2017年04月13日
社会・生活
株式会社リコー OS開本 CS開発C 第三開発室 開発二G
銀川 宣正
リコー経済社会研究所はリコーグループの中堅・若手社員を対象に、「ライティング講座」を開催しています。その受講生が書いたコラムのうち、優秀な作品を随時掲載します。(主席研究員 中野哲也)
今でもよく覚えている。小学校入学直後、母が毎日のように嘆いていた。「男の子の家はよそもこんなに毎日靴を洗うのかしら...」―
当時、私にとって水たまりはシューティングゲームで言えば"爆弾"のようなもの。そこに思い切り飛び込むと、泥混じりの水しぶきが炸裂し、四方八方に飛び散るからだ。
飛び込み方を変えてみたり、水たまりの上っ面を蹴飛ばしたり―。どうすれば、効果的な泥しぶきを起こすことができるのか。連日、そればかり考えていた。私と同じく、ヤンチャの水準を少し越えた友達と登下校の都度、戦闘を繰り広げた。だから、帰宅時には靴も服も泥だらけ...
当然、学校の教室も泥だらけ。「水たまりで攻撃するなんて、小さなお子ちゃまのすることよ。みんなはもう大人だから我慢できるよね」―。結局、絶対的権力者である担任の先生が禁止令を発出し、水たまり戦争にはピリオドが打たれた。
先生のお陰か分からないが、今日までに大人の当たり前の振る舞いを身に付けることができた。服や靴が汚れないよう、あるいは周りの人に水しぶきをかけないように、路上では水たまりを避けて通る。もし少年時代の私のような大人がいたら、雨の日の外出は苦痛になるはずだが。
ところが最近、大の大人が水たまりを見つけては泥水をぶっかけあう現象が頻発している。人によっては、攻撃ではなく正義の執行と考えているようだ。
もちろんリアルな世界ではなく、インターネット空間での話。気に食わない主張を目にすると、言葉の揚げ足を取ったり、時には理不尽なクレームや攻撃を浴びせたりする人が確実に増えているのだ。こうした風潮は「不寛容社会」と呼ばれている。
私も大学生時代にプチ炎上を経験した。短期間に多くの人から攻撃的なコメントが届き、大変怖い思いをしたのだ。
当時、私はTwitterを始めたばかりで、友達同士をフォローしあう程度に楽しんでいた。ある時、一風変わったファッションの人を見つけ、ちょっと揶揄するようなコメントを投稿した。投稿自体忘れるぐらい軽い気持ちだったのに、翌朝までに50件もの通知があり、びっくりした。「お前のようなクソ野郎が...」「○○を握り潰してやろうか?」といったコメントが殺到したのである。
今ではこうして話のネタにするが、当時は何気ない一言が想定外の強烈な反発を受け、震え上がった。友人だけにコメントを公開するロック機能の設定しか、自衛策は無かった。
この手のクレームや攻撃の類は昔からあったはず。しかし、TwitterやFacebookといったSNSの爆発的な普及に伴い、それがいとも簡単になった。気づいた時には、「不寛容社会」が出来上がっていたというわけだ。言いたいことが言えなくなり、個性を発信するはずのSNSが個性を奪う。何とも皮肉で息苦しい世の中である。
残念ながらSNS時代には、「水たまりで攻撃するのはお子ちゃまだよ」とみんなに教えてくれる先生がいない。だから、自らの発言に最大限注意する一方で、他人の主張を最大限尊重するしかない。楽しく外出するために、水たまりを避けて歩く。それが大人というものだ。
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銀川 宣正