2017年03月07日
内外政治経済
(株)リコー ビジネスソリューションズ事業本部新興国事業センター
田中 裕子
リコー経済社会研究所はリコーグループの中堅・若手社員を対象に、「ライティング講座」を開催しています。その受講生が書いたコラムのうち、優秀な作品を随時掲載します。(主席研究員 中野哲也)
毎朝、寝ぼけながらのSNSチェックが日課だ。面白そうな話題がないか、何となく友達の近況をみる。しかし、トランプ米大統領が誕生してからは、楽しそうな旅行の写真ではなく、政治的な内容の投稿がシェアされるようになった。
その中で印象的だったのが、第74回ゴールデングローブ賞授賞式で特別功労賞に耀いた名優メリル・ストリープ氏のスピーチだ。彼女はトランプ大統領に対し、権力者が権力を使って他者をいじめれば、他の人にも同様の行為を促してしまうと痛烈に批判した。確かにトランプ大統領の当選は、人種・宗教の差別や女性の蔑視を許してしまう空気をアメリカに醸成したと思う。これこそが、テロの恐怖より何より恐ろしい。
この恐怖を、私はアメリカへ高校留学した際に体験している。白人至上主義のホストファミリーと過ごした日々の中で、日本に居る時には心の奥底に隠していた気持ちの扉が開いた。すなわち、よそ者への排他意識を自覚したのである。
世界金融危機が起こった2008年、私は米国西海岸のワシントン州にある、白人率85%という小さな港町に留学した。ホストファミリーはまさに「アメリカ・ファースト」の考えを持ち、白人で田舎の低所得層、敬虔なカトリック教徒、親戚は軍人一家という、熱心な共和党支持者だった。だから、オバマ大統領が当選した日はまるでお通夜。リベラルな黒人大統領の誕生によって、この一家は未来への希望を失ったのである。
この一家は白人のアメリカ人以外を見下しており、同居生活は苦痛だった。「アジア人のユウコは私たちの崇高な価値観を学ぶべきだ」と言わんばかりで、私には自由に発言する権利は与えられない。常に同調することを求められた。
留学先の高校で仲良くしてくれた友人はホンジュラスやチリ、フィリピンの出身だったが、一家からは「白人ではない友人と一緒にいることは好ましくない」と諭された。「移民は怠け者だ」「不法移民のために、私達の税金が使われるのは許せない」「差別是正策のせいで、努力している白人が逆差別されている」―。様々な理由を並べ立てては移民を悪者扱いしていたが、要は白人以外信用できないという考えだった。
やがて、私は「価値観が全く合わなくても、一家の考えを理解しよう」と思い始めた。すると恐ろしいことに、移民を嫌う理由や異なる文化を受け入れたくない理由が見えるようになった。つまり、グローバル社会の恩恵を直接受けない田舎町では、移民は白人の文化を邪魔する脅威の存在でしかない。また、白人は保守的な生活を維持したいだけであり、多様性のあふれる社会など望んでいないのだ。
そして、もし移民や難民の少ない日本がアメリカのようになれば、私は一家と同じような気持ちを抱くだろうと思うようになった。「差別や偏見がなく、多様性にあふれた平等な社会が素晴らしい」と頭では理解できても、移民によって今までの優位な立場を脅かされたら、私も寛容さを失ってしまうのではないか...。多様性が魅力のアメリカだったが、私にとって自国の話ではないから、呑気にそう思えただけなのかもしれない。
ある日一家が発した強烈な一言を、今なお忘れられない。ドイツ人留学生が別のホストファミリーに反論した"事件"を聞きつけ、「万が一、私たちに歯向かうような態度をとったら、部屋から荷物を外に投げ出して追い出すわよ」と警告したのだ。意地の悪い笑みは冷酷な支配者のようだった。本気で追い出されてしまう恐怖に駆られた私には、友達を擁護する勇気なんてなかった。気持ちを押し殺して、いつもただ黙っていた。
どんな時でも、受け入れてもらう側は弱い。当時15歳の無力な私は、家計が苦しい中でも受け入れてくれた一家の御機嫌を取る以外、処世術を思いつかなかった。日本ではマジョリティの私も、アメリカでは所詮マイノリティに過ぎない。弱い社会的立場とその悔しさを少しでも経験したから、以来、マイノリティに寄り添えるような人間になりたいと思うようになった。
トランプ氏が大統領に当選した2016年11月8日以降、マイノリティへのヘイトクライムが全米各地で急増している。FacebookやTwitterなどでシェアされる話は恐ろしい。なぜなら、内輪だけで人種差別を主張していた人々が、いよいよ堂々と怒りを爆発するようになったからだ。「平等」「多様性」というアメリカ社会で培われてきた伝統的な価値観は、大統領に選ばれた人物による心無い排外主義の主張によって、あっけなく崩れ始めた。
無論、分かりあえない相手に対し、理解を求めることは容易でない。しかし、一度崩壊したモラルを立て直すことはもっと難しい。だからこそ、社会全体が排外主義に変わってしまう前に、まだ心に響く余地がある人々がいる間に、「多様性や寛容性こそが社会を前進させるのだ」と粘り強く訴えていくことが大切だと思う。
高校留学当時の友人たち(米国ワシントン州)
(写真)筆者
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