学の知人から、クリスマス・パーティーに招かれたのだった。実はトランプの名を冠するビルはマンハッタンに幾つかある。その中でもここは五番街にあり、ドナルド・トランプ氏本人をはじめ、多くのセレブリティーが住んでおり、「ザ」トランプ・タワーなのである。隣にはティファニー、向かいにはハリー・ウィンストンの本店。名だたるラグジュアリー・ブランドの旗艦店が立ち並ぶ、世界で最もきらびやかな通りの一角にある。

 当時はまだ共和党所属の一候補者であったトランプ氏だが、既にその存在感を十二分に発揮し始めていた。知人によれば、このビルのトレーニングジムには無料のボトル・ウォーターが置いてあり、そのパッケージにトランプ氏の似顔絵が描かれていたらしい。あの強烈な風貌だから、知人は「口を付けるのがためらわれる」と苦笑していた。

 11月8日、そのトランプ氏が大統領選挙で民主党のヒラリー・クリントン氏を下し、第45代アメリカ合衆国大統領となることが確定した。これをサプライズと見るべき人が多いが、一部には「現地ではトランプ氏が優勢と見る向きもあった」という声も聞かれる。

 しかし統計的な視点からは、クリントン氏の勝利が予測されていたことは間違いない。定量的な手法を採用したニューヨーク・タイムズやハフィントン・ポストといった報道機関をはじめ、マーケット予測に基づくプレディクト・ワイズのような研究機関なども軒並みクリントン氏の勝利をほぼ確実なものと予測していた。

 そして、データ・サイエンティストとして著名なネイト・シルバー氏も、クリントン氏の勝率を71.4%と見込んでいた。2008年大統領選で、シルバー氏は50州のうち49州の結果を的中。さらに2012年大統領選では、50州全ての結果を見事的中させたことで一躍脚光を浴びた人物だ。筆者も弊所の季報で彼の著書を引用して紹介したことがあり(※1) 、今回の大統領選においてもその予測に信頼を寄せていた。

 ところが、今回は予測通りとはならなかった。

 開票の結果、獲得選挙人数はクリントン氏の232人に対し、トランプ氏が306人と圧倒したのだ。シルバー氏の予測モデルではクリントン氏の302.2人に対しトランプ氏が235.5人となっていたから、大外れというべきだろう。

シルバー氏の大統領選挙予測

screen-shot-2016-11-08-at-9-59-47-am.jpg

(出所)政治予測ブログ"FiveThirtyEight"(http://projects.fivethirtyeight.com/2016-election-forecast/



 その分水嶺となった州はどこであろうか。クリントン氏は予測では「やや優勢」と見られていたフロリダ、ノースカロライナ両州で敗北を喫するにとどまらず、ペンシルベニア州など北東部や五大湖周辺の3州も落としている。いずれも僅差での敗北だったが、こうした州は選挙人の数が多いため、勝敗に大きく影響する。

シルバー氏の予測と異なる結果になった州
クリントンrr_600.jpg

(出所)政治予測ブログ"FiveThirtyEight"(http://projects.fivethirtyeight.com/2016-election-forecast/)および政治系ニュースサイト"POLITICO"(http://www.politico.com/2016-election/results/map/president)を基に筆者作成


 シルバー氏のウェブサイト(※2) によると、予測手法は脅威の的中率を誇った前2回の大統領選挙からほとんど変更がない。主なデータソースは多数の世論調査だ。様々なメディアや調査会社、大学などが行う世論調査と過去の結果を突き合わせ、その信頼度から重み付けをする。さらに人口構成や経済などのデータを加味した上で調整したモデルを作成し、シミュレーションを行うといったものだ。

 にもかかわらず、なぜ今回は予測が大きく外れたのだろうか。

 シルバー氏はこの読み違いについて、選挙後に「もしトランプ支持者100人のうちわずか1人がクリントン支持へと心変わりをしていたら」と釈明している。その場合、選挙人の数の多いミシガン、ウィスコンシン、ペンシルベニア、そしてフロリダの各州をクリントン氏が獲得することになり、獲得選挙人数はクリントン氏が307人、対するトランプ氏が231人となり正反対の結果が出るからだ。

 今回の選挙では、有権者の投じた得票総数についてはわずかながらクリントン氏が上回ったことが分かっている。それでもトランプ氏が勝利したのは、ほとんどの州で勝者が選挙人を「総取り」できる選挙制度を採用しているためだ。統計的な予測手法を擁護するとすれば、前述の各州において「トランプ氏に有利な得票数のブレ」が同時に発生するということも、確率的にあり得ないことではなかった。

 さらにもう一つ、筆者は今回の選挙の投票率が低かったとの報道が気にかかる。正確な統計の発表はまだ出ていないが、例えばトランプ氏が勝利を収めたウィスコンシン州の地元紙ザ・キャップ・タイムズは「投票率はこの20年で最低だった」と報じている。

 米国で投票するには日本と異なり、非常に手間がかかることで知られる。事前の登録や厳しい本人確認、遠方の投票所への移動、投票所の待ち行列(場所によっては数時間要したとも言われる)といったハードルを乗り越えなければ投票までたどり着けない。そのような状況下で、様々な世論調査や報道、そして何より信頼の高いシルバー氏の予測がクリントン氏の優勢を報じていたから、クリントン支持者の一部は「投票に行くのは面倒くさい。棄権しても大丈夫だろう」と考えたのではないだろうか。

 「うろたえるな、ネイト・シルバーを信じろ」―。2012年の大統領選で民主党はしばしばこのスローガンを掲げた。民主党のバラク・オバマ候補が共和党のミット・ロムニー候補の激しい追い上げにあっていたからだ。その時から既にデータサイエンスは、その驚異の的中率から絶対的な指標として扱われるようになっていた。もし今回のクリントン氏の敗北が、支持者による「勝利への確信」(=一部の棄権)から起こったものだったとすれば、それは非常に皮肉な結果と言わざるを得ない。



IMG_4773-2-4_300.jpgトランプ・タワーから望むマンハッタンの夜景

(写真) 筆者


※1 「プロ野球開幕 日本シリーズと景気の深い関係」 2014年4月1日

※2  A User's Guide To FiveThirtyEight's 2016 General Election Forecast, 政治予測ブログ"FiveThirtyEight"

可児 竜太

TAG:

※本記事・写真の無断複製・転載・引用を禁じます。
※本サイトに掲載された論文・コラムなどの記事の内容や意見は執筆者個人の見解であり、当研究所または(株)リコーの見解を示すものではありません。
※ご意見やご提案は、お問い合わせフォームからお願いいたします。

戻る